(文星芸術大学非常勤講師:石川 展光)

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ゲイに対する固定観念と差別意識を自覚し覆す

『弟の夫』は、『月刊アクション』(双葉社)で2014年から2017年まで連載した作品(全4巻)である。2018年にはNHK『プレミアムドラマ』枠で実写ドラマ化もされている。はじめに言っておくべきだが、作者の田亀源五郎はゲイである。

 それにつけても声に出して読んでみたくなる印象的なタイトルで、「名作はタイトルも名作」という好例である。表紙には髭モジャの外国人と、ガチムチな男性と女の子が描かれており「これはこのカップルが養子をとった話かな」と想像させる。が、そうではない。作中の人間関係は複雑で、内容はきわめて真摯なものである。

 主人公・弥一は一人娘・夏菜と二人暮らしのシングルファーザーである。そこに弥一の双子の弟・涼二(故人)の夫である白人男性・マイクカナダからやってくる。

 弥一は困惑しつつ、夏菜は興味津々でマイクを迎えるが、さまざまなエピソードを巡るうち、弥一はゲイに対する様々な固定観念を自ら覆していき、徐々に折り合いをつけていく。物語としては淡々としたものであるが、読み応えは抜群にある。

 とにかく一つ一つの描写が丁寧だ。弱火でじっくりシチューを煮込むかのように、登場人物たちの心模様やグラデーションを描いている。衣食住全てにおけるきめの細かい描写は、著者の並々ならぬ切実さのなせる技であろう。

 私はこの作品を、ゲイの親友に教えてもらった。

 彼とは17年の付き合いになる。当時高校生だった彼が、初めてカミングアウトをしたのも私であった。以来、私自身、彼との付き合いの中でゲイに対する考え方や感じ方は大きく変わった。そんな彼が「是非」と勧めてくれたのが本作なのである。

ゲイの作者がヘテロの葛藤をリアルに描く

 物語の見どころを二つ挙げるとすれば、まず一つ目に、自分をゲイだと認識した近所に住む中学生・一哉が、悩みをマイクに相談するシーンを挙げたい。3ページほどマイクと一哉の会話がサイレントで表現されるページが続き、さらに2ページを割いた後で、ようやく一哉がゲイであることがセリフで明かされる。無言劇の中、理解者が欲しくて縋るような少年の表情が強く心に残る。その後一哉は堰を切ったように思いの丈を語り始めるのだが、思春期の少年にとってカミングアウトすることが、どれほどの重さであるかを描破している名シーンである。

 もう一つの見どころは、偏見を持った夏菜の担任教師の偏狭な発言に、弥一が言い返す場面だろう。心の中で「さらっと差別かましてんじゃねえよ!」と怒りながらも、冷静に理路整然と論破するのだ。そしてこの瞬間、弥一のなかで弟のセクシャリティは完全に承認され、故人となってしまった弟との隙間が埋められるのである。

 弥一はマイクとの出会いのなかで、自分の中にゲイに対する固定観念と差別意識があることに気づき、そのひとつひとつを悶々と考える。これはゲイである作者がヘテロセクシャル(異性愛)の葛藤をリアルに描くという難業に向き合ったということである。本当にすごい想像力だ。

炸裂するポルノ作家の矜持と底力

 元来、田亀源五郎はゲイポルノ界隈では伝説的作家である。私も彼のポルノ作品をいくつか読んだが、「熊系(筋骨逞しく体毛も濃いタイプ)」の男性が、あらゆるシチュエーションで凌辱されるハードSMばかりで、ヘテロの私でさえクラクラするような色気に満ちている。

 読者を欲情させるためのジャンルであるポルノには、ゲイであろうがヘテロであろうがその実力に境界線は存在しない。ある種の生真面目さと研ぎ澄まされた技術が必要になるものである。エロティシズムとフェティシズムに対する無私の献身性がなければ、良いポルノには絶対に仕上がらない。

 田亀の描くポルノは至極ダーティなものだが、彼の描く線は非常に細く繊細で、極限まで抑揚がおさえられている。繊細な線描の画風としては、かわぐちかいじ大友克洋などの影響が見られるが、ポルノとしては山本直樹の線にも同様のエロティシズムがある。

 そんな田亀が「フツーの漫画」を描いた作品が『弟の夫』なわけであるが、持ち前のエロティシズムはそこかしこに散りばめられている。入浴シーンの裸体や体毛の描写など、ホームドラマに似つかわしくない入念な描き込みでそれを見ることができる。

 作中に出てくる男性がほぼ一様に「熊系」のキャラクターだったりするのも興味深い。女性キャラクターの性的な匂いがほとんど皆無であるのに対し、男性キャラクターに対する執着は並々ならぬものを感じる。この辺もポルノ漫画家としての矜持を感じさせる。ポルノ作家もゲイも、色眼鏡で見られる存在だが、その分誇り高い存在なのだ。

「ホモオダさん家の、ホモオさんは、ホモなんじゃないかって…」

 とんねるず90年代にやっていたコントで、あからさまにゲイを揶揄したものがあった。当時少年だった私たちは、クラスでそのモノマネをよくしたものであった。私の子供の頃(1980年代)は、ゲイという言葉は殆ど「オカマ」とか「ホモ」という言葉と同義だった。当時の私は、「オカマ」といえばおすぎとピーコ美輪明宏くらいしか知らず、100万人に一人くらいしかいないと思っていたし、キモチ悪いものだと感じていた。そして、クラスの誰かがそこで傷ついているかもしれないなんて、気にも留めなかった。

 多様性が重視される一方、世の中はどんどん窮屈になっていくばかりだが、同性愛に対する認識がかつてより大きく変わったのは良い変化であろう。それは、1969年ニューヨークで起こった「ストーンウォールの反乱」以来、今の今まで田亀源五郎を含めた同性愛者たちのアーティストや活動家たちが必死に積み上げてきた訴えの上に成り立っているのだ。

 ゲイから見た世界を垣間見る絶好の良書である。是非堪能して頂きたい。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

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『弟の夫(1)』 (アクションコミックス)田亀源五郎 双葉社