40歳の時にファッションデザイナーを目指し、服飾専門学校への入学を決意した漫画家の小柳かおりさん。2021年4月に社会人がひと通りのファッションビジネスや制作を学べる「バンタンデザイン研究所」に入学し、同年の10月には自身のファッションブランド「Antique Carrie」を立ち上げた。さらに現在は制作技術を身に付けるべく、縫製工場が運営するソーイング教室や「東京モード学園」で応用を学んでいる。そんな小柳さんが現在進行形で動いているのは、妹のちはるさんと共に挑戦しているママ向けブランドの立ち上げだ。その様子を描いた漫画を紹介すると共に、立ち上げにいたった経緯や新ブランドへの思いなどをご本人に聞いてみた。
自分が着たい服を作りたい! アラフォーからファッションデザイナーの道へ
新ブランドについて紹介する前に、まずは小柳かおりさんがアラフォーにしてファッションデザイナーを目指すことになったきっかけに触れておきたい。
「40歳という節目の歳を迎えるにあたり、『私の人生はこれでよかったのだろうか?』と振り返っていました。社会人としても自立し、仕事も落ち着いてきた今だからこそ、やってきたことの棚卸しと、これからの生き方を模索するタイミングに来ていたのだと思います。そうした時に、『どうせやるなら自分のライフワークになるような、没頭できる何かに取り組みたい』という気持ちと、『中年にさしかかって服選びに困る自分』が重なりました。被服科を卒業した母がプレタポルテの縫製をしていた時期があったため、私の環境には〝手芸〟が身近にありました。お人形遊びをしながら、『ドレスを作りたいなぁ』などと思い描いていたことも。そんな幼いころの憧れを胸に、『着るものに困るなら、着たい服を自分で作り出せばいい、そして服作りを通して、周囲にもこのワクワクを伝えたい』と思い立ち、ファッションデザイナーを目指すことを決意しました」
自身のことを「後先も考えず思い立ったらすぐ行動に移す性格」と語る小柳さんは、決意から2か月後の2021年4月に「バンタンデザイン研究所」に入学。多くの社会人が学んでいる同校で多くの実務者に出会い、ビジネスの方法を知ることで、すぐにブランド立ち上げを実現させることができた。
「縫製工場を使った量産型運営だったので、制作の外注費やマーケティングなど多方面でコストがかかって大変でした。そこで、制作技術を身に付けたら、思い描いたデザインを詳細まで再現でき、必要量のみを作り、かつコスト削減になると気づきました。現在は縫製工場が運営するソーイング教室や『東京モード学園』で応用を学んでいます。『東京モード学園』は、アパレル企業に就職を希望する20代の若者が多いのですが、ソーイング教室は50代から60代の先輩方が中心で、私が最年少です。『40代だからもう歳だ』などという考えは吹き飛び、『一生勉強なんだ』と前向きな気持ちになれました(笑)」
再び仕事に復帰したい! 3人の子供をもつ妹のために思いついたプランとは?
そんな小柳さんが妹のちはるさんと共に取り組んでいるのが、ママならではの経験を生かしたアイデアを盛り込んだ、新たなファッションブランドの立ち上げだ。
「妹も今年でとうとう40歳の節目を迎えました。20代半ばに結婚して育児に専念してきた彼女も、子供が手がかからなくなるにつれて『この先どう生きるべきか』と考えていたようです。子供が学校にいる間、自分の家に居る時間が増えていく。一方で、社会とのつながりが薄く、今さら何をしていいのか、どう社会とつながっていいのか分からない…。そんな閉塞感を抱えていたようです」
そして、日中の数時間にシフトで働けるファストフード店のアルバイトを見つけたことをちはるさんから聞いた小柳さんは、素直に「もったいない」と感じたそう。大学卒業後に一般企業へ就職し、独身時代は一定のポテンシャルを持って働いていたちはるさん。しかしながら、子育て期間という15年のブランクやフルタイムでは勤務できないという状況が、仕事を探す際に大きな壁となって立ちはだかったという。思い悩む妹を見て、小柳さんが一つの提案をした。
「『育児だって立派な仕事であり、その能力や経験を何かに活かせないだろうか?』と考えた時に、洋服作りと紐付いたんです。さらに、妹が今後も中心となって継続できるものはないか?というところから、ママ向けブランドを思いついたんです。自身の能力や経験を生かし、彼女と等身大のお客様へ向けて運営できたらいいなと。ただ、それまで個人ブランドを運営していた私からすると、すぐにお金につながるようなものではなく、とても難しい道のりになるだろうなと感じ、そのことも素直に伝えました。でも、妹が望んでいたのは、〝お金のための仕事〟ではなく、〝何か人生で没頭できるものがほしい〟ということでした。それは40歳で私が考えたことと同じだったため、独身の私とは生き方が真逆だけれど、40歳は誰にとっても人生を振り返る節目なのだと実感しました」
ママならではのアイデアが次から次に沸いてくるも、妹の画力のなさがネックに…
妹のちはるさんから飛び出してくるママ目線のアイデアの数々に、小柳さんは驚きを隠せなかったという。
「ネックレス風ワンピースや、取り外しポケットなど、独身の自分には思い付かないアイデアで、これはおもしろい!と。周囲にも聞いてみたところ、子育ての有無に関わらず、取り外して洗えるポケットが欲しいという声が上がりました。子育ての経験が、このようなクリエイションの世界でも活きてくるんだとうれしくなりました。資格や能力で切り捨てられがちな社会ですが、活かすことを真剣に考えたら、まだ開拓できる仕事はたくさんあるはずです。育児しかしてこなかったママを社会が適切に扱えていないだけで、多角的に見ると人が輝ける可能性はどこかに必ずあるんだと実感しました」
デザインを考案してもらうにあたり、小柳さんからちはるさんに〝子育ての時に困ったこと〟〝こんな洋服があったらいいな〟という経験から深掘りしてもらったそう。
「ママと娘のリンクコーデ(柄や色などでおそろいっぽさを演出するコーディネート)はあっても、息子とのものはあまりなくて困っているそうで。そこで、ワンポイントが共通する程度の〝さりげない〟リンクコーデがあったらいいなと。ほかにも機能的でかわいく着用できるドレスエプロンや、子育てをコンセプトにスタイや子供服の展開など、さまざまなアイデアが出ています」
続いて洋服制作に必要なデザイン画をちはるさんに描いてもらったが、あまりの仕上がりに衝撃を受けた小柳さん。自身が描くこともできるが、今後のことも見据えて、ちはるさんにデザイン画の描き方を身に付けてもらうことに。
「ブランドデビュー後も妹が運営していけるよう、〝デザイナー〟として立ち上げにコミットしてもらいたいと。知識ゼロのところから手取り足取り教えるのは苦労しますが、どんな仕事でも〝本人ができるようになるための努力〟は必要で、また教える方も〝能力向上の機会を与える〟ことは大事だと思っています。苦労すると完成の達成感もひとしおでしょうし、あえてお願いすることにしました」
サンディエゴで子育てをしていた妹を訪ねて知った、ママとしての生きにくさ
一時期、アメリカのサンディエゴで暮らしていたちはるさんのもとを訪ねた小柳さんの経験も、今回のママ向けブランドのコンセプトなどに影響を与えているという。
日本ではある程度の年齢になると、落ち着いた服を提案される機会が多く、自身も〝こうあるべき〟に縛られていたという小柳かおりさん。現地の人たちが年齢に関係なく、思い思いのファッションを楽しんでいることに、「こんなに肌を露出しても、こんなにカラフルな洋服を着てもいいんだ」と、心が解放されたそう。その一方で、ちはるさんの思わぬ一面を知ることになる。
「妹は学生時代からオシャレが好きで、母になってからもミニスカートを着たりしていました。両家の一同が顔合わせするような場でも好きな服を着ていたため、『もう少し落ち着いた方がいいんじゃ…』と、姉として心配するほどで(笑)」
そんなちはるさんだが、実は心のうちでは「ママなのに」「ママだから」という声に悩まされていた。〝自由な服を着る〟という裏では、逆流性食道炎になるほど、生きにくさを感じていたのだ。その事実をサンディエゴで知った小柳さんは…。
「『ママだからこんな服』『もうママなんだからこうしなきゃ』と、私自身も言葉にしない圧力を、当時の妹にかけていたんだと思います。私だけではなく、きっと日々の生活の中でそんな圧力に苦しんでいた妹がいたのだと。サンディエゴでの子育てを通して、妹が感じた『自由でいていい』という安心感に彼女自身が救われたからこそ、日本において既存の価値観に苦しんでいる人たちの救いになる、願いを叶える、そんなブランドにしたいと考えています」
妹のデザイン画が見違えるほど進化! そしてようやくスタートラインに
再び、デザイン画制作に話を戻そう。洋服の設計士であるパタンナーに型紙を起こしてもらうために必要なデザイン画。モデル定規を使うなど、ちはるさんが試行錯誤して仕上げたデザイン画は見違えるほどの出来だったという。
「人は教えたら成長するんだ!と思いました。デザイン画制作は、あらかじめポーズを取った人の絵を使い、そこに服を着せつけていくように描くと効率的です。そのやり方やデザイン画ツールを教えて、きちんと使いこなしてくれました。絵を描く私自身としては気になる点がまだありますが、一歩目を踏み出してくれたんだなと。今回のブランド立ち上げに関しては、肝心の妹がどこまで協力的なのかが一番のポイントだからこそ、前向きに取り組んでくれる姿勢に感動しました」
一時期は思い悩み、暗い表情を見せることの多かったちはるさんも、制作を進めていくことでどんどん前向きに変化していった。
「やりがいを見つけてくれたみたいで、生き生きと積極的に取り組んでいます。すべてが初めてのためわからないことがたくさんあるようですが、できそうな部分を私からお願いしているうちに、妹から提案してくれるようになったりと、仕事の進め方にも変化が。SNS発信やCanvaを使用してのデザインなど、新しいことにも挑戦してくれています。今後はECサイトの更新もお願いする予定です。私は東京、妹は九州と離れて暮らしていますが、オンラインでの打ち合わせのほか、対面の機会もできるだけ持つようにしています。これまで姉妹で一緒に何かするという機会がなく、この年齢になって初めて同じ目標に向かって一緒に取り組んでいるのですが、こんな風に繋がれるんだなと、私もいい意味で驚いています」
アイデアをデザイン画という目に見える形にし、今まさにスタートラインに立ったアラフォー姉妹による洋服づくり。生地選びやサンプル制作など、ここから本格化していく制作の様子は次回へ続きます!
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