
マグロ漁船というと、借金で首が回らなくなった人が無理やり乗せられる“借金の末路”のようなイメージを抱く人も少なくないでしょう。しかし、両親の借金5,000万円の返済を助けるため、17歳にしてマグロ漁船員になった菊地誠壱氏によると、どうやらそうでもないようです……。菊地氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、詳しくみていきましょう。
【あらすじ】
親の事業失敗による借金5,000万円を返済するため、高校中退後マグロ漁船員になった筆者。
最初の航海では苦労も多く「二度と乗るものか」と思ったほどでした。
仲のいい先輩に教えてもらいながら、だんだんと仕事を覚えていきます。
「マグロ漁船員=借金返済のため無理やり」ではない
マグロ漁船に乗っている船員というと、借金の返済のために乗せられた訳ありの人というイメージがまず浮かびますが、英雄さん(※1)と安広くん(※2)の場合は間違いなくそうではないと思います。
(※1)リーゼントパーマをあてていて、色黒で身体が大きく、迫力のある外見。喧嘩が強く豪快で、筆者の地元では有名人。筆者を秋洋丸に誘った。安広(※2)とは友達で、2人は一緒にマグロ漁船に乗っていた。
(※2)筆者のいとこである秀樹の兄。筆者より2つ年上で、身長が高く不良らしい見た目。
2人は自分の娯楽のために、陸に上がって遊ぶ金を稼ぐために乗っていたに違いないと今でも思っています。2人は当時、寝る間も惜しんでハコスカを走らせて遊んでいましたし、私もそれに加わって楽しく遊んでいました。
この船のコック長もまた、借金のためというよりも「マグロ漁船に乗るのを生業としている」という感じの人でした。いつも私の上の寝台で寝ていて、寝台に上がるときはたまに私を踏んでいきます。
前の船のたかしおんちゃん(※3)とは大違いで、荒っぽい性格が顔に出ているタイプで怒ると怖い酒乱のおっさんです。よくタオルをターバンのように頭に巻いてお酒を飲んでいて、グラスを片手に文句を言ったり笑ったりと、表情豊かな人でした。鼻が妙に高くて、明石家さんまのような出っ歯で、指には梵字の入れ墨を入れていました。
(※3)筆者の伯父、筆者が初めて乗ったマグロ漁船でコック長を務めていた。
そんなコック長がタバコをくわえながら、大声で怒鳴っていました。
「コラ! ○×※□♂〒△!」
八戸出身らしく、なまりが酷かったので、正直あまり何を言っているのかわかりません。
「何、この野郎! うるせー!」
喧嘩している相手も、ゴツくて唇が厚くて真っ黒な顔をしたゴリラみたいな酒飲みのおじさんでした。
「ゴラァー! うるせー!」
「なんだとこの野郎!」
とうとうコック長が出刃包丁を持ってきた! ゴリラみたいなおっさんもこれには怯みました。すると船長がやってきました。
「バカ野郎! 何やってる!」
船長はプロレスラーみたいにゴツいおじさんで、声も大きくてよく通ります。
「バカもんが!」
おっさん2人は船長に思いっきり怒られ、喧嘩も終わり、一応手打ちになりました。こうして船長が仲裁するほどの酷い喧嘩はめったにありませんが、誰かが船長にチンコロしたらしいです。私は胸を撫で下ろしました。船長はデコスケ(警察)みたいなものですね。
休みの日はあるの?…マグロ漁船員の“日常”
マグロ漁船では休みというものが特に決まっておらず、船頭が縄を入れないと言えばそこで休みになります。1日休みになったときは、私は疲れを癒すためにひたすら眠ります。
漁船ではワッツ(ワッチ)という仕事があり、休みの日に周りに船がいないかどうかを2時間交代で見張ります。また、風向きを日誌のようなものに記入します。
夜は水平線を眺めても何も見えないので真っ暗ですが、ふとポツンと明かりが見えるときがあります。それが船ということになるのですが、船の衝突を避けるために明かりに近づく前に船長を起こし、船長が舵を取ってかわします。
英雄さんは私の番の前なので、ワッツになると私を呼びに来ます。
「ワッツ交代! せー、ワッツ! ワッツ!」
「顔を踏んで起こすのはやめてくれ!」
英雄さんはいつも私の顔を踏んで起こそうとしてきます。そして英雄さんと私のワッツの時間、合わせて4時間をいつも一緒に過ごしていました。そこで英雄さんはたまにカッパ用の接着剤をビニール袋に入れ、ラリパッパすることがありました。
「ラリパッパするか?」
「ううん、俺はしない」
あまり匂いが好きではなかったので私はやらなかったのですが、気持ちよくなるなら少しやってみたかったかも、と思っていました。
先輩ヤンキー「英雄さん」との不思議な縁
英雄さんとは不思議な縁があって、私が高校1年生のとき英雄さんに初めて会った後、いとこの不良の秀樹ちゃんからバイクを買わないかと言われました。
「おめー、ゴリラ買わないか? ボアアップしてっから100は回る(時速100キロは出る)ぞ!」
「マジか? ボアアップしてて100回る? すげーな。どうせ高校行ったら、チャリンコはダセーし単車だべ、勿論無免許だけど」
当時不良だった私はそんなことを考えていました。でも、そんないいバイクをどこから手に入れるんだ? と不思議に思っていました。しかし後日、その最高のマシンを手に入れました。なんと、そのゴリラのオーナーが英雄さんだったのです。
「せー、買うか?」
「買う! 欲しい!」
もしかして、初めて英雄さんと駅で会ったとき、組長さんと二人で乗っていたゴリラか? すげー! ワクワクして心が躍りました。
早速オヤジに交渉して、金をもらいました。
「父ちゃん、ゴリラ買うから5万けろ」
「わかった、いいよ」
こういう話には理解のある親父です。そんな感じで英雄さんのゴリラを手に入れたわけですが、しばらくしてゴリラを壊してしまい、後で英雄さんにちくちく言われました。
死と隣り合わせの日々…マグロ漁船の「日常業務」とは
英雄さん、安広くんとマグロ漁船に乗り、だんだんと仕事を覚えてきました。やはり仲のいい先輩がそばにいると覚えられるものですね。スナップ外しもできるようになり、今までにない優越感や達成感が込み上げてきて、仕事も純粋に楽しいと思えるようになってきました。
しかし私は給料8分の1年生※なので、当面の目標は一人前の称号をもらうことだと強く意識していました。
※マグロ漁船ではオールマイティにあらゆる仕事をこなせないと一人前と認められず、何かできない仕事があるうちは半人前とされる。半人前の間は給料が8分(8割)しかもらえない。
マグロ漁船には多種多様な仕事があるので、スナップが外せるからとかブラン手繰りができるからといって決して誇れるようなものではありません。まだまだ覚えることはたくさんあります。
マグロ漁船の仕事で基本となる作業にはいろいろあります。
まず投縄の仕事として、餌投げ(餌掛けとも言う)、スナップ掛け、ブラン出し、餌出し。
揚げ縄の仕事としては、ブラン手繰り、スナップ外し、魚引っ張り、鉤掛け、魚の解剖、三枚下ろし、縄刺し、縄の傷チェック、ハンドル、ヤマ、ブラン包み……。
これくらいの仕事は最低限覚える必要があるので、そんなに簡単には一人前になれません。一人前になるには数か月は働かないといけないと思います。
やり方さえ覚えてしまえば、スナップ掛けなんかは簡単で楽な仕事です。
投縄のとき、機械で海に流している幹縄にスナップを掛けていきます。ピッと音が鳴るので、基本はその音に合わせて掛けます。餌投げの人が投げたのを見てからスナップを掛けるので、餌投げに合わせてタイミングを調整します。これだけ守れば大したことはないです。
だいたいスナップ掛けのあとは休憩のためにサロンに降りて、コーヒーとタバコで数分一服します。
ブラン出しの仕事は、餌投げとスナップ掛けの人が作業しやすいよう、テーブルの上に包んだブランを解いておくだけです。縄のもつれが上がり、縄を出す繰出機に絡まって動かなくなったら、いち早く無線で「ストップ! ストップ! アスタンアスタン」と船頭に報告するのもブラン出しの仕事です。アスタンとは「後ろに下がれ!」という意味です。
ブラン出しの担当はいつも身軽に動ける状態にしておく必要があります。餌出しの人がいないときは代わりに餌を並べたり、その他いろいろ動き回ったりしますが、基本的には楽な仕事です。
餌出しはそのまま、凍った餌を溶かして並べる仕事です。餌がカチカチに凍っているのである程度砕いて溶かします。
決まった枚数の仕掛け(仕掛けは1枚、2枚と数えます)を投入できたら、目印としてラジオブイを入れます。ラジオブイは信号を出すので、縄が切れた時の捜索に使います。このブイはかなり重いので、海に入れるときは少し怖いです。スナップ掛けと餌投げの人がブイのスナップを掛けたのを見たら、「せーの! レッコ!」と言いながらドボーンと入れます。海に入れたらもうやり直しはできないので、しっかりタイミングを合わせます。
ちなみにレッコとは投げると言う意味です。ちょくちょく使われますので面白いです。「投げろ!」よりはレッコのほうが言いやすいし作業もしやすいと思います。マグロ漁船はこうした業界用語がたくさん出てくるので、最初のうちはとても不思議でした。
投縄の仕事で一番難しいのは餌投げで、初心者のうちからできるような仕事ではありません。私はこの餌投げが大好きなのですが、難しいからこそ達成感や優越感があります。力は要らないので、テクニック次第だと思います。
餌出しの人が餌投げの人のために餌を並べてくれます。その餌を針に引っ掛けて、餌を投げます。自分が投げたところにマグロが掛かってくれれば嬉しいですね。
しかし、覚えるまでには時間のかかる仕事です。作業自体は単純ではあるのですが、危険なこともあります。自分の斜め後ろに向かって投げるのですが、餌投げのときに投げた餌が針から外れて飛んでいってしまうと、その針が船にチャリンと乗ってしまうことがあるので危険です。
そのとき、針の反対側にある仕掛けのスナップを、スナップ掛けの人が縄にかけてしまったら、海に流している縄に引っ張られ、針が船に引っかかってビーンと張ります。大怪我の元になるので、「危ねえ、離れろ! 出刃包丁で切れ!」と言われます。あるいはブリッジにいる船頭に無線で「ストップ! ストップ!」と言わなければなりません。その針が餌出しの人の頭上に飛んで行ったら……なんて考えると怖いです。
応用もある程度利くようにならないと餌投げの仕事は難しいので、リスク回避が重要になってきます。最初は怖くて餌の魚を持つ手が震えました。
誰かが1つ間違えば、途端に船内がパニックに陥るのがマグロ漁船の仕事なのです。
菊地 誠壱 元マグロ漁船員/Youtuber

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