法務大臣を経験した元衆議院議員の河井克行さん(61)が10月20日、選挙買収事件で言い渡された懲役3年の刑期満了を迎えた。法務省の元トップがかつて所管していた刑務所に入るという前例のない事態を経て、今何を思うのか。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●「帰る場所を失った人がいた」「『お帰りなさい』という妻の声を一生忘れることはないと思います」
2023年11月29日、河井さんは服役していた刑務所「喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センター」(栃木県さくら市)を仮釈放された。その時、迎えにきた妻・案里さんの一言を今もはっきりと覚えているという。
2020年6月18日に逮捕されてから約3年5カ月が経っていた。塀の中で身柄を拘束され自由を制限された日々は、これまで気づかなかった”当たり前”のありがたさを強く感じさせた。
河井さんは法務副大臣の時に全国の刑事施設を視察して回ったり、退任後に出所者の更生を支援する議員連盟を立ち上げたりして、受刑者の立ち直りに関する政策に取り組んできた。しかし、実際に当事者として塀の中に入ると、それまで外から見ていた風景が一変したという。
「受刑者と聞くと、犯罪を犯した恐ろしい人たちだと思うかもしれません。でも、刑務所で出会った受刑者たちは仕事や財産、誇りを失っていた。家族や親族からも縁を切られ、面会や差し入れがほとんどなく、帰る場所を失った人たちでした」
●戻りたくないのに塀の中に戻ってくる受刑者喜連川社会復帰促進センターには、起こした事件の内容が比較的軽い初犯の受刑者らが収容されている。そんな場所で河井さんは孤独な犯罪者たちの”声なき声”を初めて知ることになった。
「ある受刑者が『刑務所は再犯生産工場や』と言ったんです。法務省としては、そんなつもりで刑事施設を運営しているわけはまったくない。でも、受刑者が『もう入りたくない』と思っているのに刑務所に戻ってきてしまう現実があるのです」
そして、次のように続けた。
「私は選挙区も収入も名誉も地元との繋がりも全て失った。それでも、こんな状態になった私を妻は見捨てずに支え続けてくれた。大切な存在が身近にいることに気づかされたことが刑務所で得られた財産です。
今回、究極の現場体験をしましたが、ある意味で良い経験になりました。出所者が刑事施設の課題を指摘しても社会はまともに相手にしてくれません。でも元法相という経歴を持つ私の話なら耳を傾けてくださるかもしれないので、彼らの”声なき声”を社会に発信していきたいと思っています」
●拘禁刑導入に向け提言「現場の声の徹底した聴き取りを」来年6月、これまでの「懲役刑」と「禁固刑」を一本化し、受刑者の立ち直りに重きを置いた「拘禁刑(こうきんけい)」が導入される。刑罰の種類が変わるのは明治40(1907)年に刑法が制定されて以来だ。
日本の刑事政策が大きく転換しようとする歴史的なタイミングで受刑者となった河井さん。拘禁刑の導入に向けて、元法務大臣・副大臣と元受刑者という両方の立場から述べたいことがたくさんあるという。
「もう決まったことだからしょうがないけど、まず拘禁刑という名前がちょっと芸がない。教育の観点を重視するというのが法律を改正した趣旨なのに、拘束の『拘』と、これまで禁固刑などで使ってきた『禁』という字を合わせて、いかにも役所らしい、取ってつけたような名前だなと思います」
現在、拘禁刑の導入に向けて全国の刑事施設で様々な試行的取り組みが始まっている。そんな中、河井さんは今年6月、服役中に書きつづった月刊誌の連載をまとめた『獄中日記』(飛鳥新社)を出版した。
その中で「刑務所改革への提言」として、(1)刑事施設職員や出所者への聞き取り(2)職員の意識改革と態勢増強(3)受刑者の心を動かすプログラムと多種多様な情報を提供する体制づくりーーの3点を上げている。
「物事を変える時は現状をきちんと把握して分析しなければなりませんが、それができていません。
その原因は、刑務所がピラミッド型の組織であり、現場の最前線にいる刑務官が上に提案する文化がないからかもしれません。ですから、まずは現場の刑務官や元受刑者たちが何を考えているのか、徹底的に聴き取る必要があります。
そして、もし私が現職の法務大臣だったら、矯正の現場を全く知らない畑違いの人材を外部から集めて諮問委員会のようなものを作って、これまで役所が気付かなかった新鮮な角度から、受刑者の意識を踏まえた再犯をしなくなる処遇のあり方をぜひ検討させたいですね」
●自主性を奪う刑務所 「立ち直りは本人任せ」河井さんは著書で、受刑者が作業中にトイレを行き来するだけで18回も刑務官の許可を得なければならなかったエピソードを紹介している。
塀の中では徹底的に「自主性」を奪われる。それなのに、外に一歩出ると自分の頭で考え、行動しなければならない。塀の中と外とのギャップはあまりにも大きく、刑務所が立ち直りを阻むハードルを自ら生んでいるという見方さえできるのが実情だ。
「刑務所は国民に対するサービス産業だと思います。犯罪が減ることによって一番便益を得られるのは国民です。今の刑務所は施設を管理・運営するという発想ですが、サービス産業だと考えれば、受刑者の意識を変え、真っ当に人生を生き抜く力をつけさせることを一番大事にするようになるはずです。一生刑務所に押し込めてなんておけない。いつかは社会に戻すわけでしょ。出所した後の人生を刑務所に入った瞬間から考えさせる環境を整えなければなりません」
日本では今、刑法犯の認知件数が大きく減少傾向にある。一方で、刑務所を出た人の約半数がまた塀の中に戻ってきているという現実もある。そもそも懲役刑に意味はあるのだろうか。
「本人が反省しているかどうか、確かめるすべはないんです。私は出所した後のことを考えて、自由時間に本を合計で870冊読んだり英語の語彙を数千増やしたりして毎日毎日勉強しました。でも、多くの受刑者は自由時間に布団にくるまって寝ていました。もったいないなと思ったけど、刑務所では誰かが導いてくれるというようなことがありません。職員が受刑者の心情を把握する面接も入所直後の1回を除けば皆無でした。本当に受刑者任せにさせられているんです」
●検察の捜査に疑問「明示的な決まりを作るべき」新聞報道によると、河井さんは2019年の参議院選挙で、妻の案里さんを当選させるために広島県内の議員ら100人に選挙運動報酬として合計約2900万円を配ったとして、東京地裁で懲役3年、追徴金130万円の実刑判決を言い渡された。
起訴内容を争ったが、「政治家として責任を取る」として刑に服することを決めた。だが、今も検察の捜査に疑問を持っているという。
当初、河井さんから現金を受け取った人たち全員が不起訴とされたため、河井さんの弁護団は裁判で「違法な裏取引が検察の取り調べで行われたことは十分に推認される」と主張したが、判決では無視された。
しかしその後、検察審査会の議決を経て被買収側の9人が在宅起訴、25人が略式起訴され、有罪判決が下った。
「弁護団は、最初から起訴されると分かっていたら『あの金は選挙買収でした』と自らが失職することに繋がるような、検察が欲しがる供述なんてする訳がないと考えて、私の政治的な責任とは別の観点から法律の運用や捜査の手法として検察が被買収側を全員不起訴としたのはおかしい、嘘の証言を生むものだと主張しました。それに、当局の恣意的な判断で『これはアウト』『この人はセーフ』と決めるのは危険です。
政治家は常に次の選挙が頭にあります。それを捉えて選挙買収だと断じれば、お店で買い物することなどおよそ政治家が行う日常生活全てが買収になってしまう。国会議員のみなさんは『自分は関係ないよ』と思っているはずです。私もこれまで先輩の議員が捕まることがありましたが人ごとだと思っていました」
河井さんはそう吐露したうえで、条文に曖昧さが残る公職選挙法を改正する必要性に言及した。
「だから、例えば、投票日から6カ月以内はいかなる理由でも金銭のやり取りをしてはいけない、などという明示的な決まりを作るべきだと思います。そうしないとその時々の情勢次第で政治家はいくらでも逮捕されますよ」
この話の流れで、記者は自民党の裏金問題についての見解を尋ねようと考えていたが、「自ら関わっていないので分かりません」という理由から話は聞けなかった。
●「囚人のパラドックス」と「受刑者脳」<大多数の受刑者は工場では真面目に作業し、居室でもおとなしく過ごし、毎日規則正しい生活を送っている。しかしながら、そうやって一日も早く仮出所を認められたい一心で受刑生活に適応しようと真剣に努力すればするほど、次第に「塀の外」ではなくて、「塀の中」の方が「現実」に思えてくる。そして、出所後の自分の姿が想像しにくくなってしまう>(「獄中日記」から引用)
さらに、受刑者は社会復帰後の生活に不安が高まる一方となるため、とりあえず今は刑務所の生活だけを考えようと思考停止に陥ってしまうという。
こうした実情を河井さんは、「囚人のパラドックス」や「受刑者脳」と表現する。加えて、日本は諸外国と比べて社会と刑務所の間にある「壁」が厚いことも拍車をかけていると指摘する。
更生に役立つ情報の不足、心情把握の機会の欠如、自主性を奪う処遇、閉鎖的な組織風土など、日本の刑事施設はさまざまな課題を抱えている。しかし、それは刑務所だけの問題ではないという。
「起訴することによって、あるいは判決文を書くことによって、目の前の人が刑を終えて出た後にどういう人生を歩むことになるのか。そうしたことへの想像力が欠けているのではないでしょうか。裁判所や検察庁は自分の庭しか見ていないような気がします。裁判官や検察官には一週間でもいいので刑務所に体験入所してほしい(笑)。そうすれば少しでも日本の刑事司法の全体像をつかめると思います」
河井さんは、所属や肩書きの部分が空白となった名刺を手に新たなスタートを切ろうとしている。
「再犯のない社会作りの役に立ちたい。世のため人のために尽くし、日本や広島のために貢献していきたいと考えています」
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