昨年9月に18歳の誕生日を迎え、成年となった秋篠宮家長男の悠仁さまが、3月3日に初めての記者会見を行った。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「昨年の、ご成年に際しての『ご感想』と比べて、今回のご会見では“成年皇族”としてのスタンスが明確に打ち出されていた。しかし、全体を見ると、“皇族らしさ”を深く内面化されている愛子さまとは異なる」という――。

■“次の天皇”悠仁さま初の記者会見

さる3月3日、秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下が昨年9月にご成年を迎えられたことにともなう記者会見が行われた。

あらためて言うまでもなく、悠仁殿下は現在の構造的な欠陥を抱えた皇位継承ルールのもとでは、継承順位が第2位とされている。しかし、継承順位が第1位の秋篠宮殿下は天皇陛下よりわずか5歳だけお若いにすぎない。

したがって将来、天皇陛下が上皇陛下の先例にならわれて、ご高齢を理由として退位される場合、秋篠宮殿下もすでにそれなりにご高齢になっておられる。そのため、不測の事態でもない限り、秋篠宮殿下が実際に即位される展開は想定しにくい。

皇室典範の規定では、継承順序の変更も不可能ではない(第3条)。

そうであれば、悠仁殿下は今のルールがそのまま維持されたら、次の天皇になられる可能性が高い。そのような位置におられる悠仁殿下の記者会見に注目があつまるのは当然だった。

■笑顔を絶やさずしっかり質問に答えられた

果たして悠仁殿下の記者会見は、まだ18歳というご年齢を考えると、じつに立派だった。

赤坂東邸に設けられた記者会見場に、殿下は原稿も持たずに姿を見せられた。少し緊張の面持ちながら終始笑顔を絶やさず、お顔を上げて記者たちに目を向けながら、しっかりと質問に答えられた。そのお答えの中身も、よく吟味され行き届いていた。

現代日本の18歳の青年で、大勢の記者たちを前にして、これほど落ち着いて受け答えができる若者は、それほど多くはいないだろう。今後しばらくは、もちろん学業優先だろうが、成年皇族として不安もなく、皇室のご公務を担っていただける方だと感じさせるご会見だった。

幅広い国民からも好意的に受け取られたようだ。

■皇室典範は「直系」と「傍系」を区別

ちなみに、皇室典範には「成年」について、皇室の中で「天皇、皇太子及び皇太孫」だけは18歳で成年を迎える、との規定がある(第22条)。しかしこの条文は、民法の改正によって誰もが18歳で成年になることになり、特例規定としての意味を持たなくなった。

それでも、皇室典範の「直系優先」の姿勢を示していて、興味深い。それは、ここで特別扱いされていたのが、天皇と“直系”の皇嗣(皇太子、皇太孫)に限られている事実だ。

言い換えると、同じ「皇嗣(皇位継承順位が第1位)」であっても、“傍系”の皇嗣はほかの皇族と同じ扱いにされていることを意味する。

ほかの条文を見ても、皇室典範は直系の皇嗣と傍系の皇嗣を明確に区別して、直系を重く位置づけていることがわかる(第11条第2項・第19条)。傍系の場合、皇嗣でも皇籍離脱の可能性すら認められている。

このように扱いの違いがある傍系の皇嗣は、天皇と親子のようなタテの関係ではなく、ヨコのきょうだい関係にある場合などをさす。令和の皇室で言えば、秋篠宮殿下がまさに傍系の皇嗣にあたられる。

悠仁殿下は、その傍系の皇嗣のご長男、というお立場だ。

■“皇族”を感じさせなかった昨年の「ご感想」

今回の悠仁殿下のご会見を拝見して、個人的に強く感じたことの1つは、以前に宮内庁から発表された悠仁殿下のご成年に際しての「ご感想」(「悠仁親王殿下18歳(ご成年)のお誕生日に当たり令和6年[2024年]9月6日)との、小さくないギャップだ。

こちらは率直に言って、このご感想を述べておられる主体が「皇族」であることを、まったく感じさせない内容になっていた。

文中のどこにも「天皇」「皇族」「国民」という言葉が出てこない。極端に言えば、意識してわざと拭い去ったかと思えるほどに、皇室や皇族を連想させる表現がいっさい見えなかった。

それに対して、今回のご会見ではどうだったか。あらかじめ宮内記者会が提出した質問にお答えになる形式だった事情もあり、当然ながら“成年皇族”としてのスタンスが明確に打ち出されていた。

おそらく周囲の助言も得ながら、入念かつ周到な準備をされたことがうかがえる回答になっていた。そのご努力には頭が下がる。

だが、等身大の悠仁殿下のお気持ちを正直に反映しているのは、おそらく先の皇族らしさを感じさせない「ご感想」の方ではないだろうか。このことは、悠仁殿下のこれまでの歩みに照らしても、そう言えるだろう。

■等身大の悠仁さま

たとえば、お茶の水女子大学附属中学校を卒業された時の作文「開・啓・拓の思い出」(令和4年[2022年])を拝見しても、ご会見で述べられた皇室像につながる要素はまったく見当たらない。

そこで述べられていたのは、一例を挙げると以下のようなことだった。

「学校の活動を通じて、多様な視点をもち、考えを深めることの重要性を学びました。また(中3の)二学期には、一年生のときから探究してきた自主研究をまとめ、自分の興味を深めることができました。これらの経験は、これから歩む自らの道を拓くことに繋がっていくように思います」

作文全体にわたって、このようなトーンで統一されていた。

これは、皇室との関連が感じられない「ご感想」とは、スムーズにつながる。しかし、ご会見で見せられた“皇族らしさ”とは、うまく接合しない。

■愛子さまの揺るぎなさ

それと対照的だったのが、令和の皇室でただお一方だけの直系の皇女、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下のご成年に際しての「ご感想」や記者会見だった。それらは、敬宮殿下の以前からの歩みと、そのまま自然につながっていた。

たとえば、敬宮殿下が学習院女子中等科1年の時に書かれた短編ファンタジー小説「看護師の愛子」(平成27年)を見ても、そうだ(2024年1月30日配信「中1で書いた小説が示唆していた…愛子さまが大学院進学でも留学でもなく、日本赤十字に就職する理由」参照)。この作文では、傷つき苦しむ“命”に対して、献身的に尽くしたいという心の奥に秘められた思いが、おそらく当時のご本人が自覚しておられた以上に、ストレートに表現されていた。

そのお気持ちの延長線上にあるのが、ご成年会見でのご発言だった。このご会見では、ご自身の皇室の一員としての在り方をめぐって、次のように述べておられた。

「苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております」

まさに「看護師の愛子」に描かれたモチーフとぴったり重なる。

■愛子さま「成年のご感想」の中の「国民への感謝」

また、中学3年生の時に修学旅行で初めて広島を訪ねたご感想をまとめられた「世界の平和を願って」(平成29年[2017年])では、昭和天皇から上皇陛下、さらに天皇陛下へと受け継がれてきた平和への願いを、真正面から受け止め、ご自身のお考え、ご自身のお言葉として表現されていた。

そこに以下の記述があった。

「日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」

ここで述べられている“感謝と思いやり”の大切さについては、「ご感想」の中でも取り上げられていた。

「日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つ事のできる大人に成長できますよう、一歩一歩すすんでまいりたいと思います」

とくに私が驚いたのは、「ご感想」の中に、わざわざ次のような一文が加えられていたことだ。

「成長を見守り、温かい声をお寄せいただいている国民の皆様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます」

広く「国民」への感謝がはっきりと述べられていたのだった。皇族ではなく、普通の若い女性であれば、当人がどれだけ有能・優秀であったとしても、決して出てくるはずのない表現であり、視点だ。

■「皇族らしさ」を深く内面化している愛子さま

悠仁殿下の場合は、「ご感想」と記者会見の内容との間に、大きな隔たりを感じさせる。

前者では、皇室の気配がまるでなかった。しかし後者では、いかにも成年皇族らしく振る舞っておられた。

一方、敬宮殿下の場合は「ご感想」も記者会見も、どちらもご自身の等身大のお気持ちを素直に示されていた。そこには皇女らしい高貴さと、人々への優しいお気持ちがあふれていた。

多くの国民が、この方こそ皇室の将来を担われるにふさわしいと感じたのも、自然な受け止め方だった。

これはおそらく、お二方それぞれの同年齢の中学生時代の作文を比べても分かるように、ご幼少期以来、「皇族らしさ」がどれだけ深く内面化されているかの違いであって、ご成年時の20歳と18歳という年齢差だけには還元できないだろう。

■率直で正直な若き天皇陛下のご会見

ここで、天皇陛下のご成年に際しての記者会見についても、振り返っておこう(昭和55年1980年2月20日)。

陛下は当時、まだ浩宮(ひろのみや)殿下と呼ばれていたが、皇族の一員としての在り方について、以下のように述べておられた。

「今の皇室の中心であられ天皇陛下昭和天皇)もやはり国民の幸福を願い続けておられると思うんです。やはり皇族の一員であるぼくとしても、陛下のご態度にならいたいと考えています。
でもぼくの場合、まだ若くて本当にそういったことがよくわからないんで、そういった心を育てるっていうことにおいても、多くの人と接触するっていうこと、日本をもっとよく知りたい、多くの人を理解したいと考えています」

これはまさに20歳頃の若さにふさわしい、まったく飾り気も無理に背伸びをした様子もない、率直、正直なご本心の吐露だろう。

将来に「天皇」となるべき方に、最も求められるのは、他の何よりも、このような純粋さ、誠実さではあるまいか。

敬宮殿下のご成年会見が大きな感動を呼んだのも、ご発言内容やたたずまいの素晴らしさに加えて、天皇陛下ゆずりの、純真無垢な正直さ、誠実さを、多くの国民が自ずと感じ取ったからにほかならないだろう。

■見事だった記者会見

悠仁殿下は大役を果たすべく、十分な準備をしてご会見に臨まれ、見事に期待に応えるご会見を成し遂げられた。これによって、皇室に新しく頼りになる成年皇族が加わった事実を、広く印象付けた。

これは皇室全体にとっても、とても良いことだった。

ところが、先頃のご会見によって、これまでの「愛子天皇」待望論を吹き飛ばした、といった論調が一部に現れた。だが、このような意見には、いささか誤解があるのではないか。

■「愛子天皇」待望論の真の理由

敬宮殿下が次の天皇として即位されることを望む考え方の基調となっているのは、現在の皇位継承ルールが抱える“構造的な欠陥”への問題意識にほかならない。個別の皇族の資質とかお人柄などとは、直接かかわらない。

すでによく知られているように、皇位継承資格を「男系男子」に限定するルールは明治の皇室典範で新しく採用された制度だった。このような窮屈な限定が持続可能だと思われたのは、側室制度を前提として非嫡出子・非嫡系子孫にも皇位継承資格を認めるルールと“セット”だったからだ。

ところが今の皇室典範では、当たり前ながらとっくに側室制度が廃止され、一夫一婦制を前提とした正妻以外の系統には皇位継承資格を認めないルールに、変更されている。しかも今や晩婚化・少子化が進んでいる。

にもかかわらず、「男系男子」限定ルールがうっかりそのまま維持されている。まさに構造的な欠陥と言うほかない。

これでは皇位継承の将来が不安定化するのは避けられない。そのために、もし皇位継承の安定化や皇室の存続を望むならば、ミスマッチな「男系男子」限定ルールを見直すしかない。

そこを見直せば、継承順序の「直系優先」原則(皇室典範第2条)によって、当然の結果として“直系の皇女”でいらっしゃる敬宮殿下が「次の天皇」に確定する、という文脈だ。

要は、このまま皇位継承ルールの致命的な欠陥を放置するか、安定的な皇位継承が視野に入る方向を選ぶか、という制度上の選択にほかならない。

■このままでは皇室に悠仁さまだけが残される

このまま「男系男子」限定を放置すれば、やがて皇室には悠仁殿下たったお一方だけが残されることになる。そのような未来があらかじめ見えていれば、悠仁殿下のご結婚自体も至難になりかねないことは、ご結婚相手の立場を想像すればたやすく分かるだろう。

天皇皇后両陛下にお子さまがおられないならばともかく、お健やかでご聡明というレベルをさらに超えた、輝くような敬宮殿下が現におられる。なのに、“女性だから”というだけの理由であらかじめ皇位継承のラインから除外されるルールは、単に時代錯誤なだけでなく、皇位継承のゆくえを危うくすることが明らかだ。

そうであれば、悠仁殿下の記者会見がご立派だった事実とは関係なく、欠陥ルールの是正をためらってはならない、という結論は揺るがない。

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高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
1957年岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録

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成年に当たり、初めて記者会見をされる秋篠宮家の長男悠仁さま。2025年3月3日午後、東京・赤坂御用地内の赤坂東邸[代表撮影] - 写真=時事通信フォト