海外の航空ショーで、胴体側面に日の丸が掲げられ、そして手書き風のなんとも不思議なフォントで「陸上自衛隊」と描かれた飛行機を見つけました。この機体はどのような経緯をたどったのでしょうか。

もともとは「マジの自衛隊機」

毎年7月に行われ、飛行機の祭典ともいわれる世界最大の航空ショー「EAAエア・ヴェンチャー」で筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は一風変わった航空機を見つけました。胴体側面に日の丸が掲げられ、そして手書き風のなんとも不思議なフォントで「陸上自衛隊」と描かれた機体です。この機体はどのような経緯で、この航空ショーに出現したのでしょうか。

この機体をよく見ると、自衛隊創成期に富士重工で製作された連絡機 LM-1であることが判明しました。当時、発足したばかりの航空自衛隊において、パイロットを養成するために、アメリカ・ビーチエアクラフト社製のT-34「メンター」練習機を大量調達することになりました。そこで、パーツをアメリカから取り寄せ、国内で組み立てる「ノックダウン輸入」することが決定し、富士重工がその担当となったのです。

その後、富士重工T-34をベースに機内を拡大した4座の連絡機をつくります。これがLM-1です。T-34は元々、ビーチクラフトが生みだした4人乗りの傑作プロペラ機「ボナンザ」をベースとし、タンデム2座の軍用練習機として開発された機体です。そのT-34キャビンを乗せ換えて4座としたのがLM-1なので、いわば元の「ボナンザ」スタイルに戻した格好です。

LM-1は当初アメリカ政府による対外有償援助として生産されたため、書類上は一旦アメリカ軍に引き渡され、そこから自衛隊へと供与されるようになっていました。そゆえに、一部の機体は退役後、アメリカに返還されており、機体によってはそこから民間に払い下げられています。

なぜ今も現役なの? 復活の経緯とは

この航空ショーで展示されていたLM-1オーナーフィルマクラナハン氏によると、この機体はその払い下げられた機体の1機だとのこと。友人が放出機として購入したものの、長期間放置されていたそうで、その様子を見かねたマクラナハン氏がその友人から機体を買い取り、飛行可能な状態まで復元して維持していると話してくれました。

同氏は、元海軍の航空機整備士だったことから、飛行機の修理や整備には長けており、小型機の修復作業はお手の物だったというわけです。

機内も案内していただきましたが、操縦輪が年代を感じさせます。計器類もほぼオリジナルのものが装備されていました。コックピット中央には、日の丸の鉢巻きが天井から垂れ下がっていました。この鉢巻きを頭に巻いて日の丸入りの飛行機に乗れば気分は「サムライ・パイロット」というわけです。ここからも、マクラナハン氏の日本愛を感じることができました。同氏はバージニア州在住ですが、ほぼ毎年、愛機LM-1に乗ってこの航空ショーに参加しているそうです。

このLM-1が復活し、オーナーにいまだ愛されているケースを見るように、欧米諸国では軍で役割を終えた航空機が武装を外した状態で市井に払い下げられ、民間機として登録して使用することが可能です。しかし、日本では残念ながら自衛隊で役割を終えた航空機を格安で購入し、民間機として再使用することは出来ません。

日本も、諸外国のように退役後の自衛隊機を民間で活用できるよう、法整備をすれば、航空人材の確保と防衛に対する国民の理解度向上に貢献するのでは、と筆者は考えています。

「EAAエア・ヴェンチャー」で展示された元自衛隊機「LM-1」(細谷泰正撮影)。