地元の親友は長い時間を共有してきたからこその特別な関係を築いている場合も多いだろう。だからこそ、縁が切れた場合は悲しみもひとしおだろう。松田裕太さん(仮名・28歳)は、地元の友人を失う以上のつらい経験をしたという。
◆なんでも知っている友人たちから“敵”扱いされるように
「地元の友人たちとは、食べ物の好き嫌いから、好きな異性のタイプ、人生でいちばん辛かった時のこととか、なんでも知っていて、どんなことでも相談できるような間柄でした。そんな友人たちから敵認定されるようになったんです」
友人たちとの関係を疎かにしたというのなら、敵対視されるのもまだわかるが、松田さんの場合はそうではなかった。
「自分は大学に入学したときに上京したんですが、夏と祭りがある秋、年末年始には必ず帰って、友人たちとの時間を持つようにしていました。社会人になってからも変わらない頻度で帰省していて、地元の友人たちとの関係はずっと良好な状態でした」
◆帰省した際に会った友人たちの様子がおかしかった
関係性に変化があったのは、社会人になって3年目に、転職してからのことだという。
「企業のマーケティング支援を行っている会社に転職しました。メーカーに勤務していた頃に、マーケティングで製品の売り上げが大きく伸びるのを目の当たりにして、自分もやってみたいと思うようになったんです。そうして転職したものの、最初は右も左もわからず、一定の仕事ができるようになるまでは、かなり苦労しました」
それでも定期的に地元に帰り、友人たちと過ごす時間を大事にしていた。
「転職して数年経った頃のことでした。夏に地元に帰省してみると、友人たちの様子がおかしかったんです。いつもみんなで会える日を調整して帰っているので、全員で集まるのが恒例でしたが、2人がドタキャンして、男友達2人、女友達1人の3人としか会えなかったんです」
その場に友人たちの様子もいつもと違うものだった。
「集まった友人たちの様子も変で、やたらとよそよそしくて……。祭りの話をふっても冷めた様子で全然話に乗って来ないのに、自分が知らない地元の話で盛り上がったりしていて居心地の悪い感じでした」
◆揶揄され続けた結果、殴り合い寸前に
疎外感を覚えながら飲んでいると、友人の1人に仕事の話を聞かれた。
「普通に仕事の説明をしただけでしたが『意識高いわ〜』と言われました。最初はちょっとからかわれているだけだろうと思い、やっといつものやりとりになったと嬉しく思ったんです。でも、仕事の説明を続けると『俺たちバカなんで何言ってるかわかんなーい』と言われたり、どんな話をしても『すごいっすね』と返されたりされ、明らかに煽ってくるような感じでした」
男友達2人からの揶揄が続く状況に、我慢も限界を迎える。
「『仕事を真面目にやって何が悪いんだよ』と反論すると、『うるせえよ。社畜が』と言われました。それでカチンと来てしまって、胸ぐらをつかみあって、殴り合う寸前の状況になったんです。女友達に止められましたが、仲直りすることもなく、その日は解散することになりました」
なぜあんな態度を取られなければならなかったのか確認することにした。
「まずは下手に出ようと思い、グループチャットで『昨日は悪かった』と謝ったんですが、無視されました。飲み会に来た男友達2人に個別にチャットしてみても同じでした。唯一、女友達だけはチャットを返してくれたので聞いてみたところ、『悪いけど、ああいう感じの扱いになっちゃってる』と言われました」
◆地元をディスるデマ投稿を真に受けていた
きっかけは松田さんがSNSにポストしたメッセージにあったという。
「SNSに、もっとマーケティングのスキルを高めて、こういうことをしたいとこれからの目標を書いたことがあったんです。そのポストが地元の飲み会で『意識高くね?』とネタになり、盛り上がったことがきっかけだったというんです」
そんな説明を聞いている最中に、女友達から謝られた。
「『自分のせいかもしれない』と言われました。自分をネタにして笑う友人たちを、女友達は止めようとしたそうでした。それでもネタにするので、女友達が『私は仕事がんばっててすごいと思うけど』と話すと『ただの社畜じゃねえかよ』と言い出して、だんだんと自分への悪口に変わっていったというんです」
さらには松田さんの立場を危うくする噂話も飛び交う事態に。
「決定的だったのは、自分がSNSに『あんなところでくすぶっている人間は向上心がないクズだ』とのメッセージをポストして、地元批判を繰り返しているとの噂が広まったことだったそうでした。でも、自分はそんなポストは一切してないんです。デマの出所は、違うグループの友人とのことだったので、その友人を問いただしたところ『そんな話は知らない』と言われました」
◆地元に帰るのは年末年始だけに…
その後も調べてみたが、結局デマの出所はわからなかった。松田さんは誤解を解くために、友人たちに直接話をする機会を作れないか模索した。
「電話をしても出てもらえなかったので、チャットやショートメッセージであれはデマだと説明したんですが、返答はありませんでした。唯一話ができる女友達に連絡をとって、会って相談できないか聞いてみたんですが『悪いけど2人では合わない方が良いと思う』と言われました」
人を介して伝えてもらうなど、さまざまな方法で友人たちとコンタクトを取ろうとしたが、功を奏すことはなかった。
「何をやっても無視され続け、つかれ果ててしまいました。自分的にはもうやり尽くしたという感じだったので、友人たちとのグループチャットから抜けることにしました。東京に行くことをあんなに応援してくれた友人たちだったのに、期待に応えようとした結果、独りぼっちになってしまいました。本当に悲しいです」
それ以来、松田さんが地元に帰るのは年末年始だけになった。大晦日から1月2日まで家からほとんど出ることなく過ごして、東京に戻るのが恒例になっているという。
<TEXT/和泉太郎>
【和泉太郎】
込み入った話や怖い体験談を収集しているサラリーマンライター。趣味はドキュメンタリー番組を観ることと仏像フィギュア集め
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