
この記事をまとめると
■デコトラの特徴のひとつに箱絵が挙げられる
■『トラック野郎』の劇中車の箱絵も印象的だった
■デコトラに箱絵が描かれるようになった理由に迫る
映画が流行る前から存在したデコトラの箱絵
1975年から1979年にかけて公開された、大ヒット映画『トラック野郎』シリーズ。主演車両は大型箱車の「一番星号」で、相棒は中型箱車の「ジョナサン号」、そして第7作から9作にかけて出演した「三番星」は、小型の箱車をベースにしたデコトラだった。その「三番星」は実際に存在したデコトラを起用したものであったが、「一番星号」と「ジョナサン号」は映画用に製作されたもの。そのため、トラック用の24Vではなく100V用の電球などが使用されるなど、現実のデコトラとは異なる仕上がりを見せていた。
そんな3台のデコトラたちには、箱に絵が描かれていた。とくに「一番星号」は作品ごとにモチーフを変更し、新たに描きかえるほど箱絵に重きをおいていたのである。
もちろん仕事や会社などに関係のない、いわば絵画のようなものだった。そのため、デコトラには絵を描くというイメージが定着したのだが、どのようないきさつでそのような風潮が芽生えたのだろうか。
映画『トラック野郎』の影響で、飾ったトラックが広く知れ渡ったのは周知の事実である。しかし、映画が始まる以前から、トラックを飾るという文化は存在した。映画にも「一番星号」のライバル役やエキストラとして、実際に荷物を運んで活躍していた当時のデコトラたちが数多く参加していたのである。
そんな「本物」を参考に「一番星号」と「ジョナサン号」が製作されたのだが、トラックの箱に絵を描くという手法も、映画以前に確立されていたのである。
1990年代になるとエアブラシが主流に
誰が最初に箱絵を描いたのかは定かでないが、派手な装飾を施すことを生きがいとしていたデコトラ野郎たちが、大きなキャンバスをもつ箱に絵を描こうと考えるのは、ある意味で自然なように感じる。その当時から、普通の運送屋でも箱に大きな文字を記したり、社名や屋号を刻んでいたからだ。
トラックの箱はいわゆる看板代わりとなっていたため、そこに好きな絵を描こうと思い立つのもおかしくないだろう。もちろん、社名などの文字と龍や虎などの箱絵では、放つインパクトがケタ違いとなる。そのため、目立つことを目標としていたデコトラ野郎たちのあいだでも浸透したのだ。
そんなデコトラ野郎たちに愛されたモチーフは、龍や虎、そして波絵や歌麿美人画など。勇ましいものや勢いがあるもの、はたまた妖艶なもの。それらが好まれる傾向にあった。
1970年代や1980年代では力強さが魅力的な筆描きがメインだったが、1990年代になるとエアブラシが主流となり、繊細なる描写が好まれるようになった。そして、アイドルや女優などを描くデコトラが続出。人気のペインターも台頭し、デコトラ界を大いに盛り上げたのである。
もちろん、箱に絵を描くというスタイルそのものは、プライベートなデコトラを中心に現在でも引き継がれている。日本が誇るデコトラ文化は絶えることなく、伝統を継承しながら進化し続けているのである。

コメント