
スーパーカーの定義とは
今回はスーパーカーの話をしたいと思う。過去担当した媒体の関係で、人によく聞かれたのは、『スーパーカーの定義』だ。そこで私は、いつもこう答えていた。「あなたがスーパーカーだと思えば、それが軽自動車であっても、どんなクルマでもスーパーカーになるんです」。
【画像】昨年11月に富士スピードウェイで開催されたコーンズ・デイ2024 全174枚
『スーパーカー』は、特に日本で認知度の高い言葉だ。それが1977年をピークとするスーパーカーブームに由来することは、疑いの余地がないだろう。筆者もボクシーのボールペンでスーパーカー消しゴムを飛ばした世代で、学校で流行しすぎて、最終的には持ち込み禁止となったような気がする。
当時はランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ(365/512)BB、ポルシェ(911)ターボ、マセラティ・メラク、ロータス・ヨーロッパなどが主流であったが、当時の小学生向け雑誌に『日本初のスーパーカー、童夢零登場!』と紹介されたのが衝撃的で、今どきの言い回しにすれば『推しスーパーカー』となったのも懐かしい。
スーパーカー雑誌の編集を担当していた当時、これを第1次スーパーカーブームと定義。以後、フェラーリF40やテスタロッサが躍動した1980年代後半バブル経済の頃を第2次スーパーカーブームと呼び、2003年を第3次スーパーカーブームの始まりと呼んでいた。
第3次の2002~2003年は凄かった。フェラーリから登場したエンツォを筆頭に、ランボルギーニ・ガヤルド、ポルシェ・カレラGT、ブガッティ・ヴェイロン、アストン マーティンDB9などが一気に登場したのだ。当時は海外モータショー取材に通っていたので、ワールドプレミアが続々と目前で行われた光景に、興奮したのもよく覚えている。
スーパーカーの大衆化
その頃から日本で起こったのは、スーパーカーの大衆化だ。例えば『大乗フェラーリ教開祖』を名乗ったジャーナリストの清水草一さんが、自ら中古フェラーリを購入しつつ『ビンボーでもフェラーリは買える!』と様々な原稿を執筆。筆者も2009年、清水さんと一緒に『年収300万円台から始めるフェラーリ購入計画』(ネコ・パブリッシング刊/当時)というムックを製作し、以後もシリーズで何冊か作らせて頂いた。そうやって微力ながら、夢見る元スーパーカー少年&少女の背中を押してきたつもりだ。
しかしその後、フェラーリを始めとしたスーパーカーの価格は、新車も中古車も高騰する一方となった。これはスーパーカーに限らず、クラシックカーもスポーツカーも、憧れのクルマは全て高価な印象で、クルマを趣味とすることのハードルはすっかり高くなってしまった。こうして、日本におけるスーパーカーの大衆化は静かに幕を閉じたのである。
現在のスーパーカーたちは、どうやって他とは違う価値=ブランドを提供するか、苦心している。2003年のブガッティ・ヴェイロンが最高出力1001ps、最高速400km/h以上を標榜したあたりでパワーウォーズの限界点が見えてきて、その一方でランボルギーニが2007年にムルシエラゴをベースとした20台限定車、レヴェントンで100万ユーロの車両価格を掲げたあたりから、少量生産モデルが一気に増え始めた。フェラーリのテーラーメイド、ランボルギーニのアドペルソナムなど、オーダーメイドシステムの充実が図られたのも、このあたりの年代からだ。
販売するほうも、より上質なサービスが求められる
こうしたスーパーカー、言い換えるならばプレミアムモデルたちを販売するほうも、より上質なサービスが求められていて、それを強く感じたのがだいぶ旧聞に属し恐縮ではあるが、昨年11月4日に富士スピードウェイで開催された『コーンズ・デイ2024』である。
コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドの沿革を公式ホームページで確認すると、1961年に『英国ロールス・ロイス&ベントレー・カーズ社の輸入権を獲得』とあり、2024年には自動車販売60周年を迎えた老舗中の老舗ディーラーだ。
自動車部門であるコーンズ・モータースは現在、ベントレー、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、ロールス・ロイス、シンガーを扱う一方、『コーンズ・モーメント』と銘打ち、『クルマで楽しいを創る』をコンセプトに様々なモーメント、特別な体験を関連会社のCPSと共に生み出しており、このコーンズ・デイもその一環となる。
イベント自体はサーキット走行が主体のものだが、パレードランを富士スピードウェイ逆走(!)で行ったのには驚いた。またミシュランガイドに登場するような名店の出店があったり、エアレースパイロット室屋義秀さんのエアショーがあったりしたのは驚愕した。これは単なるディーラーイベントの規模ではない! と。
その規模感は写真でもご確認頂きたいが、これだけ看板の大きい老舗ディーラーであってもここまでやる必要があるのかと、求められるサービスの大きさに、競争の激しさや時代の変化を感じずにはいられない。
昨年フェラーリがF80を発表した際、GTO、F40、F50、エンツォ、ラ フェラーリの歴代モデルをこれまでの通称『スペチアーレ』ではなく『スーパーカー』と呼んでおり、スーパーカーという言葉はどうやら世界に浸透しているようだ。もしこれが日本の影響だとすれば、かつてBBとカウンタック、どっちの最高速が上なのか一喜一憂していた元スーパーカー少年としては、どこか誇らしくも感じるのであった。
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