中野信子いわく「頭のいい男性はクジャクの尾羽のようなランナウェイ説が当てはまるかもしれない」
中野信子いわく「頭のいい男性はクジャクの尾羽のようなランナウェイ説が当てはまるかもしれない」

ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。前回からのゲストは脳科学者の中野信子さんです。ひろゆきが中野さんに聞きたかったこと。それは「なぜ頭がいい人は嫌われるのか」。そして、われわれが無意識に感じている身長の高さと社会的地位の関係も。勉強になります。

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ひろゆき(以下、ひろ 中野さんに聞きたかったのは「なぜ頭がいい人は嫌われるのか」ということなんですよ。普通、能力が高い人って好かれるじゃないですか。例えば「足が速い」とか「野球がうまい」とか。でも、頭がいい人ってけっこう嫌われますよね。

中野信子(以下、中野 確かにそうですね。

ひろ 頭の良さが好かれることにつながらないのはなぜですかね。

中野 人類の進化史を考えると「頭がいい」=「好かれやすい、選ばれやすい」にはなりにくいからではないでしょうか。一方で足の速さなどの身体能力が重視されているのは、肉体を駆使した戦いの歴史が長かったためと考えられます。現代の戦争においてすら身体能力の高さは極めて重要です。強い個体を選好し、それに従えば、自身は弱くても生き延びられる確率は高くなる、という状況が何世代にもわたって続けば、当然、身体能力の高い個体を選好する性質は強くなっていきます。逆に、頭がいい人についていっても、その人は生き残るために自分だけ逃げたりする可能性が(笑)。

ひろ あはは(笑)。つまり、頭の良さが生存や生殖に直結する時代は、人類の歴史の中でもまだ短いということですね。

中野 今でも実は直結しないですよね。ここ200〜300年くらいは、頭がいいことと社会経済的地位との間にやや相関が見られるようですが、たかが数百年では遺伝的なベースのある選好は変わらない。もし、この先1万年くらい頭のいい人が生き延びやすい時代が続けば変わるでしょう。

ひろ 前回の話じゃないですけど、頭が良くて合理的に考えると「あいつは人の心がない」と言われたりしますからね。

中野 頭がいいことと、社会性(順番を守ったり、譲り合ったりする集団で生きるためのルールなど)は必ずしも方向が一致するわけではないんですよ。社会性は脆弱な個体を助けるためのものですから。もし、将来的に人類の個体が単独で生殖も摂食も可能で、次世代の養育の必要もない環境が長く続けば、人類が社会性を持つ必然性はなくなります。そうなると頭の良さが生存確率に直結する世界になる未来がありえます。

ひろ いずれにしても、めっちゃ時間がかかりそうですね。ただ、もっと不思議なのは、人類は頭の良さや科学的知識に対して逆行することがあるじゃないですか。

中野 というのは?

ひろ 例えば、医学の進歩を見ても必ずしも合理的な方向に進んでいるわけではないですよね。天然痘を予防する種痘や、麻疹(はしか)のワクチンのように科学的に有効性が証明されているものでさえ、受け入れられるまでにかなりの時間がかかっています。

中野 生物学者や進化社会学者と「人間の知能の発達は必ずしも生存に直結するものではなかったかもしれない」という話をしたことがあるんですよ。例えば、現代では頭のいい男性は一見モテる傾向があるような感じがしますよね。でも、これはクジャクの尾羽のような性選択によるランナウェイ説が当てはまるかもしれないんです。

ひろ ランナウェイ説?

中野 進化生物学における性選択の理論のひとつです。クジャクの尾羽がわかりやすい例で、長い尾羽は生存には不利ですが、メスに好まれるために進化してきました。同じように高い知能も、「実はいらないんじゃない?」と。生存には必要ないけれど、配偶者選択の過程で選ばれて無駄に高くなりすぎた可能性があるんです。ですから、「知能は高いほうがいい」が本当にいいことなのかどうかを吟味する意味はあるかもしれません。

ひろ でも、最近の社会の変化を見ると、知能の高さと経済的成功や子孫を残す確率が結びつき始めているようにも思うんですよ。例えば、国勢調査(2020年度)によると、日本人男性の生涯未婚率は男性が約28%、女性が約18%です。一方で、20代の年収600万〜700万円未満の男女の既婚率は65%で、年収200万円未満の約6倍というデータがあります。現代では知能の高さと収入が密接に関連していますし、それが結婚や子育ての可能性に直結する時代が始まっているんじゃないでしょうか。

中野 私たちは、今まさにその変化の黎明期にいるのかもしれませんね。

ひろ 一方で、高身長な男性が選ばれやすく、生存や生殖に有利であるという考え方は、現代でも強く残っていますよね。昔のように肉体で戦うような時代ではなくなったのに。

中野 そうですね。まず、肉体を使う争いが完全になくなることはないからでしょうね。私たちが身体性を持っている限り、体格の優位性は残り続けると思います。さらに重要なのは、高身長に対する私たちの潜在的なバイアスです。

ひろ というのは?

中野 具体的には、私たちは無意識のうちに「社会経済的地位が高い」ことと「体が大きい」ことを混同しがちなんです。多くの人は、体の大きい人に対して無意識的な畏怖や恐れを感じています。こういう話があるんです。大学には、大学院生、助教、講師、准教授、教授という職位があるじゃないですか。で、面白いことに同じ人物の写真を見せても、その人の肩書によって見た人が予想する身長の平均値が変わるんですよ。つまり、同じ顔でも教授と聞けば背が高く、大学院生と聞けば背が低く見られる傾向があるんです。

ひろ マジすか。

中野 私自身の経験でも、このバイアスの影響を強く感じます。実は私の身長は158cmで、日本人女性の平均身長です。ところが初めて会う人の多くは「思ったよりずっと小さいんですね」と驚かれることが多いんですよ。

ひろ 中野さんの肩書や業績から、もっと背が高いはずだと思い込む人が多いんですね。

中野 多くの人が「社会経済的地位と身長は一致するはずだ」という根拠のない思い込みを持っていることの表れだと思います。

ひろ でも、その思い込みにも一定の根拠はあるんですか?

中野 これまでの人類史において、体格のいい人が社会的に成功する傾向があったのは事実です。実際の戦闘場面でも、体格のいい人が有利だったでしょう。そして、多くの国でやはり貴族の人たちの身長は高い傾向がありますよね。

ひろ 確かにイギリスチャールズ国王やウィリアム皇太子も高身長ですよね。

中野 貴族階級と一般市民の間には、平均身長に明確な差があります。これは単なる偶然ではなく、長年にわたる社会的選択の結果かもしれません。

ひろ そう考えると「体が大きい=社会的地位が高そう」というバイアスは、なかなか変わりそうにないですね。

中野 意識的に対処できるレベルを超えた、深い心理的反応ですからね。このバイアスがなくなるには相当な時間がかかるでしょうね。ですから、当面は「知能が高い」よりも「体が大きい」ほうが社会的に有利な状況が続くと考えられます。

ひろ うはは。

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西村博之(Hiroyuki NISHIMURA 
元『2ちゃんねる管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など 

■中野信子(Nobuko NAKANO) 
1975年生まれ。東京都出身。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに勤務後、帰国。主な著書に『人は、なぜ他人を許せないのか』(アスコム)など

構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾

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