江戸時代末期に欧米を訪れた福沢諭吉は、議員同士がかんかんがくがくの“けんか”をしても、議会が終わると同じテーブルにつき、楽しく酒を酌み交わす光景を理解できなかったという。たとえ政治的に対立しても、終わればノーサイドということなのだろうが、この割り切った考え方に、当時の日本人はついていけなかった。
当時だけではないかもしれない。今でも日本社会の至る所で義理や恩、遺恨といったものが重きを占めているからだ。とりわけ日本社会の縮図ともいえる永田町では、「理」とともに「情」が支柱をなしてきた。国民的な人気を誇る石破茂元幹事長が総裁選で議員票の獲得に苦戦しているのも、「みんなが歯を食いしばって頑張っているときに、後ろから鉄砲を撃ってきた」(閣僚経験者)ことが大きいとされる。
その総裁選も、間もなく投開票日を迎える。9人の候補者たちは一票でも多くの議員票、党員票を得ようと追い込みに入っている。おぼろげながら上位3人の姿は見えてきた感があるが、「最終的に誰が当選するかは全く分からない。こんなことは初めてだ」(全国紙デスク)という。ほとんどの派閥が解消し、自民党議員が“原子化”された結果だろう。
政治資金パーティーを巡る問題など、派閥に負の側面があったことは否めない。世論調査でも、派閥の解消に賛意を示す国民は圧倒的に多い。だが、誤解を恐れずに記すならば、同じ政策や夢を抱き、同じ釜の飯を食い、親分(領袖)のために汗をかくことは必ずしも悪いことではない。義理や人情が尊ばれるわが国においては、見方によっては最も日本人に適した集団だともいえる。
もちろん、たとえ以前は“仲間”でも、すでに多くの派閥は解消されているため、たもとを分かって総裁選に出ることは非難されるべきでない。岸田文雄首相も「われこそはと思う方は、積極的に手を挙げてほしい」と奨励した。実際、旧茂木派(平成研)から茂木敏充幹事長と加藤勝信元官房長官が、また旧岸田派(宏池会)から林芳正官房長官と上川陽子外相が立候補している。
しかし、各候補の推薦名簿を見て、目を疑った永田町関係者は少なくない。かつては親分を総理総裁に押し上げるために同じ派閥にいながら、昨日の友は今日の敵のことわざそのままに、今回の総裁選で堂々と他候補の推薦人になったり、平然と応援したりする者がいるのだ。たまたま同じ県の選出ならば応援することはやむを得ない。だが、義理や人情などは過去の遺物になり、“わが身ファースト”が一層強まってきているようだ。
とりわけかつて石破元幹事長を支えた“仲間”たちだ。石破氏が2015年9月に立ち上げた派閥(水月会)は約5年存続し、その間、一致団結して総裁選にも挑んだ。だが、何があったのか、なぜ仲違いしたのかは分からないものの、なかんずくその幹部だった者たちが今回の総裁選で他候補の推薦人になったりして、直接間接を問わず、「石破政権」の芽を摘もうと懸命になっているのはどうも解せない。
例えば田村憲久元厚労相。解散前の岸田派に名を連ねていたとはいえ、今回の選挙では林氏の選対本部長だ。石破派を立ち上げるときに尽力した山本有二元農相は、なぜか小泉氏の推薦人になっている。総裁選に挑むのならばともかくも、斎藤健経産相は古川禎久元法相とともに小泉氏支持を明言した。多かれ少なかれ、みんな石破氏の世話にもなったはずだ。
確かに石破派は3、4年も前に解散している。石破氏に何かしらの原因があることも想像がつく。党内から白眼視されたくない心境も理解できる。だが、ともに逆境や苦節に耐えながら「石破政権」の誕生を夢見た“仲間”だったにもかかわらず、ここまで割り切れるものなのか。政治、とりわけ選挙は“仁義なき戦い”などと評されるが、せめて惻隠の情や武士の情けで、あからさまな敵対は回避すべきだったのではないか。どうしても敵対するのであれば、それこそ説明責任が求められるのではないか。
すでに政界から引退した党三役経験者の一人は、「政治は継続が重視されるアナログ社会のはずが、今では人間関係もすっかりデジタル化されている」と指摘する。「派閥の解消はその流れに拍車をかけるのではないか」と問うと、「いやいや、むしろ義理だとか恩といったものが軽く扱われるようになったからこそ、派閥はいとも簡単に解消になったのだろう」と紙のように薄くなった永田町の人情を嘆いた。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。
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