
「悪いことには悪い」と言うこと、自分の正しさを主張することは悪いことではありません。しかし、いくら正論であるといっても、やり方や言い方をよく考える必要があります。今回は、精神科医・和田秀樹氏の著書『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)から、生きやすい社会についてご紹介します。
正論でも伝え方によっては相手を傷つける
「君らの言っていることは正しいかもしれないけど、そんな言い方をされたら、相手が腹を立てて、逆に受け入れられなくなるよ」
精神科医になりたてのころ、患者さんの差別反対運動や解放運動にたずさわっていたときに、私たちが糾弾していた偉い先生から言われた言葉です。この言葉を、今でも強烈に覚えています。
そのときに、「それもそうだ。いくら正しいことであっても、言い方は重要だ」と、いま思えば当然といえば当然のことに気づいたのです。
若い頃、こうした社会運動にたずさわったことはいい経験になりました。「正しさ」をふりかざすこと、押しつけることの悪い面を学んだからです。もちろん、「差別反対」「患者さんにも権利を」というのは「正しいこと」です。こうした運動は、社会にとって大切なことではあります。
ですが、正論であっても、言い方ややり方があるのです。それを考えなければ、いたずらに相手を傷つけたり、怒らせたりすることがあるのです。
「正しい」からといってストレートに「正しい」と言い過ぎないことが重要ではないでしょうか。生きやすい世の中にするためにできることでは、「悪い」ことであれば、いくらでも「悪い」と言ってよいのでしょうか。それも考えものです。
「悪いものを悪いと指摘することの、どこがいけないのか」と思われるかもしれません。しかし、人間社会はそう単純ではありません。
たとえば、現在、生活保護を受けている人に対するバッシングには激しいものがあります。
生活保護受給者を追い詰める世の中は「生きやすい」といえるのか?
近年、不正受給がクローズアップされていることも大いに関係しているのでしょう。正義感から「悪事を働いて、人の税金を奪うなんて許せない」と憤っている人もいるはずです。もちろん、不正受給は褒められたものではありませんが、通常の生活保護は法律に基づいて適切に支給されるものです。
ただ、生活保護に限らず、どんな制度でもそれを悪用する人はいます。また、悪用する人がいるからといって、制度自体が「悪」なのかというと、そうではありません。不正受給をする人は全体から見ればほんのひと握りであり、本当に支援を必要としている人がほとんどです。
にもかかわらず、あまりにもバッシングが強くなり過ぎたことで、生活保護受給者が非常に肩身の狭い思いをしているというケースもあります。
「事情があって困窮しているのだから、しかたないじゃないか」と開き直れればよいのですが、すべての受給者がそうできるとは限りません。むしろ、「世の中に申し訳ない」と思いながら暮らしている人もたくさんいるはずです。
生活保護受給者の自殺率は、全国の自殺率に比べると極めて高く、とくに若年層では数倍になるというデータがあります。もちろん、もともと精神疾患を患っていたり、生活苦による絶望からの自殺も考えられますが、世間の風当たりの強さに追い打ちをかけられているであろうことは否めません。
とりわけ若年層の自殺率が高いのは、「同年代の友人は元気で働いているのに……」という引け目があるからとも考えられます。
生活保護を打ち切られた人が自殺したり、周囲に困窮を打ち明けられずに一家心中を図ったりするなど悲しいニュースが報じられることが増えています。こうした世の中は、果たして「生きやすい」といえるでしょうか。
もしかしたら、今日元気に働いているあなたも、明日は不慮の事故や病気などで働けなくなるかもしれません。「明日は我が身」「お互いさま」の精神が、いつの日かあなた自身を救うことにもなるのです。
和田 秀樹
国際医療福祉大学 教授 ヒデキ・ワダ・インスティテュート 代表 一橋大学国際公共政策大学院 特任教授 川崎幸病院精神科 顧問

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