10月1日に首相になった石破茂氏は、衆院選挙を10月27日に実施すると表明。自民党総裁・首相に就任したとたん、総裁選中とは違うことを言い出したことで、「豹変」「変節」といわれている。だが当の石破首相の胸中は「豹変で何が悪い」という気持ちだろう。
石破首相が旧中曽根派として初当選した当時は、中曽根内閣だった。現在では中曽根内閣の評価は高いが、中曽根康弘元首相は機をみて敏に動くことから「政界の風見鶏」と揶揄された。その政権運営を間近に見てきた者として、「風見鶏こそ、政権操縦術」というのが、石破首相の本音だろう。
石破首相の政治人生は、1983年に木曜クラブ(旧田中派)事務員としてスタート。中曽根内閣が発足した翌年だ。その後、田中角栄元首相が、旧中曽根派の重鎮である渡辺美智雄元通産相に預ける形で1986年、鳥取全県区で当選する。
そのため、石破首相は「本籍・田中派、現住所・政科研(旧中曽根派)」と、派閥全盛の自民党内では旧中曽根派からも旧田中派からも疎んじられた。その29歳で初当選した時の苦い経験から「永田町人脈よりも政治信条、政策」との思いを強くし、人付き合いが悪くなったといわれる。
党内基盤が弱いことから、角栄氏の助けで成立した中曽根内閣は「直角内閣」「田中曽根内閣」と批判を受けながらも、「戦後日本の総決算」を掲げて様々な政策を成し遂げた。
石破内閣も首相自身の党内基盤が弱いことから岸田文雄、菅義偉の両元首相の力を借りており、当時の中曽根内閣と似ている。その中で結果を出すには、「風見鶏」は大いに参考になる。
「風見鶏というのは悪くない。というのも、足は固定しているんだ。しかし、体の上だけが風で動いている。内外の状況によって対応が異なっているというのは、政治として当たり前のことなんですよ」
と語っている。石破首相にとって、これは金言だろう。
(健田ミナミ)
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