『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、爆速進化を続けるAIの能力向上の仕組みから、人間の「成長」について考察する。
* * *
本稿締め切り時点では"未確定情報"ではありますが、ウクライナ軍が完全自律型のドローンを実戦投入し、ロシア軍を攻撃した可能性が指摘されています。AIが人間の判断を介在させず敵を自動判別し、殺傷する――そこには法的・倫理的な多くの問題点がありますが、多くの国民の命、国の運命がかかる逼迫した状況が、AIの能力や精度を飛躍的に上げていることは間違いないでしょう。
軍事用途に限らず、AIはそこがラボであろうと、現場であろうと、あるいはバーチャル空間であろうと物理世界であろうと、目標さえ設定すれば、疲弊することも諦めることもなくひたすら学び続けます。
例えば犬型ロボットの開発においては、まずバーチャル空間でさまざまな変数を組み合わせたおびただしい数の"実験"を重ね、その学習成果を「記憶した」状態で物理空間での歩行訓練を開始するそうです。それでもコンピューターシミュレーションではカバーしきれない重力、風、水、砂や油、瓦礫など無限に等しいパターンの障害を前に、何度も何度も失敗を繰り返すのですが、AIは次第に、着実に進化していきます。
そんなAIの学習過程を調べているうちに、ふと「当たり前の結論」に到達しました。これはAIに限った話ではなく、人間も同じように、ある種の"無謀なチャレンジ"が必要なのだろうということです。
AIの学習過程でわざと想定外の状況をつくり出すように、人間も成長する上では、コンフォートゾーンから抜け出して「自ら失敗に出合いにいくこと」が重要なはずです。その失敗から学ぶこともあれば、「失敗」と思われたものが実は失敗ではなかったというケースもあるでしょう。
しかし、現代に生きるわれわれは一度手にした「便利さ」「快適さ」を手放すことはなく、簡単に失敗を回避できるシステムに依存しています。短時間で表面的な満足、留飲が下がる結論に到達できるシステムと言い換えてもいいでしょう。テクノロジーが指数関数的に進化し、"常識"がものすごい速度で覆る時代だからこそ、その"常識"に基づいたシステムこそ、まずは疑ってかかるべきなのですが。
一例として、昨今では美的価値観が急速に多様化しています。従来のハリウッド的な「狭い美の世界観」では受け入れられなかったであろうルックスの俳優が、「そういう役割」ではなく、ごく当たり前に主役として活躍しているケースも、特に配信系の作品では目立ちます。
その一方で、"標準的な美貌"や"標準的なライフスタイル"に自分を押し込む若者が多いのも、また現代社会のリアルです。テンプレートどおりに整形(カスタマイズ)することに「自分らしさ」も何もないと思うのですが、情報過多のあまり「自分らしさ」を信じきれないという、過渡期ゆえの病なのかもしれません。
かくいう私は最近、旧来的な価値観からいえば「個性的なルックス」の俳優さんに妙にハマってしまう傾向があります。もしや、私の中にある「みんなと違うものが好き」という"性質"をアルゴリズムがキャッチし、自由に生きているつもりがテーマパークに誘導されているだけなのではないか――そんなディストピア的な想像もできてしまうのですが、そこまではやめておきましょう。
コメント