中世の吸血鬼のイメージ図
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 南ヨーロッパクロアチアで、13~16世紀にさかのぼる奇妙な墓が見つかった。

 遺骨の頭部は意図的に切断され、少し離れたところに置かれていた。その他の骨も自然な状態ではありえない方向に動かされていた。

 カラパイアの読者ならピンときただろう。このような遺体は吸血鬼のものとされた可能性が高いのだ。

 故人が墓からよみがえらないように、このような奇妙な埋葬をしなくてはならないほど、中世には恐ろしい吸血鬼伝説があったのだ。

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中世のスラブ諸国で信じられていた「吸血鬼伝説」

 この奇妙な墓は、クロアチアの首都、ザグレブの南東約112kmに位置するラシャシュカ遺跡で発掘された。

 研究者たちは、墓の中に大きな石があることに気づいたが、これらは近くの壁から落ちたものと判明した。しかしさらなる分析で、遺体が首を切断され、頭蓋骨が他の骨から離れて配置されていることが明らかになった。

  考古学のナターシャ・サルキッチ氏はこう語る。

中世ヨーロッパのスラブ諸国では、キリスト教が導入された後も邪悪な霊に対する信仰が続いていたことはわかっています。

今回発見された遺骨から、当時の吸血鬼に対する恐怖が広まっていたことがわかります(ナターシャ・サルキッチ氏)

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 スラブ諸国とは、東ヨーロッパ中央ヨーロッパに広がるスラブ系民族が多く住む国々のことだ。スラブ系民族とはロシアポーランドクロアチアなどの国々に住みスラブ諸語を使う人々のことで、共通の文化や、独自の民間信仰を持っていた。

 中でも「死者がよみがえり生者を襲う」という吸血鬼(バンパイア)伝説が根強く信じられており、その防止策として特別な埋葬方法が用いられていた。

バラバラに切断されて埋葬された遺骨。頭蓋骨は近くから発見された Image credit: Milica Nikolić

遺骨から明らかになった人物像

 遺骨の詳細な分析により、この人物は40~50代の男性であることが判明した。

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 胴体部分はうつぶせなのに、他の骨は故意に上向きにされていた。

 脊椎や下肢に肉体労働をしていた痕跡が見られ、脚は脱臼し、ほかにも怪我が治癒した痕跡が見られ、生前は日常的に暴力を振るわれていた可能性もあるという。

 さらに、頭部に受けた2度の打撃によって死亡したこともわかった。

この墓に埋葬された人物は、複数の傷を負っており、生前に暴力を受けていたことが示唆される。頭蓋骨の損傷が致命傷となり、これが死因となったと考えられる。下の2枚の画像には、2度の打撃による頭蓋骨の損傷が示されている。Image credit: Nataša Šarkić

 こうした異様な埋葬の仕方は、この人物が生前、社会から逸脱した人物とみなされていた可能性を示していて、死後再びよみがえって災いをもたらすかもしれないという怖れにつながったと思われる。

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発見された遺骨は40~50代の男性だった Image credit: Milica Nikolić

中世の吸血鬼信仰

 この中世の吸血鬼とみなされた人物の墓の発見は、クロアチア国内でこれが初めてではない。

 2024年にはラシャシュカ遺跡の北西にあるパクラツの旧市街でもこうした吸血鬼復活防止対策を施した遺骨が見つかっている。

 ここで見つかった人物は装飾が施された木製の棺で埋葬されていたが、首が見つかっていない。首のない死者は墓からよみがえって生者に危害を加えることはできないという信仰があったことを物語っている。

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 サルキッチ氏にいよると、ヨーロッパ全土、とくにポーランドで中世の吸血鬼の墓が最近相次いで見つかっているのは、このような墓を特定できる生物考古学者が発掘調査に加わることが多くなったためだという。

墓の中の人物の遺体は死後奇妙にねじれており、足は脱臼していた可能性がある。墓の中で見つかった2つの大きな石は近くの壁から落ちてきたものと思われる  image credit:SK Schendzielor)

ラシャシュカ遺跡の由来と考察

 ラシャシュカ遺跡は、ボバレの大きな集落の中にあり、中世初期にはエルサレムの伝説的ソロモン宮殿にちなんで名づけられた軍事組織テンプル騎士団が所有していた。

 後に聖ヨハネ騎士団が引き継ぎ、15世紀には地元の貴族のものとなった。この場所は要塞のようなものだったと思われる。

 考古学チームは、2011年からこの遺跡を調査していて、180基以上の墓を発見した。もっとも古いものは13世紀にさかのぼるが、ほとんどが15~16世紀のものだ。

 これまでのところ、ここで発見された吸血鬼の墓はこの男のものひとつだけだ。

 映画や小説に登場する吸血鬼は、貴族のように洗練された存在として描かれることが多い。しかし、中世のスラブ諸国で信じられていた吸血鬼は、まったく異なる姿をしていた。

 サルキッチ氏によると、当時の人々は吸血鬼を「太っていて、爪が長く、肌の色が赤みを帯びた者」とされていたという。

 これは、死後に体が膨らみ、血が滲み出ることがあったためだと考えられている。つまり、腐敗の進んだ遺体を目にした人々が、それを「吸血鬼」とみなした可能性があるのだ。

 科学があまり発達していなかったこの時代、仮死状態で埋葬されてしまうケースも多く、死んだはずなのに蘇ったとされることも多かったため、吸血鬼伝説はより信憑性を増していったのだろう。

 過去にも、吸血鬼とみなされ、首の上に鎌をかけられて埋葬された遺骨や、頭部を切断され、口の中に硬貨が突っ込まれた遺骨などを紹介しているが、当時の人々は、本気で吸血鬼の存在を信じ、恐れていたのだ。

References: Otkriće "vampirskog" groba u Hrvatskoj - Sve o arheologiji[https://sveoarheologiji.com/otkrice-vampirskog-groba-u-hrvatskoj/]

本記事は、海外で報じられた情報を基に、日本の読者に理解しやすい形で編集・解説しています。

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