
黒沢あすか
俳優の黒沢あすかが、長塚京三が主演を務める映画『敵』(1月17日より全国公開)に出演。渡辺儀助(長塚京三)の亡き妻・信子を演じる。原作は日本文学界の巨人・筒井康隆氏の『敵』。作家でありながら、さまざまな顔を持ち、文壇・メディアとの戦いを経て生き抜いてきた自身が描く老人文学の決定版を、映画『桐島、部活やめるってよ』や『騙し絵の牙』などを手掛けた吉田大八監督が強く美しく映画化。自らXデーを決め、自由に生きる後期高齢者の姿を描いた本作。インタビューでは、印象的な演技を見せ続ける黒沢あすかに原作と台本を読んで感じたことや、楽しみにしていたシーン、何テイクもトライすることになったシーンで活きたという柄本明の言葉について話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】
悔いのないように大八監督とお会いしたいと思った
――撮影に臨むにあたり原作は読まれましたか。
はい、まず大八監督が書かれた台本を読ませていただいて、私はあまりないのですが、これは原作も読んだ方がいいかもしれないと思いました。原作を読進めていくと、筒井先生独特の表現があり、例えばハイヒールのカツカツという音を漢字に当てはめて表現しているシーンがあったり、とても新鮮でした。その漢字の当てはめ方を観て、日本語ってなんて素敵なんだろうと改めて筒井先生の表現に感銘を受けました。
――文学の奥深さを感じられたんですね。
はい。その音だけでどういう女性が歩いているのかわかるんです。想像がどんどん膨らんで、読むスピードも上がっていきました。
――本はよく読まれますか。
私は子どもの頃から「本を読め」と言われるよりも「外で遊べ」と言われていた家庭で、本をしっかり読むというのは30代を過ぎてからなんです。それは夫から「年齢を重ねて中身が追いついていないと恥ずかしいよ」と言われたのがきっかけでした。そこから挫折などを繰り返しながら、本を読むことを続けているのですが、その中で筒井先生の「時をかける少女」に出会いました。
――本作への出演のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
大八監督と面談という形でお会いしたのが最初でした。その時は信子として採用していただけるのかどうかはわからなかったので、ここからご縁が結ばれる可能性もある。もし、今回受からなかったとしても次につなげるためにもとにかく悔いのないように大八監督とお話したいと思っていました。
――監督とはどのようなお話をされましたか。
台本を読んでの感想が主でした。どのシーンが印象的で、どんな言葉に惹かれて、原作がどれだけ魅力的だったか、などお話させていただきました。その中で大八監督は、「まさか原作を読まれてくると思わなかった」とおっしゃっていて。
――基本、原作を読まれないのはなぜですか。
原作が良すぎて自分の心に響いてしまうと、原作の方に引っ張られてしまい、演じなければいけない脚本の方に集中できなくなってしまうので、読まないようにしているのですが、大八監督の台本を読んだことによって原作を読みたいと思ったんですとご説明しました。そうしたら大変喜んでくださいました。
――本作で印象的だったシーンはどこですか。
私はとても気に入っているシーンがありまして、それは儀助との入浴シーンなのですが、そこのシーンに関してト書きが書かれていたり、セリフの掛け合いが書かれていて、けっして長くはないのですが、そのシーンがとても好きになり挑戦したいと思いました。自分の年齢的なことを考えると、やっぱり若い時とは違うので、今の私が肌を露出するのには年月が過ぎている、と監督にお伝えした上で、もし願いが叶うのであれば、ぜひ信子を演じさせていただきたいとお願いしました。
――あのシーンはとても印象的でした。
自分も不思議だなと思ったのは、若い頃の肌を見せるシーンというのは、自分が若いがゆえに全てをみせたい。カメラに収めてもらいたいという欲も少なからずあるんです。自信がありますから。ただ、年齢を重ねていくと入浴シーンというのはとても味わい深くなります。
浴槽に 儀助と信子が浸かった時に、信子は亡き妻という存在ですが、夫婦としての生活、年輪を表すことができると思ったからなんです。浸かっている湯の中にすべてが染み出しているといいますか、今まで自分の心の中に蓋をしていた本心というものを互いが話せるきっかけになるんじゃないかって。だから、どうしてもここは演じたい。ただ、若くはないので年齢を重ねた表現を工夫していただけたら嬉しいです、と正直にお話しました。
――監督はそれについてどのようなご回答を?
大八監督は、「僕はそういったところに強い視点を当てようとも思わないし、そういう作品ではないのでご安心ください」とおっしゃってくれました。私が心配、懸念されているようなことはありませんと言ってくださったんです。
撮影当日も、何の心配もなくゆったりとした気持ちのままそのシーンを演じることができました。お湯の量も浸かり具合も大八監督のご指示があって、そこから上がらないようにと微妙なライン、体の位置を保っていただけるという、とても細やかなご指導がありました。
――そのシーンに臨むにあたり、長塚さんとはどのようなことをお話しされましたか。
お芝居についてのお話しはしませんでした。台本通りに進めていくといった感じです。浴槽の中では互いが足を広げて互い違いにしていて、上半身の可動だけで近づいている感じとかを表現しているのですが、ちょっとでも足が当たると長塚さんは、「ごめんなさいね。大丈夫だった?」と言ってくださるんです。全てにおいてなんてスマートで紳士な方だと思いました。
時を経て活きた柄本明からの言葉
――信子はすでに亡くなられているので、幽霊的な感じもありますが、こういった役を演じられていかがでした?
亡き妻が登場すると自然と幽霊だと思うので、そのように意識して演じた方がいいのでしょうか? と監督にお聞きしたら、演じる上でそれは忘れてください。幽霊とは思わないでくださいとおっしゃったんです。だけど、居間で鍋をつついているシーンの時に何テイクも撮りました。それは私がやっていることが間違いということではなく、信子というキャラクターの一貫性を保つために、幾度も所作だったり、言い回しだったりを修正する。そのために何テイクも重ねる。そういう時間が私にとって追い込まれるのではなく、逆にどんどんクリアになっていく、喜びに変わっていくという不思議な経験をしました。今までだったら追い込まれた心境になったり、私ってダメなんだ。一回でできないんだという思考になりやすいんです。
――そうなってしまうと思います。
ただ、大八監督は違いました。違うのであればもっと挑戦したい。もっとやってみたいと思いました。でも、その気持ちが強いともっとダメだと言われるんです。私はこのシーンをどう乗り越えたらいいんだろうと考えました。たどり着いたのが余計なことを考えないことだと思いました。私が18歳のときに柄本明さんからいただいた“ただセリフを言えばいい”という言葉。当時はその意味が分かりませんでしたが、このシーンでやっと理解できました。ただ与えられたセリフに集中し、余計な雑念を捨てる。それが演じることの本質だと気づかされました。
――自然体ということではないんですね。
私も当時はそういう意味だと思っていました。理解できていなかったんですよね。でも、居間のシーンの撮影中に「これか!」と思いました。無になると言いますか、与えられたセリフを言うことだけに集中しろ、雑念や雑味はいらないといったことだったんだなと、時を経て柄本さんの言葉に助けられました。
何かが足りないまま現場に来てしまっているという不安
――この作品から黒沢さんはどのようなメッセージを感じ取りましたか。
台本を読んだ時に感じたのは、信子のセリフにもあるのですが、世間知らずの大学教授の日常を見せられているなって。スマートにも見えるけれども、実は信子のことをすごく必要としていて、素敵な時間を送られています。いい食材も購入できるし、時間も自由に使えている。邪魔するものは何もないけど、どこか虚しさが散りばめられているように見えました。虚しさと頭脳明晰な人の最期といいますか、この老齢期というものについて、足元から冷気みたいなものがファーっと上がってくるような感覚がありました。
――儀助は自分自身のXデーを決めていますが、黒沢さんはそういったことを考えたことはありますか。
まだないですね。ようやく去年あたりから俳優業に本腰を入れることができています。私には3人息子がいるのですが、一番下の息子がいま大学受験に向けて頑張って勉強しているので、私はもう必要最低限のことをやればいいだけなんです。子育て中もコンスタントにお仕事はさせていただいていたのですが、自分の思考が家庭と自分という感じだったので、常に揺らいでいました。セリフをちゃんと覚えて現場に行ったつもりでも何か心許ないんです。何かが足りないまま現場に臨んでいるではないかと不安に感じていました。
確信があまり持てないまま現場にいるという状況が数年続いていたのですが、そういったものからいま脱却できたという喜びがあります。芸歴も43年、今までとは違う新しい自分を作り上げなければならないという段階に来ていて、いま活力が湧いています。
――初心、原点回帰のようなお気持ちもありますか。
まさにそうです。ご一緒する俳優さんたちが20代で、現場で一緒に共に頑張ってくださっているスタッフの皆様も20代だったりします。新しい風は吹いています。そこに自分が取り残された時代錯誤の人だと思われないためにも、現場に入った時に若い方たちの言動や行動を常にインプットするようにしています。
――若い方のお話しで印象的だったことはありますか。
ベテランの監督とはまた違う領域の素晴らしさをお持ちなんです。斜め上、あるいは真下からのアイデアがすごいなと思いました。決まった枠をお持ちでなくとても自由なんです。私の出演作を観たと言ってくださる方もたくさんいらっしゃって、黒沢あすかというイメージも一辺倒ではなく、ある人は「可愛らしい、お茶目な部分を見ました」と話してくださって、それがとても嬉しくて。新しい私を作り上げてくれる、引き出してくれる、引っ張り上げてくれるので、若い方々とご一緒するのはとても刺激があり楽しいです。
(おわり)
【黒沢あすかプロフィール】
1971年生まれ、神奈川県出身。1990年に『ほしをつぐもの』で映画デビュー。主な出演作に、映画『愛について、東京』(93)、『嫌われ松子の一生』(06)、『沈黙 -サイレンス-』(17)、『楽園』(19)、『親密な他人』(22)、『658km、陽子の旅』(23)、『歩女』(24)などがある。『六月の蛇』(03)で第23 回ポルト国際映画祭最優秀主演女優賞、第13回東京スポーツ映画大賞主演女優賞、『冷たい熱帯魚』(11)で第33回ヨコハマ映画祭助演女優賞受賞を受賞。
毎週日曜よる10時15分からABCテレビ・テレビ朝日系列で現在放送中のドラマ「フォレスト」にレギュラー出演中。
<物語>
渡辺儀助、77歳。大学教授の職を辞して20年―妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。遺言書も書いてある。もうやり残したことはない。だがそんなある日、書斎のiMacの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。
【作品情報】
長塚京三
瀧内公美 河合優実 黒沢あすか
中島歩 カトウシンスケ 髙畑遊 二瓶鮫一
髙橋洋 唯野未歩子 戸田昌宏 松永大輔
松尾諭 松尾貴史
脚本・監督:吉田大八 原作:筒井康隆『敵』(新潮文庫刊)
企画・プロデュース:小澤祐治
プロデューサー:江守徹
撮影:四宮秀俊
照明:秋山恵二郎
美術:富田麻友美
装飾:羽場しおり
録音:伊豆田廉明
編集:曽根俊一
サウンドデザイン:浅梨なおこ
衣裳:宮本茉莉
ヘアメイク:酒井夢月
フードスタイリスト:飯島奈美
助監督:松尾崇
キャスティング:田端利江
アクション:小原剛
ガンエフェクト:納富貴久男
ロケーションコーディネーター:鈴木和晶
音楽:千葉広樹
音楽プロデューサー:濱野睦美
VFXスーパーバイザー:白石哲也
制作プロデューサー:石塚正悟
アシスタントプロデューサー:坂田航
企画・製作:ギークピクチュアズ
制作プロダクション:ギークサイト
宣伝・配給:ハピネットファントム・スタジオ/ギークピクチュアズ
製作:「敵」製作委員会
ⓒ1998 筒井康隆/新潮社 ⓒ2023 TEKINOMIKATA

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