現代演劇界で最も実力のある演出家の一人である森新太郎が、舞台に映像にと作品を発表するたびに俳優として高い評価を得続けている草彅剛との初タッグを実現させる。しかも演目がシェイクスピアの不朽の名作『ヴェニスの商人』となれば、誰もがその意外性に驚き、そして期待を最大限に膨らませるはずだ。まだ本格的な稽古が始まる前、自身も今回初めて取り組むことになる『ヴェニスの商人』のこと、初顔合わせとなる草彅に対する想いなどを森にたっぷり語ってもらった。
ーー『ヴェニスの商人』を草彅剛さんのシャイロック役で、という企画のきっかけはどういったところからのスタートだったんでしょうか。
出発点は「草彅さんで、シェイクスピアをやってみたくないですか?」というお話が来たところからですね。
ーーシェイクスピアで、というのが最初からあったんですか。
そうです。で、それを面白がらない演出家なんてたぶんこの世にいませんよね。そこから、シェイクスピア作品の何をやりましょうかということを、わりと長い間話し合って。メジャーからマイナーなものまで、僕もいろいろと提案はしていたのですが、プロデューサー側からある時「『ヴェニスの商人』はどうですか」と言われたんです。完全に盲点でしたね。正直に言うと、僕の中では『ヴェニスの商人』ってどこか意識的に避けてきたところがあって。なるべく、自分では演出せずにスッと通り過ぎていきたいなと思っていたというか。
森新太郎
ーーそれはなぜですか。
すごく難しいから、です(笑)。作品をご存知の方には説明する必要もないことではありますが、単なる喜劇としてはちょっと今、上演不可能な作品じゃないですか。
ーー差別的なことを笑いにしたりしていますからね。
書かれた当時はもう少し無邪気に、拝金主義をユダヤ人と結びつけて、それを笑って楽しむような物語だったのでしょうけど。その後、誰もが知っているようにユダヤ人の大迫害があって、その歴史の延長線上に我々はいるわけですから、純粋な喜劇しては扱えませんよね。
ーーしかもここ数年で、さらに時代が変わっていますし。
そう、ここへきてさらに複雑な状況になっている。今、これを上演するのは、演出家にとって非常に悩ましいんです。それを重々わかっていながら、草彅さんのシャイロック役を見てみたいという欲望にはどうしても抗えませんでしたね。これまでの自分のシャイロック像が一気に刷新されるのではないか、という予感があったんです。
ーーということは、これまで私たちが想像していたシャイロック像とは、全然違うシャイロックに今回は出会えるということですね。
そうでなければ、やる意味がありませんよね。もとは純然たる悪党として描かれたシャイロックですが、時代を経てだんだんと悲劇性がピックアップされるようになり、ナチスによるユダヤ人迫害後は誰よりも悲惨で可哀想な、つまり最も同情を集める存在として表現されることが多くなりました。だけど全編に渡ってその弱者性ばかりが立ってしまうと、この物語が本来持っているスリルや面白味が失われてしまう気がするんですよ。悪党であるシャイロックが不意に鋭利な真実を口にするから、こちらも思わず考えさせられたりするわけで。問題はこのキャラクターをどう作るかということですが、いかにも悪党といった典型的な強欲ジジイではつまらないので、やっぱり我々同時代人にとって「こういう人って怖いよね」とリアルに感じさせるような人物を登場させたい。金貸しという職業柄もあるけどゾッとするほど冷徹なところがあり、社会に抑圧されつつも、社会を激しく蔑んでいるといういびつな内面を抱えている人間。これを体現するのは大変です。ただ草彅さんの作品を観るたびにいつも驚かされるのですが、どんな役のどんな佇まいにおいても、そのリアリティがすごいんですよ。最近も時代劇をやられているのを拝見しましたが、それがまったく昔々の話に思えなかった。
森新太郎
ーー本当に、そこに生きている人間に見えてくる。
そうなんです。『ヴェニスの商人』も、物語の設定自体はかなりおとぎ話めいたところがあるじゃないですか。肉一ポンドの裁判にしたって、現実にこんな裁判があるわけないし。“三つの箱”のエピソードも含めて全体的にちょっとファンタジーで、突き詰めて考えるとおかしなことだらけなんです。けど、そこに出てくる登場人物にリアリティさえ持たせられたら、急に身につまされる話として迫ってくる。だからこそ、演じる俳優が誰になるかが最も重要で。僕は草彅さんに、今回それをめちゃくちゃ期待しているんです。もしかしたら、いわゆるシェイクスピア俳優と呼ばれる人たちとは違うアプローチの仕方で、草彅さんなりのリアリティを作り上げてくれるのではないかと。
ーーリアルに、嫌な人物であってほしい気がします(笑)。
むやみに同情を誘うような役にしてしまったら、逆にシャイロックに失礼だなという気もするんですよ。この人はこの人で自分の人生に誇りを持っていて、逆境下でも知恵を振り絞って生き抜いていこうとするたくましさがある、その辺も大事にしたいなと思っています。
ーー実際に草彅さんにお会いになられた時、人となりとしては森さんの目にはどう映りましたか?
えっと……、全然わからなくなってきました(笑)。普段の草彅さんに接するたびに「なんて天衣無縫な人なんだ!」と驚いてばかりいます。果たしてどんなシャイロックが出来上がるのか、ちょっと今、自分でも見えなくなってきた。ただ、いろいろと舞台や映像で草彅さんのお芝居を拝見すると、本当に毎回、草彅さんにしかできない役づくりで、見事にその役に生命を与えているので。そこに関しては、何の心配もしていません。
『ヴェニスの商人』
ーーその草彅さんを中心として、今回のキャスティングはどういう狙いを持ってこの顔ぶれになったのでしょうか。
シャイロックの対立軸として、まずはアントーニオが大事になってくるのですが、一言で言って、とても疲れている男だと思います。富をこんなに持っているのに、心がまったく満たされていない。本当に欲しいものをずっと手に入れられていない。その虚しさを少しでも埋めようとして、バサーニオに対し異常なまでの愛情を注ぐのではないでしょうか。あれほどシャイロックを憎むというのも、差別主義的な動機というよりは、ただ単に自分が生きている意味や正当性を獲得したいからなのではないかと、僕には思えます。
ーー自分のやり方は間違っていない、合っているんだと?
自分の生き方に一番大きな不安を抱えている人物がアントーニオだという気がしますね。とても現代的な人物だと思います。シャイロックの功利主義にも現代性を感じますが、どちらもお金持ちなのに深い孤立感を抱いているという点ではよく似ている。近親憎悪というか、それゆえに共存することが難しい二人なのかもしれません。そのアントーニオを演じていただく忍成修吾さんとは、これまで二度ご一緒したことがあるのですが、精神が病んでいる役とか、狂気じみた役ばかりお願いしていて……今回も、そうなりましたね(笑)。彼にアントーニオを演じてもらうことに迷いはありませんでした。ちなみに物語の舞台となっているヴェニスは、今の日本とも重なるのですが、経済的な繁栄のあとの凋落の時期に差し掛かっているところで、僕の中では成熟しきってしまった果実の腐臭のような、そんな息のつまる匂いが漂っているイメージです。これからどうしたらいいのか、多くの人が力の注ぎ場所を見失っていて、いかんともしがたい息苦しさを感じている。
ーー軽く絶望感がありつつも、何かしたくてもどこから手を付けていいかがわからない。
そういう意味では、バサーニオってまさにこの町の申し子というか、わかりやすく言えば、生きる力を持て余しているどうしようもない放蕩息子。彼の一味である若者たちもみんな、そんな感じですが。野村周平くんは、彼から発せられるあの危うい感じと陽のエネルギーがものすごく魅力的で、僕の考えるバサーニオにぴったりだったんです。あれくらいチャーミングな奴でないと、難攻不落のポーシャを攻め落とすことはできません。で、ポーシャというのがこれまた面白い役でして……溢れんばかりの知性と遊び心の持ち主で、男性をこき下ろすときの語彙力なんか圧巻です(笑)。かと思いきや、法廷の場面で見せるあの行動力と肝っ玉。ともすれば完璧すぎて嫌味な人物にもなりかねませんが、なにせ佐久間由衣さんが演じるのですから絶対にそうはなりません。彼女の内なる純真さがポーシャという人物に一層の輝きをもたらすはずです。また、物語により躍動感を持たせられるかどうかは、大鶴佐助くんと長井短さんが演じるグラシアーノとネリッサにかかっているんですよ。この二人がいてくれるおかげで本筋から少し脱線できて、それがお客さんの息抜きになるというか。
森新太郎
ーー安心して笑えたり、ホッとできるパートという気がします。
さらにロレンゾーとシャイロックの娘のジェシカ、この二人の駆け落ちのくだりも大切にしたいですね。前に『ロミオとジュリエット』を演出したこともあって、こういう若者たちの向こう見ずな恋愛にはどうしても熱が入ってしまいます。終盤、この二人が月明かりのもと言葉遊びに興じる短い場面があるのですが、僕としては、ここで一瞬でも現世のことが忘れられるような幸せな時間を作り出したい。一瞬ではあるのだけど、永遠に続くような。
ーーでは、ぜひとも注目してほしい場面なんですね。
そうなんです。物語自体は、法廷の場面においてある意味残酷なクライマックスを迎えるわけですが、その後に続く若者二人のこの温かい場面も、僕は欲張って成立させたいんですよ。なぜかというとシェイクスピアは、人間のそういった両面を等分に描いている作家だから。人間の愚かしさや悲哀だけではなく、気高さや尊さもちゃんと描いている。塩梅がとても難しくはあるのだけど、その両方をしっかり見せることができて初めて、『ヴェニスの商人』をやる意味があったと言える気がするんです。
ーーそのほかに、演出プランとして何か狙っているところは。
これはいつものことですが、舞台装置は抽象的ながらんとしたものになると思います。今回は特に、客席側と地続きに感じられる空間を目指したいです。ヴェニスの町の息苦しさと我々の世界のそれとが重ね合わせになるような。シャイロック叩きはどのようにして起きたのか、そして叩いたところでその息苦しさは解消できたのか? 昔も今も、ひとつの共同体を持続するためにスケープゴート、生贄が必要とされてしまうことがある。この作品で描かれている救いのない光景も、きっとそういうことだと思っていて。
ーーそれを象徴した構成になっている、と。
シャイロックがユダヤ人であるかどうかは、実は本質的な問題ではないような気がしています。だからこそ、ユダヤ人の迫害とは距離のある我々日本人にとっても、確実に響く何かがあるはずです。これまで演出を避けてきた『ヴェニスの商人』という作品ですが、この機会にちゃんと向き合うことができて本当に良かったです。
森新太郎
取材・文=田中里津子 撮影=福岡諒祠
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