日本人の平均寿命は世界的でもトップクラスです。しかし、蓋を開けてみると「健康寿命」は平均とあまり変わりません。先進国での認知症発症率は下がりつつある一方、日本では増加傾向にあります。これには日本人の睡眠時間の短さが深く関係していて…。本記事では、睡眠研究の第一人者・柳沢正史氏の書籍『今さら聞けない 睡眠の超基本』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・再編集し、睡眠不足が引き起こす様々な弊害について解説します。
「寝る間を惜しんで」は寿命を削る
生産性のない作業を命を削りながら続けている
たくさん残業する人が褒められたり、上司からの評判がよくなったりするなど、日本人には「寝る間を惜しんで」働くことを美徳とする風潮があります。
しかし、睡眠不足だとかえって生産性が下がり、身体のさまざまな部分に悪影響を及ぼします。睡眠を軽視するのは無意味どころかマイナスの選択と言えます。
睡眠不足の割に、日本人の平均寿命は男女ともに80歳以上と世界でもトップクラスです。しかし健康寿命は10年ほど短く、実はほかの国とそこまでの差はありません。この差を縮められない限り、本当の長寿国とは言えないでしょう。
日本人は睡眠不足なのに寿命が長い?
日本は長寿国だから睡眠時間が短くても問題ないと思うかもしれませんが、健康寿命は平均寿命より約10年短く、長生きしても人生の晩年を病気で過ごすことになります。
睡眠時間が7時間の人が最も寿命が長く、それより短かったり長かったりすると死亡リスクが高まるという統計結果があります。実際には、睡眠不足だと身体に悪影響が及んで病気になったり、疾患などの理由があるために睡眠時間が長くなったりしていると考えられます。
睡眠不足は免疫力も弱める
睡眠不足で免疫が低下、がん発症リスクが増加
身体に細菌やウイルスが侵入すると、自然免疫が排除してくれます。そのため、私たちは簡単には病気にかかりません。しかし、睡眠不足によって睡眠負債がたまると、免疫の一部であるナチュラルキラー(NK)細胞の活性度が低下することが明らかになっています。
そして、免疫の低下は、がんの発症リスクも増加させると考えられています。人間の身体には、1日につき5000個のがん細胞が発生しています。それでもがんを発症しないのは、自然免疫によって排除されているから。睡眠不足が続くと免疫細胞の活性が低下し、がん細胞を制御する能力を低下させてしまうのです。
睡眠不足は自然免疫を低下させる
自然免疫とは、生まれつき身体に備わっている免疫のこと。病原体の侵入を感知し、排除してくれますが、睡眠不足が続くとこの活動が弱まります。その結果、風邪にかかりやすくなったり、悪化しやすくなったりすることも。
睡眠不足が続くと… ・免疫細胞の活性ダウン ・抗体ができにくくなる ・炎症が起こりやすくなる 睡眠不足は、ウイルス感染後の回復過程にも影響を与えます。インフルエンザの予防注射を受けた場合でも、睡眠不足の人は抗体がうまく生成されにくいという研究結果も。睡眠不足でがんの発症リスクも増加
東北大学の研究によれば、40~79歳の日本人女性約2万人を8年間追跡した結果、平均睡眠時間が6時間以下のグループでは乳がんの発症リスクが1.62倍に。同様に男性約2万人を7年間追跡した結果、前立腺がんの発症リスクが2.08倍高かったという報告があります。
近年、ワクチンと睡眠との関係にも注目が集まっています。フランスの研究では、インフルエンザワクチンの接種前後の睡眠時間が短いと、ワクチンの効き目が弱まってしまうことがわかりました。
睡眠不足はダイエットの敵!
寝る子は育つが寝ない大人は横に育つ
睡眠不足になると、食欲を抑制するホルモン(レプチン)の分泌が減少し、食欲増進ホルモン(グレリン)の分泌が増加します。脳は特に高カロリーな食品や甘いものを求めやすくなります。さらに、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を増加させ、脂肪の蓄積を促進します。また、睡眠不足によって疲労感が高まると、運動量が低下します。その上、覚醒時間が長いことで食事や間食の機会が増え、カロリーの摂取量がさらに増加しやすくなります。
起きている時間が長いほうがカロリーを消費して痩せるような気がしますが、実際はそうではなく、むしろ太りやすくなるのです。
睡眠不足は食欲を増進させるため、食事制限がかなりのストレスに。さらに、睡眠不足自体もストレスホルモンの分泌を増加させ、脂肪の蓄積を促進します。これらの要因が重なることで、メタボや肥満のリスクが高まります。
※メタボ(メタボリックシンドローム):腹囲が男性85cm・女性90cm以上で、かつ血圧・血糖・脂質の3つのうち2つ以上が基準値から外れている状態のこと。
アメリカで行われた研究で、健康な人を4時間睡眠のグループと9時間睡眠のグループに分けてそれぞれ2週間を過ごした結果、睡眠時間が短くなると、食欲を抑制するホルモン、レプチンの血中濃度は低下し、一方で食欲を増進させるホルモン、グレリンの血中濃度は上昇するということが明らかになりました。
睡眠が摂取カロリーを減らす
十分な睡眠を確保することで、ホルモンのバランスが整い、食欲がコントロールできるようになります。また、睡眠中に身体がリフレッシュされるため、疲れやストレスが軽減されて、過剰な食事を抑制してくれます。
睡眠負債で認知症リスクも拡大
脳内にたまった老廃物が認知症を引き起こす
睡眠負債が蓄積されると、認知症のリスクが増大することが近年の研究で示唆されています。
アルツハイマー型認知症では、脳内で神経細胞が死滅し、脳の萎縮が進行。脳には老人斑と呼ばれる、アミロイドβというタンパク質が固まったものが現れます。これが蓄積することで認知症が進行すると考えられています。
睡眠中には、脳脊髄液が脳内に流れ込み、老廃物を除去するという説があります。しかし、睡眠時間が十分でないと、このプロセスが適切に行われず、その結果、アミロイドβが脳内に蓄積しやすくなり、認知症のリスクが高まると言われています。
睡眠が十分にとれないと認知症リスクが4倍に
アメリカのタウブ研究所で実施された65歳の非認知症者1041人を対象としたコホート研究で、睡眠不充足により、認知症のリスクは4倍に上昇することが明らかになっています。
※コホート研究:ある共通の特性を持つ集団とそうでない集団のグループをつくり、一定期間追跡して、どのような変化が起きるかなどを観察し、その特性との関連を明らかにしようとする研究のこと。
一晩の徹夜でも認知症の原因物質がたまる
アメリカの国立アルコール乱用・依存症研究所などの研究グループは、22~72歳の健康な男女20人を対象に徹夜後の脳内のアミロイドβ量を測定。一晩の徹夜でも脳内のアミロイドβ量が5%増加することがわかりました。
レム睡眠の不足も認知症を招く
オーストラリアのグループによる研究では、平均67歳の対象者のうち、睡眠中のレム睡眠の割合が1%減ると、その後の平均12年間で認知症の発症リスクが9%上昇していました。筑波大学の林教授らの研究によれば、レム睡眠中に大脳皮質の毛細血管への赤血球の流入量が増加。脳に必要な酸素や栄養を送り届け、二酸化炭素や不要物を回収します。レム睡眠不足だと、この物質交換が十分に行われません。
柳沢 正史 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長・教授 株式会社S’UIMIN代表取締役 医学博士
筑波大学医学専門学群・大学院医学研究科博士課程修了後、31歳で渡米し、テキサス大学サウスウェスタン医学センター及びハワードヒューズ医学研究所にて24年間にわたり研究室を主宰。2010年に内閣府最先端研究開発支援プログラム(FIRST)に採択され、筑波大学に研究室を開設。2012年より、文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム国際統合睡眠医科学研究機構を創設。2017年、筑波大学発のスタートアップベンチャー企業「S'UIMIN」を起業。2021年よりムーンショット型研究開発事業のプロジェクトマネージャーを務める。
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