京都に住む人はパン好きで、まちにはパン屋も多いという。『こむぎびよりのコッペパン』(魚田南/祥伝社)は、そんな京都を舞台にパンと犬を題材にした物語だ。
京都に「古風」「和風」というイメージを長年持っている私にとって、知らない京都の顔を教えてくれる作品であり、本作を読み終えた後、美味しいパンを求めて外に出かけたくなるほど「パンを食べたい」という気持ちを刺激する作品である。
中学生の頃から面倒を見てもらっていた身寄りの伯母を亡くし、一人きりになった大学生・甲斐田一虎は、ある雨の日、鴨川で捨て犬のシュナウザー「コッペ・パン」(通称:コッペ)と出会う。置き手紙によるとコッペは、グルメでパンが大好物らしい。
試しに食パンを与えてみても、実際は一切口にせず、苛立ちを覚えた一虎だったが、コッペの反応から、トーストした食パンを欲していたことが判明する。コッペと共に、一虎も温かいトーストを久々に口にした。そうすると気が緩み、伯母を亡くした喪失感からか、今まで忘れていた自身の空腹感を思い出し、さらにこれまで向き合うことを避けていた、伯母を喪った悲しみを自覚し、涙を溢してしまう。
作中のコッペの回想シーンから、元の飼い主の老人と共に食べた食パンに思い出があることが窺える。
犬は飼い主が落ち込んでいる時に、目の前におもちゃを持ってくることがあるらしい。その理由は「これを使っている時の飼い主は楽しそうだった」という記憶があるからだ、という説を目にしたことがある。もしかすると、コッペは美味しいパンを食べたいだけではなく「パンを食べた時の幸せな思い出」を反芻したくてパンを求めているのではないだろうか。一虎もパンを食べる時、伯母と過ごした日々を思い出しており、エピソードを追うごとに、コッペと一緒にパンを食べることが、癒しになっていることが感じられる。「美味しい」と思う感情は、味覚等の五感に限ったことではなく、「思い出」も大事な要素なのかもしれない。
これからもパンを通じて彼らが信頼と友情を育み、共に過ごす喜びを噛み締めてほしいと願うばかりである。
文=ネゴト / 花
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