
クライスラーとの共同で進められたMC
フランスのシャップ・フェレ・エ・ジェザン(CG)社を創業した1人、ジャン・ジェザン氏。非力なシムカ・エンジンを補うため、彼は軽量化へ腐心する必要があった。
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同社のスタッフでもあったマトラ社の技術者、ベルナール・ボワイエ氏が口にした「目的を果たさないものは捨てる」という言葉へ、ジェザンは頼った。CG 1200 Sの1969年仕様からは、エンジンを後方側から支える構造が削除されている。
2本の固定ロッドと、ロワーマウントのみで支えられる事になったが、リア寄りの重量配分も僅かに改善した。それでも、スーパーチャージャーをオプションに設定し、更なるパワーが求められた。
これは548と命名され、モータースポーツ前提のCGとして良く売れたらしい。シャシーは薄肉化され、フロアはスチールからアルミへ変更。ボディの重さも削られた。「勤務時間外で開発された仕様でした。すべて手作業で、コストも抑えられていました」
548の成功は、クライスラーの欧州市場向けサルーン、180のエンジンを搭載したラリー仕様へ発展。ボワイエの指揮のもとマトラで設計され、1970年に発表される。ミドシップ・レイアウトで、CGのFRP製ボディへ僅かに手を加え、MCの名で販売された。
小さなラリーチームでアルピーヌへ対抗
「MCも含めて、クライスラーと手を組んで進められたプロジェクトは、クライスラー側が費用を負担していました。人件費も、時間単位で支払われました。マトラからは、部品製作のために2名の図面技術者を派遣してもらってもいます」。ジェザンが話す。
MCの生産数は5台。小さなラリーチームとして戦績は悪くなかったものの、アルピーヌの立場を揺るがすほどの態勢とはいえなかった。
「180の4気筒エンジンは、トラック用で軽くはありませんでした。でも、ミドシップのロードカーへ展開できるだろうと、考えてはいましたよ」。ジェザンが微笑む。
これと前後し、CGの1200 Sは、シムカ1000 ラリー2用の1294ccエンジンを獲得。スタイリングも一新され、CG 1300へアップデートされる。最高出力は3ps落ち、車重も760kgへ増えていたが、低域でのトルクは大幅に太くなっていた。
発表は1972年のパリ・モーターショー。フォルムはシャープになり、リアが短縮され、ウインドウの面積が増えていた。ホイールアーチは膨らみ、フロントノーズにはチンスポイラーを装備。ウインカーは、ヘッドライトの下に移動された。
また1300では、サスペンションのダンパーは前後とも左右1本づつへ変更。前にツインキャリパー、後ろにビッグキャリパーを組める、アップグレード・ブレーキがオプションで用意されている。
ある日を境に次々と注文がキャンセル
「これが、1番の進化形といえました。バランスも良く、買うべきクルマでしたね。フロントには横向きのリーフスプリングが載ったままでしたが、ネガティブキャンバーを強めていたはずです」
「専用のヘッドとマニフォールド、ツイン・ウェーバーキャブレターを組み、96psのパワーを得ていました。暇そうにしていた、シムカの技術者による協力が大きかったです」。1970年代前半、CGの目標生産数は毎月10台。従業員は48名へ増えていた。
ところが1973年に、マトラ・シムカからバゲーラという1.4Lエンジンのスポーツクーペが登場。ターゲット層が異なり、CGの脅威にはならないと見られたが、より安価ではあった。
また同年には、アラブ・イスラエル戦争が勃発。オイルショックが世界を襲い、フランスでは最高速度の引き下げが決定した。モータースポーツ活動の制限が大幅に厳しくなり、クライスラーはMCプロジェクトから完全に手を引いてしまう。
「548はバックオーダーを抱えていて、1300の注文も30件ほど溜まっていました。ところがある日を境に、次々と注文がキャンセルされたんです。制限速度が引き下げられ、CGへの興味が消えたのでしょう」。ジェザンが目を細める。
クライスラーは、追い打ちをかけるように部品供給を停止。1974年5月に、CG、シャップ・フェレ・エ・ジェザン社は廃業に至る。40年近くに及んだ、小さなスポーツカー・メーカーの活動には終止符が打たれた。
ヘルメット製造で再起を果たしたジェザン
合意的なプロセスではあったが、突如の決定でもあったという。「その頃は、1000 ラリー2用のバケットシートを成型しており、充分な収益はありました。作業エリアを広げる必要があったほど」
「しかしクルマを作るメーカーとして成長し、下請け企業への方向転換は難しかったですね」。CGによる最終的な生産数は、1000と1000 Sが約30台で、1200 Sは約270台。1300は95台といわれる。
ただし、ジェザンのビジネスには続きがあった。その後、外部の支援を得てヘルメット製造で再起。程なくして、彼のGPAブランドは市場をリードする存在になった。現在では、F1やモトGPを戦う人の定番アイテムの1つになっている。
協力:エリック・サンス氏、ジェラール・マグロ氏、フランソワ・オリゴ氏
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