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 トルコ南部、メルティン県シリフケの町、標高185mの丘の上にある同名の城から、謎めいた石板が見つかった。

 これはビザンチン(東ローマ帝国)時代の墓碑の一部で、邪悪なものから墓を守る護符の役目を果たしていたようだ。

 今回の発見は、アンカラ・ハシ・バイラム・ヴェリ大学のアリ・ボラン教授が監督する発掘調査の最中のことだった。

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ビザンチン帝国時代の要塞、シリフケ城から謎の石板

 高台にあるシリフケ城はビザンチン様式の要塞で、濠に囲まれ、24の塔、丸天井の地下室を備え、かつてはこの町の司令部として機能していた。

 この城は、もともと7世紀のアラブ人襲撃の際に、かつて東ローマ帝国と呼ばれていたビザンチン帝国(西暦395~1453年)が建設したもので、現在の建物は500年前にさかのぼるものだ。

シリフケ城 image credit:Klaus-Peter Simon / WIKI commons

 石板の調査は進行中だが、城もしくは墓を悪魔や敵から守るために作られたものではないかとされている。

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 アリ・ボラン教授は、今回の発掘で古代建造物の新たな特徴がわかってきたという。

石板に刻まれた碑文からは、これが魔除けの役割を担う護符で、城や墓をあらゆる悪魔や敵から守るために作られたものだということがわかります

碑文学の専門家と共に詳細な分析を進めていますが、この場所は単なる都市ではなく、さまざまに異なる特徴を持っていたことがわかってきました(アリ・ボラン教授)

シリフケ城の発掘調査で発見された文字が書かれた石板 image credit:Anadolu Agency

これまで、城内には墓らしきものは見つかっていません。しかし、碑文には当時、墓
があったと書かれています

この石板はアナトリア地域の歴史を知る上で重要なものであることがわかります

石板はモスクの西側から見つかりました。それほど大きなものではありませんが、その内容や書き方を見るだけでも多くのことがわかります(アリ・ボラン教授)

 今日でもトルコには「ナザール・ボンジュウ」のようなお守りが存在する。これは目玉のようなものが描かれた美しいガラスの護符で、身近に置くことで災いを退けると信じられている。

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トルコのお守り、ナザール・ボンジュウ image credit:FocalPoint / WIKI commons

 シリフケ城にこのような護符石板があった事実は歴史的に興味深いことだ。

 この発見は、城の建築的・都市的な特徴を超えた役割を浮き彫りにし、文化的・歴史的背景の奥深さを明らかにするものといえよう。

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