韓国は、ご存じの通りキリスト教の国だ。といっても、イエスキリストの教えである聖書をもとにした教えを広めるはずのキリスト教とは、かなりかけはなれたキリスト教の教会が乱立している。時に、そこの牧師(プロテスタント、妻帯OK)や神父(親方バチカン、独身)がイエス様化というか教祖になって、独自解釈のオリジナル化したキリスト教を解く。

 もちろん、仏教というか寺院も存在する。この寺院の話題は日本だと、韓国にある仏像が日本所有のものとか、日本に韓国にあるべき仏像とかくらいで宗派ごとに正しく仏道を解いていると思われる。

 27年前…1997年に韓国のとある寺院で賽銭泥棒事件が発生。犯人は当時少年だった。まず賽銭箱ごとなくなって、お寺でも警戒をしていたところ、味をしめたこの少年が二回目の犯行をしに来た。その時に、1人の僧侶が無言で肩をたたき、窃盗は失敗した。けれど、その僧侶が無言であったように、寺側から責められることも、逮捕されることもなかった。そして時は流れた。

 このほど、賽銭箱に、3万ウォン(日本円にして3300円)と、27年前の1度目の窃盗を謝罪する手紙が入っていた。手紙には「これまで謝りに来ることができなくて申し訳なかった」「二度目を見逃してもらった時、一度目は借りたお金だからいつか返さなければと思って生きてきた」「もうすぐ父親になるので、きちんと仏様に謝って、立派な父親になりたい」など切々綴られていた。

時効だ。名前はなかった。

 肩を叩いた僧侶はまだその寺にいた。自分が彼の更生に関与したなどと自慢もせず、いい父親になってほしいとだけコメントした。

 我が国で、もしかしたら、「無言の仏教の行」こそが心を救うのかもしれない。お釈迦様の徳というのは、いろんなところで働いている。

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