
この記事をまとめると
■フィアットの2代目フィアット500にはビーチカーの「ジョリー」があった
■のちのフィアット会長ジャンニ・アニェッリがカロッツェリア・ギアにオーダーしたことで誕生
■ドアもルーフも取っ払いお情け程度の日除けと籐製シートを備えたスタイルが評判となり製品化された
寒い冬の朝に思い描く夏のビーチにはジョリーがいた
寒い。絶対に寒い。真冬なんだから当たり前っちゃ当たり前ではあるんだけど、泣くほど寒い。去年の夏に、育った地元に数十年ぶりに戻ってきて、初めての冬。ほとんどの朝は氷点下を割るし、放射冷却なんて起こされた日にはマイナス5℃とか6℃になることもある、ということを忘れてた。
僕は1970年式のフィアット500Lを可能な限りアシにしていて、その模様は姉妹サイト“Auto Messe Web”の“週刊チンクエチェント”という連載でリポートしているのだけど、夜中の3時ごろに自宅に戻って朝の7時に出発しようとしたら、ターコイズブルーのボディに霜の白がトッピングされて、綺麗に見事なくらいのフローズン・チンクエチェントができあがっていた。
身震いするほど寒々しいその姿を見ながら、僕は暖かな季節に思ったのだった。同じチンクエチェントのファミリーのなかにあったあのクルマで、光弾ける夏のビーチと心地よく気怠い街のテラスレストランを鼻歌まじりで往復するような暮らし、憧れちゃうよなー、と。
あのクルマとは、フィアット500ジョリー、のこと。カロッツェリア・ギアが2代目フィアット500をベースに製造していた、いわゆるビーチカーだ。
このクルマが誕生したきっかけは、フィアットの創業者の孫にあたるジャンニ・アニェッリが、1958年、リゾート地で使うためのクルマをギアにオーダーしたことだった。自分の所有する船に載せられるサイズで、港から港へと渡り、陸に上がればその界隈で気のきいたアシとして機能してくれる、特注のおもちゃ。
それは同時に、ジャンニが親交のある人物たちをもてなすためのスペシャルでもあった。イタリア最大の財閥の当主にしてフィアットの副社長だったジャンニは、各国の政財界の要人、政治的指導者、貴族、大富豪、世界的な大スターといった人物たちと交流があったセレブリティ中のセレブリティだ。映画“ドルチェ・ヴィータ(=甘い生活)”を遙かに超えたドルチェ・ヴィータを体現しながら、フィアットの経営を受け継ぐための準備を進めていた、というわけだ。
ジャンニがオーダーしたクルマは、亡くなった友人からカロッツェリア・ギアの経営を受け継ぎ、のちにカロッツェリア・ボアーノを設立するマリオ・ボアーノが直々に手がけたといわれている。ヌォーヴァ500がベースになることは既定路線ではあったが、ボアーノはそのフロアとパワートレインにチンクエチェントとはまったく異なるスポーティなスタイリングデザインを与えたのだ。
そのクルマは2台のみ作られ、「ヴォーグ」などさまざまなメディアに乗ってセレブリティたちの購買意欲を掻き立てたわけだが、100%ハンドメイドなので車体を作るのにとにかく手間がかかる。そこでチンクエチェントのボディを流用した“500ジョリー”が生まれることになり、正規ラインアップではなくある種の裏メニュー的なかたちで販売されることになったわけだ。
ギアでの生産終了後もほかのカロッツェリアがレプリカを製作
ジョリーのスタイリングは、御覧のとおり。屋根を取っ払い、ドアも外し、フロントピラーを途中でカットしてウインドウスクリーンも低くし、おそらくは剛性低下を少しでも抑えるための鋼管によるクロームのパイピングと、それと同素材の前後バンパーを備え付けたチンクエチェント、だ。
濡れた水着のまま乗り込んでもまったく問題がないように、シートには布の代わりに籐が編み込まれている。当然ながらソフトトップのようなものも持ちあわせておらず、代わりにボルト留めの支柱にテントを張った簡素な日よけを取り付けることができた。もちろんメカニズムはカタログモデルのチンクエチェントと何ひとつ変わらない。
アリストテレス・オナシス、ユル・ブリンナー、エンリコ・ベルリンゲール、マリオ・ベリーノ、シルヴィオ・ベルルスコーニ、ジョン・ウェイン、メイ・ウエスト、グレース・ケリーことモナコ公妃グレース・パトリシア……。そうした顧客を筆頭に、のちに作られる600やムルティプラをベースにしたビーチカーと合わせて、およそ700台ほどが製造されたという。
カロッツェリア・ギアは1966年にジョリーの生産を終了させているが、その後もほかのカロッツェリアでレプリカが作られ、驚くべきことに現在でもオーダーがあれば本家本元のジョリーとほぼ変わらないクルマを作ってくれるところが存在している。1年に走らせるのは合計何時間? というようなクルマだというのに。
まぁそんなふうに稼動時間を考えちゃうあたりが絶対に真のセレブリティになれない男であることを証明してるようなものだけど、そんな僕でもこのケータハム・セヴン並みの開放感がある500ジョリーが、真夏の海岸沿いで、空気の美味しい高原で、のんびり走らせたら最高に気もちいいクルマであろうことはわかる。
この季節のなかでこのクルマのことを思い浮かべちゃったのだから、僕は超ひさしぶりに味わうアホみたいに寒い零下の朝という日常に、かなり本気で困惑してるのだろう。これが加齢というものか……。
ちなみにこの500ジョリーの当時モノは日本にも存在していて、名古屋の“チンクエチェント博物館”を訪ねればしっかりと見ることができる。
そのほかにも貴重なモデルが展示されているのでぜひ足を運ぶことをオススメしておくが、基本は予約制なので御注意を。

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