イタリア生まれのスクーター「ベスパ」。その歴史はスーパーカブよりもはるかに長く、独創的な機構とデザインが愛されてきました。ベスパの何がそんなにすごかったのでしょうか。
オードリーがまたがったのは「ベスパ」だから!
イタリアのピアッジオ社が1946年に誕生させたスクーター「ベスパ」。一般的には、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックがまたがったことで知られ、日本ではドラマ『探偵物語』で松田優作が愛用していたことを思い出す人も多いのではないでしょうか。
しかし、ベスパは後述するような独創性から、こういったエピソード以上に世界中のバイクユーザー、乗りものファンの間で知られた存在です。2021年時点で累計販売台数は1900万台を突破。現在のベスパは旧タイプの独創性こそ薄まっていますが、あと2年で80周年を迎えることから「特別な意味を持つスクーター」として多くの人に見られています。
ベスパを誕生させたイタリアのピアッジオ社は、もともと船の建具などを作る会社でした。そこから飛躍し、鉄道車両や軍用機も製造するようになり、第二次世界大戦時にはイタリアを代表する飛行機メーカーになりました。
しかし、イタリアは敗戦国となり軍需が激減。また、戦後の貧しい時代でもあり、ピアッジオ社は事業の方向転換に迫られました。
すでに戦時中、のちのスクーターの原型となる他社製のバイクが存在しました。それはパラシュート部隊向けの組み立て式バイクです。ピアッジオ社はこれをモデルにし、試行錯誤の末に1946年にベスパを完成させました。
ベスパはフレームとボディを一体化させたスチールモノコック式で、前輪にはフロントフォークがない片持ちサスペンションを採用しています。これは航空技術の応用で、飛行機の着陸装置のランディングギアと同じ構造でした。また、ハンドルでの3速ギアシフトを実現し、スカートとヒールを履いた女性でも運転できるバイクにしました。
これらの独創的で斬新な構造とコンセプトから、冒頭で触れたようにオードリー・ヘプバーンも簡単に運転することができたというわけです。
古き良き時代が終わりを迎えたのは?
ベスパはまず、ヨーロッパ各国で注目を集めます。発売から数年後のドイツ、イギリス、フランスでのライセンス生産を皮切りに、世界各国に輸出またはライセンス生産の体制が確立され、一時期は114か国にも及びました(現在は83か国)。
ある意味で「日本のスーパーカブ以上に、世界中の人々に知られたバイク」であり、発売から10年となる1956年には100万台を突破。さらに1965年には350万台の累計販売数を突破しました。
また、高まる支持に伴って誕生当初よりラインナップも増え、「時速100km」を実現する4速シフトのスポーツモデルや、逆に学生でも気軽に乗れる小型モデルの「ベスピーノ」なども登場。さらに1972年以降は、電子点火式を装備したモデルも登場し、1980年のパリ・ダカールラリーでは完走を果たしました。
「ベスパ」の名はスズメバチに由来します。2ストロークエンジン特有の「パンパンパン」というベスパのエンジン音が、イタリア人にとってはスズメバチの鳴き声に似ているとしてこの名になったわけですが、1990年代以降、世界中で高まる排気ガス規制に適合させるかのごとく、誕生から50年目の1996年にはCVTトランスミッションの4サイクルエンジンモデルを発売し、大幅なリニューアルを図ることとなりました。
以降、旧来式のベスパは少しずつ生産台数が減っていき、ギア付き2サイクルモデルは、2016年まで生産されたPXを最後に、以降は完全になくなりました。
今のモデルもやっぱりベスパらしさ
ただし、ベスパのスクーターとしての意匠と、スチールモノコックボディ、前輪の片持ちサスペンションなどの伝統的な構造は今日のモデルにも踏襲されています。誕生から78年が経過した今もベスパは、やはり現行スクーターの中でも特別な意味を持ち続ける乗りものとして知られています。
イタリア本国では2018年に電動式モデルも登場するなど、さらなる未来へと進むベスパですが、その一方で個体数が年々減る旧式ベスパのプレミアム価値も高まり、世界各国で旧式ベスパのオーナーズクラブなどが熱心に活動をしているのも特徴です。
あと2年で80歳を迎えるベスパ。これだけ長きに渡って愛され続けるバイクは、世界中のあらゆる二輪車の中でも「特別な存在」だと言って良いと思います。
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