今回は、mtrikaさんが8月23日に投稿した「彩波憧」を紹介する。

 ピアノと初音ミクの声のみで紡ぎ出された、シンプルながらも奥深い1曲。今は手の届かない場所にいる、ひとりの愛する女性を思い、作品を綴っていく男性の物語が、海の見える防波堤を舞台にしたイラストによって鮮やかに描き出される。

 透明感のあるピアノの音色は、まるで透き通った海のなかを漂う光のように、素朴ながらも確かな生命力を感じさせる。そこに寄り添うミクの声は、柔らかく、そしてどこか儚げで、例えるなら海に溶け込み沈んでいく泡沫。このミクの儚さと、ピアノの旋律に秘められた力強さの対比が楽曲に与えているのは、繊細な美しさだろう。

文/小町 碧音(こまち みお)


 愛する女性を失った喪失感を、「あなたが見えなくなった日 明日の右側が欠けていた」と表現する男性は、サビに差し掛かると「あなたを描いたなら 僕は遠い街へ歩き着く」と、力強い決意を歌い上げる。同時にピアノの音色も変化し、深みとダイナミズムを増していく。それは、愛する女性を描くという行為が、彼に新たな力と希望を与えていることを示唆している。

 再び、途切れそうなピアノの音色が登場し、サウンドアプローチが奥行きを感じさせる2番に突入する前のインタールード。「人には見えない速さで 地球は遠ざかっている」という歌詞に呼応して、ピアノの音色が急ぎ足になっているフレーズや力感が高まったピアノにも耳を傾けると、作者の繊細な表現意図が込められているのが伝わってくる。

 MVの後半では、回想シーンを通じて物語はさらに味わいを深めていく。「あなただけを描いた いつしかすべてが作品になってゆく」という歌詞から次第に映し出されるのは、「山裾に夏帽振れば風が吹く」の風景で、夏帽を被った女性が今男性がいる場所に立っているイラスト。正しく、過去の幸せな記憶と、現在の喪失感が交錯する、切なくも美しいシーンだ。

 光が見えない中でも一筋の光を信じ、待ち続ける男性の姿が描かれるクライマックス。そこから、「かたちもないままにあなたが立っている」という歌詞と共に、海の入り口で夏帽を被った女性と再会を果たす。現実と幻想の境界が曖昧になる、感動的な瞬間。その後の海のさざ波の音は、現実世界へと回帰する合図にも聞こえる。

 「彩波憧」は、現実と幻想、過去と現在、喪失感と希望といった、様々な要素が生み出す複雑な感情を描いた作品。

 また、ピアノの音色、ミクの歌声、映像が三位一体となる複合的な側面から、心に深い感動を与えてくれる。作者のmtrika氏の繊細な感性と、音楽に対する深い愛情表現が、本楽曲を色付けされた作品に昇華させたのだ。

 彩波憧は前作「暮葉抄」と対になる曲となっているので、合わせて聞いてみてほしい。

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