
「ドクターイエロー、ありがとう」2025年1月引退へ突き進む…初代~4代目の歴史を振り返ってみたの画像一覧
見ると幸せな気分になれる黄色い車体のドクターイエローは、新幹線の安全な運行を守るために走り続けてきた新幹線のお医者さんのような存在。しかしながら、惜しまれつつも、2025年1月にT4編成の引退が決定した。今月の引退を前に、ドクターイエローの魅力とその功績を振り返ってみよう。ということで、幹線の安全運行を支えたドクターイエローの歴史に注目した。
国民に広く愛された幸せを呼ぶ黄色い新幹線
2025年1月の引退が発表されている、ドクターイエローこと新幹線電気軌道総合試験車。ドクターイエローには東海旅客鉄道株式会社(JR東海)が所有する923形0番台のT4編成と、西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)が所有するT5編成の2本がある。
JR東海所有のT4編成は2001年から、JR西日本所属のT5編成は2005年に運用が開始され、交互に走行しながら、東海道・山陽新幹線(東京駅~博多駅間)の検測を行い、新幹線の安全・安定輸送を守り続けてきた。乗客を乗せることはなく、運行スケジュールも非公開となっていることに加えて、およそ日に一度しか運行しないため、めったに見ることができず、それゆえ偶然出会えた日はいいことがありそうな、幸せな気分になれる、そんなレアな存在。鉄道ファンに愛され、子どもたちのヒーローであり続けたドクターイエローは、まさに幸せを運ぶ黄色い新幹線なのだ。
そんなドクターイエローだが、JR東海、JR西日本よりすでに引退が発表されている。T4編成は2025年1月をもって検測走行を終了し、引退へ。T5編成は2027年以降を目途に検測を終了する予定となっている。一番の理由は、車両の老朽化によるものだが、同系車両の多くが引退する中、20年以上も走り続けてきたのだから、胸を張って引退できるはず。新幹線の安全な運行を守り続けた功績は、鉄道史に燦然と輝き続けるのだから。
ありがとうドクターイエローラストランへ……その歴史を振り返る
1964年、東海道新幹線の開業以来、新幹線の安全な運行を守り続けてきたドクターイエロー。その元祖は1964年6月に登場した922形0番台電気試験車のT1編成で、東海道新幹線の試作車1000形を改造したものだった。山陽新幹線が博多まで延伸した1974年には2代目となる922形・921形10番台T2編成が、1979年には3代目となる922形・921形20番台T3編成が新造された。2001年には4代目となる700系をベースにした923形T4編成がデビューした。
【1964年~】初代:T1編成 電気試験車
0系新幹線の試作車をベースに作られたT1編成。新幹線0系と同等の最高速度210km/hで走行しながら電力関係の検測を実施。軌道検測は専用軌道試験車921形が使用されていた。
【1974年~】2代目:T2編成 新幹線電気軌道総合試験車
山陽新幹線の博多延伸に合わせて登場した2代目ドクターイエロー、922形・921形T2編成。軌道試験車が連結され、電気と違いは鼻の白いほうがT2、黄色いほうがT3編成だ。軌道の両方を検測可能な電気軌道総合試験車となった。
【1979年~】3代目:T3編成 電気軌道総合試験車(922形20番台)
T3編成はT2と同じ0系ながら、架線摩耗測定にレーザー光線が導入されるなど、車内の検査設備が新しくなった。外見の大きな違いは鼻の白いほうがT2、黄色いほうがT3編成だ。
【2001~2025年1月予定】4代目(現行):T4編成 新幹線電気軌道総合試験車(923形0番台)
700系をベースに最新の検査設備を装備した4代目にして最後となるドクターイエロー。最高時速270kmで走行しながら、東海道・山陽新幹線の検測が可能になった。
取材・文/岡藤充泰(ライトアウェイ) 撮影/中村圭介、伊藤岳志(鉄道写真家) 写真、取材協力/東海旅客鉄道株式会社

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