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 1587年、英国人入植者の一団がアメリカ、ノースカロライナ州バーティ郡とアウターバンクスの間にあるロアノーク島に到着した。

 最初の恒久的な入植地を設立することが目的だったが、それから3年の間にこの一団が跡形もなく消えてしまった。

 それ以来、彼らの運命についてさまざまな説がささやかれたが、入植者たちがどうなったのかは依然としてわからず、今日に至るまで謎のままだ。

 だがその手がかりが、400年前の古地図に隠されていたことが明らかになった。大英博物館の専門家による分析によって、地図の一部を覆う形の修正跡が発見され、謎の解明につながる可能性が浮上したのだ。

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ロアノーク植民地の謎とは?

 1587年、イギリスの探検隊が大西洋を渡り、現在のノースカロライナ州にあるロアノーク島に上陸した。彼らはここに新しい生活を築こうと考えていた。この探検は、イギリス女王エリザベス1世と探検家ウォルター・ローリーの支援を受けており、女性や子供を含む115人の英国人入植者が参加していた。

 この一団を率いたのはジョン・ホワイト総督だ。入植者の中には、ホワイトの娘であるエレノア・ホワイト・デアもいて、この年、彼女は新世界生まれの英国人初の赤ちゃん、ヴァージニア・デアを出産した。

 ホワイト総督は、植民地への物資援助要請のためにいったん英国本土に戻ることになったが、折悪しくスペインとの戦争が始まってしまい、本国で足止めをくらってしまった。

 3年後、ようやくロアノーク島に戻ったのだが、なんと入植者たちとその集落が跡形もなく消えていたのだ。

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 手がかりといえば、木の柵に「クロアトアン(CROATOAN)」という文字が彫られているだけ。これはロアノーク島のすぐ南にある別の島の名前で、そこに住んでいた先住民部族の名でもあった。

 この奇怪な事件は「ロアノーク植民地の謎」として現在まで語り継がれている。

この絵は、ジョン・ホワイト総督が1590年にロアノーク植民地に戻り、放棄された入植地を発見する様子を描いている。ホワイト総督が1587年に去った後、柵が築かれており、入り口近くに「CROATOAN」という言葉が彫られているのが発見された。public domain/wikimedia[https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The-Lost-Colony_0.jpg

400年前の古い地図に手がかりを発見

 2012年、大英博物館の専門家たちが、ジョン・ホワイト総督が1585年から1586年に描いた地図「ラ・ヴァージニアパルス」をライトボックスにかざして分析したところ、地図の空白部分に砦のシンボルが隠されていることが明らかになった。

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 地図の空白部分には小さな紙片を使って修正された痕跡が残っており、下にかすかな輪郭がふたつ見つかったのだ。

 これが、最終的な植民予定地の場所ではないかというのだ。

 そのうち片方は完全に消されているが、隠された砦のマークは現在のバーティ郡付近、アルベマール湾の西端にあり、ロアノーク入植者たちがいたことが最後に確認されている場所に比較的近い。

400年前にジョン・ホワイト総督が描いた地図「ラ・ヴァージニアパルス」に、修正された跡と思われるふたつのかすかな輪郭を発見  image credit:The British Museum

「サイトX」で発見された遺物

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 この発見を受け、ノースカロライナ州の「ファースト・コロニー財団」がこの地点を「サイトX(遺跡X)」と名付け、詳細な調査を開始した。

 調査では、衛星リモートセンシング技術を用いた探索が行われたが、明確な集落の痕跡は確認されなかった。

 ところが、過去の発掘物にその手がかりがあることがわかった。

  実は2007年、ノースカロライナ州の隣州、バージニア州を拠点に遺跡の研究を行う、ジェームズリバー考古学研究所の考古学者ニコラス・ルッケッティ氏が、サイトXにあたる場所で英国の陶器の遺物を発見する、という重要な発見があったのだ。

 その中には陶器の破片、靴紐に使われた初期のアグレット(紐の先端につける装飾金具)、布地を固定するテンターフックなどあった。

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 研究者たちはこの陶器の破片について「英国のボーダー陶器であることは確かで、おそらく16世紀にさかのぼるバージニア州で最も初期の入植地に限定されるもの」としている。

 これらの遺物が示唆するのは、この地にイギリスの入植者が確かにいたという事実である。ただし、サイトXがロアノーク植民地全体を収容していたとは考えにくく、一部の入植者が避難するために移動した可能性が高いとされている。

ジョン・ホワイト総督が描いた地図「ラ・ヴァージニアパルス」のオリジナル image credit:The British Museum

エレノア・ホワイト・デアが文字を刻んだ「デア・ストーン」の発見

 もうひとつの重要な手がかりは、ジョン・ホワイトの娘、エレノア・ホワイト・デアが文字を刻んだと思われる石「デア・ストーン」が1937年に発見されたことだ。

 この石には、緊急時のシンボルとして十字架が刻まれていて、「ジョン・ホワイト総督ゆかりの英国人、アナニアス・デアとヴァージニアは1591年に天国へ召された」と読める。

 さらに、入植者たちがロアノークを離れ、2年間の悲惨な状況に直面した様子が描かれている。

 どうやらこの時期に入植者たちの半数が死んだようだ。

 沖に船が現れたといったニュースも書かれていて、本国の援助を心待ちにしていた様子がうかがえる。

エレノア・ホワイト・デアが文字を刻んだとされるデア・ストーン  image credit:Brenau University

入植者はどこに消えたのか?

 100人以上いた入植者たちはどこに消えてしまったのだろう?

 これまでにたてられた仮説はどれも悲惨なものだ。

・待ちくたびれ、本国に見捨てられたと思い込んだ植民者たちが、自分たちの力で本国へ戻ろうと海に乗り出したが、その途中で遭難したという説。

・食糧の枯渇によりお互いを食べ始めたという説

スペイン人入植者がこの植民地を壊滅させたとする説

先住民族に虐殺されたという説

 現在もファースト・コロニー財団はサイトXでの発掘を続けており、さらなる証拠を探している。

 研究者たちは、ロアノーク植民地の入植者たちが完全に姿を消したのではなく、一部が地元のネイティブ・アメリカンの村「メッタクエム」へ逃れた可能性を指摘している。

 16世紀のアメリカ大陸では、ヨーロッパ人の入植者がネイティブ・アメリカンと交流し、生活を共にするケースもあったため、ロアノークの入植者たちが同じ道をたどったとしても不思議ではない。

 400年前の地図が示した新たな手がかりは、ロアノーク植民地の消失の謎を解く鍵となるのか?

 こうした研究が進むにつれ、やがて歴史の闇に埋もれた真実が明らかになる日が来るかもしれない。

References: Ancient map: Experts may have solved '400-year-old American mystery' after discovering hidden secrets[https://www.gbnews.com/news/us/ancient-map-american-lost-roanoke-colony-mystery-hidden-secrets] / Secret in 400-year-old map may solve one of America's 'greatest mysteries,' stunned researchers say[https://nypost.com/2025/01/27/science/secret-in-400-year-old-map-may-solve-one-of-americas-greatest-mysteries-stunned-researchers-say/]

本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに重要なポイントを抽出し、独自の視点で編集したものです。

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