中国メディア・央広網は30日、抗日戦争中の日本軍が「クレイジーな武士道精神」を持っていたとし、その中身について論じる記事を掲載した。

 記事は、「クレイジーな武士道精神」の特徴として「野蛮かつ凶悪な戦闘」に加えて「日本兵を捕虜として捕まえることが難しかった」点を挙げたうえで、「武士道とはいったいどんな精神で、なぜ当時の日本兵は邪悪なものにとり付かれたように侵略戦争を進めたのか」について解説した。

 まず、日本の戦前教育において武士道は「義と勇で奉公する」ことが最高の原則であったとし、「主人や天皇にとって武士は羊であり、無条件で服従しなければならない。部下や敵にとっては狼であり、人道的なことは全く気にしない」と解説した。

 また、武士階級には「自分の命を惜しまず、他人の命も惜しまない」という「残酷な死の文化」が形成されたとし、「武士は捕虜に対して残酷な仕打ちをする。なぜなら死なずに捕虜になったものは武士道を捨てた恥ずべき人間だからだ」と論じた。そして、中世ヨーロッパや古代中国では金銭と捕虜の交換が可能だったが、「武士は捕虜になるべきでなく、捕虜になったら速やかに自害せよ」との認識があった日本では成り立たなかったとした。

 さらに、日本の武士の「野蛮さ」は、切腹が最高の死に方であるとされたことにも現れていると説明。その背景には、人の魂が腹の中に宿っているという認識があり、死ぬときには割腹によって自らの忠誠心を示すのだとしている。

 記事はまた、「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」という一説や、失踪してから100時間経過しても部隊に戻らなかった兵士を戦死認定して位牌を靖国神社に納め、もし生きて帰れば靖国神社に対する侮辱であり、自決することで神社に謝罪するといった規定があったと紹介。当時の日本兵は理性を失っていたと論じた。

 そのうえで、八路軍が日本の捕虜に対する手厚い保護を徹底、精神面で日本の兵士に勝利するとともに、日本の武士道精神を崩壊させることに成功したと解説。「日本の武士道は投降を許さなかったが、最終的には日本全体が投降することとなり、武士道は徹底的に破たんしたのである」と評した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)