メジャーリーグのポストシーズンは、前日のメッツに続き、ヤンキース地区シリーズを突破。2日後には今季の“4強”が出そろう。

 現地11日(日本時間12日)には、ナ・リーグ西地区のライバル同士の一戦、ドジャー対パドレの地区シリーズ第5戦が行われる。これまで4試合を終えて2勝2敗の両者は、総得点もドジャースの22得点に対して、パドレスが20得点とまさにがっぷり四つ。勝ち名乗りを上げてメッツとのリーグ優勝決定シリーズに駒を進めるのは果たしてどちらのチームとなるか。

◆第5戦は「ダルビッシュVS山本由伸」が実現へ

 このシリーズは序盤から得点が入り、試合が動くことが多い。第5戦も例に漏れず、先発投手の出来が大きなカギを握りそうだ。

 パドレはダルビッシュを中4日で先発マウンドに送り込む。第2戦では、大谷を完璧に抑え込むなど、7回1失点の好投を見せ存在感を発揮した。

 一方のドジャースは、山本由伸の先発を発表した。ジャック・フラーティ、もしくは第4戦に続く“ブルペンデー”になる可能性もあったが、エースに全てを託す。

 ただ山本は第1戦で3回を投げて5失点。安定感を欠く投球を見せていただけに、デーブ・ロバーツ監督も早め継投策を強いられる可能性が高い。フラーティ以下、救援陣をどんどんつぎ込む形となるはずだ。

 シリーズの流れとしては、パドレスが先に王手をかけたが、ドジャースが第4戦を敵地で快勝。最終決戦は、ロサンゼルスが舞台となるため、ドジャースが優位になったという声も目立つ。

◆大谷本来の打撃が影を潜めているワケ

 ただ、気になるのはドジャースの主砲・大谷翔平の状態だ。

 打者一本で臨んだ今季は、レギュラーシーズンで「54本塁打&59盗塁」という歴史的偉業を達成。チームはワイルドカードシリーズを免除されたため、5日間のオフを挟んでパドレスとの地区シリーズに臨んだ。

 大谷は第1戦で同点3ランを含む2安打を放つなど、自身初のポストシーズンで絶好のスタートを切った。ところが、第2戦を4タコで終えると、続く2試合は単打が1本ずつ。4試合を終えて、16打数4安打(打率.250)、1本塁打、3打点、7三振と、大爆発したレギュラーシーズン終盤に比べると、自慢の打棒はやや湿り気味だ。

 本来の打撃が影を潜めているといえそうだが、4試合全てがナイトゲーム(17~18時台に開始)で行われているのも要因の一つではないだろうか。

 地区シリーズの舞台となっているロサンゼルとサンディエゴは、どちらもカリフォルニア南部に位置し、半乾燥性亜熱帯に属する温暖な気候。10月でも日中は20度を超える快適な環境だ。しかし日が沈んだ後は湿度がやや高くなり、デーゲームに比べると、打球は飛ばなくなる。

 実際にレギュラーシーズンでの大谷はナイトゲームとデーゲームで成績に大きな差があった。

 デーゲームでは、42試合で打率.357、19本塁打OPSは1.244に上った。これに対して、ナイトゲームでは、117試合で打率.293、35本塁打OPSは.962OPSの違いを見ても、大谷はよりボールを見やすいデーゲームを得意にしていたことがわかるだろう。

 1勝1敗で迎えた地区シリーズ第3戦では、センター方向へ高々と舞い上がった大谷の飛球がフェンス手前で失速し、センターフライとなった。これもデーゲームであれば柵越えかという当たりだった。

◆第4戦では大谷らしからぬプレー

 大谷自身の打撃がなかなか本調子に戻らない中、第4戦ではしびれを切らすような“大谷らしからぬプレー”も見られた。

 それが、5点リードで迎えた4回表。四球で出塁した大谷は、好走塁で二塁に進むと、4番テオスカ・ヘルナンデスの三塁線を破る当たりで本塁を突いたが、あえなく本塁でタッチアウトとなってしまった。

 普通なら打球はレフのファウルゾーンに転がり悠々ホームインとなるはずだったが、なんと打球が三塁塁審の左腕を直撃。ボールが三塁手マニー・マチャドの近くに留まったため、大谷は本塁で憤死してしまったのだ。

 このプレーを冷静に見ていた三塁コーチは大谷を制止していたにもかかわらず、結果的にこれを振り切っての走塁死。さらに大谷は、ベンチに引き返した後、映像を確認すると、悔しさを露わにして声を荒らげるようなシーンもあった。

 これは大谷の勝利に対する執念が生んだ行動ともいえるが、逆に自身初のポストシーズンで気持ちが高ぶりすぎている結果ともいえなくはない。

ダルビッシュ相手に雪辱なるか

 泣いても笑っても第5戦で地区シリーズの勝者が決まる。大谷は自慢の打棒を爆発させ、ヒリヒリする秋を続けることができるのか。前回対戦では、ダルビッシュの多彩な変化球で手玉に取られているだけに、リベンジに燃えているはず。見どころ満載の一戦に注目が集まる。

文/八木遊(やぎ・ゆう)

【八木遊】
1976年和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球MLBNFLの業務などに携わる。

写真/産経新聞社