ドイツの研究者が発表した論文「On the Lottery Problem: Tracing Stefan Mandel’s Combinatorial Condensation」は、1960年代に14回も宝くじに当選したルーマニアの数学者・ステファン・マンデルさんの手法を分析した研究報告である。マンデルさんが初期に用いた手法「Combinatorial Condensation」は長年謎に包まれていたが、この研究はその手法を解明しようと試みた。
マンデルさんは最初、ルーマニアの「6/49宝くじ」に挑戦した。この宝くじは1~49までの数字から6つを選ぶ形式(1398万3816通り)である。彼の戦略は49個の数字から15個を選択し、これらの15個の数字から6つを選ぶ全ての組み合わせ(5005通り)を考え、独自のアルゴリズムを用いてこれを569の組み合わせまで減らすというものだった。これは数学的には「カバリングデザイン」に相当すると分析している。
この手法の特筆すべき点は、6/49宝くじで少なくとも5個の数字を的中させる確率を99.9%まで高められることだ。つまり、ほぼ確実に2等以上の当選が見込まれるのである。しかし、1等の大当たりを引く確率は依然として0.036%(約2794分の1)と低かった。
研究チームはマンデルさんがこの手法を開発した1960年代の状況を詳しく考察している。当時はコンピュータも電卓も一般的でなかった時代だ。マンデルさんは紙と鉛筆だけを使って、何カ月もかけてこの複雑な組み合わせを計算したと推測される。全ての可能な組み合わせ(5005通り)を書き出し、それを569通りまで絞り込む作業は、途方もない労力を要したはずだ。
興味深いのは、マンデルさんの手法が現代の数学理論を先取りしていた点である。彼が構築したと思われるカバリングデザインは、コンピュータを使った本格的な研究が始まる何十年も前に作られたものだ。当時の数学者たちが3つの数字を当てる確率の研究をしていた段階で、マンデルさんは既に5つの数字を当てる方法を編み出していたのである。
●宝くじを「全通り購入」する必勝法に切り替え 結果は?
マンデルさんは自身の手法に内在するリスクにも気付き、後年、別の戦略に切り替えている。これは「Buying the pot」と呼ばれ、宝くじの全ての組み合わせを網羅的に大量購入する方法である。
この方法では、ジャックポットの金額が全通り購入するコストよりも高くなるのを待つ必要があった。そのため、マンデルさんは1等の当選がない場合に次の当選金に上乗せされるキャリーオーバーで、掛金(全通り購入)の3倍以上に膨れ上がるのを待った。
しかし、この戦略には大きな障害があった。莫大な資金をどう調達するか、そして全通りの宝くじをどうやって購入し、1つ1つ数字を記入するのかなどに問題があった。マンデルさんはこの問題を解決するため、何年もかけて数百人の投資家を説得し、共同購入組織を結成した。
マンデルさんはこの問題を解決するため、何年もかけて数百人の投資家を説得し、共同購入組織を結成。その後1980年代のコンピュータ技術の発展により、マンデルさんはコンピュータとプリンタを使用して数百万通りの組み合わせを自動的に印刷するシステムを開発した。これにより、従来の手作業による方法よりも効率的に戦略を実行できるようになった。マンデルさんは、この手法をオーストラリアで実行し、1986年に110万ドルの賞金を獲得するなど、成功を収めた。
しかし、マンデルさんが複数のジャックポットを獲得したことで、宝くじ運営側は規制を強化し始めた。そこでマンデルさんは、世界の宝くじを分析し、最終的に米バージニア州の宝くじに狙いを定めた。バージニア州の宝くじは比較的新しく、無制限にチケットを購入することができた。さらに、数字の範囲が1~44と狭く、6つの数字を選ぶ場合の組み合わせの総数が約700万通りと少なかった点も魅力だった。
2500人以上の投資家から資金を集め、メルボルンで30台のコンピュータと12台のレーザープリンタを稼働させ、全ての可能な組み合わせが印刷された約1トンもの重さの紙束を、6万ドルの費用をかけて米国に輸送した。
そして1992年2月、バージニア州宝くじのジャックポットが1550万ドルに達し、いよいよ実行に移すときがきた。しかし、一斉に購入に走ったが、大量販売に協力していたチェーン店の1つが作業に圧倒され、最後の14万枚(70万通りの組み合わせ)の処理を放棄した。140万枚のチケットのうち124万枚(700万通りのうち640万通り)の購入にとどまり、全通り購入とはいかなかった。
それでも、マンデルさんが購入したチケットの中に、運よくジャックポットが含まれていた。マンデルさんのチームが2703万6142ドルのジャックポットを獲得したのだ。さらに6つの2等賞、132の3等賞など、合計で90万ドル以上の副賞も獲得した。
この前代未聞の勝利は、当局の厳しい調査を招いた。米国のCIA、FBI、IRSなど14の国際機関が調査に乗り出したが、マンデルさんの不正行為の罪を問うことはできなかった。
●大勝利のその後は……
この大勝利の後、マンデルさんの人生は変化した。投資家たちには約1400ドルずつが配当されたが、中には不満を漏らす者もいた。マンデルさん自身は170万ドルのコンサルタント料を受け取り、20年間の年金支払いを一括で1400万ドルで売却したとされている。
その後、マンデルさんは香港を拠点とする「パシフィック・ベイスン・ファンド」に資金を投じたが、1995年に破産を宣言。その後10年間、さまざまな投資スキームを運営した。その中でイスラエルでは「共同組合の目論見書を公表しなかった」として有罪判決を受けたが、マンデルさんの弁護士によると、この判決は後に覆され、マンデルさんは1日も刑務所で過ごさなかったとされている。
現在、マンデルさんはオーストラリア沖の離島バヌアツで静かな隠居生活を送っている。彼は宝くじから「引退した」と語り、穏やかな日々を過ごしているという。
マンデルさんの功績は、米国の法律に痕跡を残している。宝くじを運営する44州全てで、マンデルさんの戦略を再現することを防ぐ法律が制定されたのだ。これにより、マンデルさんは全ての組み合わせを購入することで宝くじを合法的に攻略した最初で最後の人物として、その名を歴史に刻んだのである。
Source: Stommer, Ralph. “On the Lottery Problem: Tracing Stefan Mandel’s Combinatorial Condensation.” arXiv preprint arXiv:2408.06857(2024).
※Innovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。X: @shiropen2
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