
米国の巨大ジャンクヤード巡り
米サウスダコタ州ハートフォードの『オークリーフ・オールド・カーズ(Oakleaf Old Cars)』は、1950年代にドナス・オークリーフ氏が設立したジャンクヤードで、破砕機の導入は同州初だった。
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彼はすぐに、手に入るものすべてを破砕機にかけて、錆びた農業機械、自転車、クルマなどを処分する解体業を始めた。その中で状態の良い車両は保存され、素晴らしいクラシックカーコレクションが築き上げられた。
ドナス氏は1995年に亡くなり、2008年に彼の息子たちがクルマを朽ち果てさせるわけにはいかないと判断し、コレクションを一般公開することを決めた。ほとんどの車両は1940年代初頭から1960年代後半のものだが、よく目を凝らして探せば、雑草の陰に数台のティーンエイジャーが潜んでいるのを見つけることができるだろう。
今回は、筆者が数年前にオークリーフ・オールド・カーズを訪れた際に撮影した車両の、ほんの一部を紹介しよう。
1948年型シボレー・セダン・デリバリー
1948年型シボレー・セダン・デリバリーは、レストアの難易度こそ高くないものの、レストアする価値のある貴重なクルマである。わずか2万台しか製造されておらず、同年にシボレーが展開した12種類のボディスタイルの中で10番目に人気のモデルであった。こうした商用車は酷使され、乗用車ほど敬意を持って扱われない傾向にあるため、現存数が少ない。ジャンクヤードで同じモデルを見つけるには、長い時間をかけて探さなければならないだろう。
1952年型ハドソン・ホーネット
オークリーフ・オールド・カーズは、現在も自動車解体業を営んでいる。最近では主に現代のクルマを取り扱っているが、クラシックカーも部品取りとして使えなくなると潰していく。かつては素晴らしい存在だったハドソン・ホーネットは、2008年に同ヤードが一般公開されて以来、多くのスペアパーツを提供してきたが、当面はまだ十分に使用可能な部品が残っていると思われる。
1964年型ダッジ・ダート・コンバーチブル
訪問当日は嵐が近づいているという予報があったため、筆者はこの15エーカーの敷地をできるだけ早く走り回った。幸いにも雨に濡れずに済んだが、この1964年型ダッジ・ダートの車内はそうはいかない。状態が良ければ、このような人気の高いオープンカーはそれなりの価格で取引されるが、このひどい状態では話は別だ。
1948年型クロスリー・ステーションワゴン
ノーズコーンが本物であれば、このクロスリーのステーションワゴンは1948年半ばくらいのモデルだろう。クロスリーは1939年から1952年まで断続的に自動車を製造し、最も多く売れた1948年は2万5000台近くを出荷した。現在では、主にその目新しさから、比較的高い現存率を保っている。これらの車両は、米国の解体業者の看板として高い塔の上に置かれているのが最も一般的で、通行人への広告となっている。
1959年型ナッシュ・メトロポリタン
これもまた、高い現存率を誇る奇妙なモデルである。1953年から1961年の間に、およそ8万3000台のナッシュ・メトロポリタンが米国で販売された。製造地の英国では、オースチン・メトロポリタンとして知られていた。この車両はおそらく1959年製で、開閉式トランクリッドが初登場した年である。風雨により内装はひどく傷んでいるが、ボディはまだしっかりしている。
1958年型マーキュリー・コロニー・パーク
この写真を見れば、このヤードの広さと、保管されている車両の質の高さがよくわかる。写真中央にあるのは、1957年から1991年まで製造されたマーキュリーの最高級フルサイズステーションワゴン、1958年型コロニー・パークである。V8エンジンを搭載したコロニー・パークは当時、0-97km/h加速10秒以下を誇った。
1962年型キャデラック・スーペリア
これが1959年型のキャデラック・ミラーメテオであれば、間違いなく誰かに拾われて、ゴーストバスターズのレプリカ救急車に生まれ変わっていたことだろう。しかし、そうはならなかった。この車両は、はるかに知名度の低い1962年型のキャデラック・スーペリア(Superior)である。1962年には合計2280台のキャデラック・フリートウッド75の商用シャシーがコーチビルダーに供給され、救急車、霊柩車、花屋に改造された
1959年型エドセル・ヴィレジャー
1959年型ヴィレジャーは、エドセルのステーションワゴンの最廉価グレードであり、丸型のテールライトが装備されていた(ただし、写真の車両には残っていない)。これは、1958年型で装備されていたブーメラン型のライトに代わるもので、左側の方向指示器が右を向いた矢印のように見える(逆も然り)という問題があった。ヴィレジャーは6人乗りと9人乗りが用意されていたが、1958年から1960年の間に売れたのは8000台にも満たない。
1949年型パッカード
命を賭けてまで断言するつもりはないが、この「バスタブ」型のパッカードは1949年製だと思われる。その形状は、パッカード史上最も醜いとされており、「妊娠した豚(pregnant pig)」というひどいあだ名が付けられた。パッカードは1899年に設立され、高級車の製造で羨望の的となる評判を築いたが、1950年代にはビッグスリーとの競争に苦戦し、1953年にスチュードベーカーと合併した。同ブランドは1960年代末までに廃止された。
1964年型オールズモビル・ダイナミック88
驚くべきことに、この1964年型オールズモビル・ダイナミック88のコンバーチブルは、ガラスをすべて維持している。しかし、役には立っていない。ルーフがないため、内装は完全に破壊されている。この車両は、ハートフォードから約400km離れたミネソタ州ホプキンスのタウンズ・エッジ・オールズモビルという店で販売されたものだ。
1946年型デソート・デラックス・クーペ
この超レアな戦後初期のデソート・デラックス・クーペの正確な製造年を特定するのは難しいが、1946年から1948年の間に製造されたものと思われる。この3年間に製造された台数は2000台にも満たず、現存するのはそのごく一部である。再び走らせるには、多くの時間と費用がかかるだろうが、やりがいのあるプロジェクトであることは間違いない。
1958年型デソート・ファイアスイープ
もう1台の珍しいデソート、1958年型4ドアのファイアスイープをご紹介しよう。ボディワーク(特徴的なテールフィンを含む)の状態は良好だが、残念ながらこの車両には、クライスラー製V8エンジンと「トルクフライト(TorqueFlite)」オートマチックトランスミッションが残っていない。1958年当時、米国は不況に陥っており、デソートの販売も打撃を受けた。販売台数はわずか5万台で、そのうちセダンのファイアスイープは7646台だった。
1951年型リンカーン・コスモポリタン
この1951年型リンカーン・コスモポリタン・コンバーチブルのフロント部分に白い「M」の文字がスプレーされている理由はわからない。自動車解体業者が最もよく使う文字は、「保存」を意味する「S」か、あるいは「破砕機行き」を意味する「X」である。1951年までに、リンカーンの “バスタブ” スタイルは時代遅れになりつつあり、販売台数にもその傾向が反映されている。3891ドルを支払ってこのオープントップモデルを買ったのは、わずか857人だった。
1968年型マーキュリー・モントレー
この1968年型マーキュリー・モントレー4ドア・セダンは傷だらけで、曲がっていないパネルはないが、内装はまだ状態が良い。1800kgを超える重量にもかかわらず、6.3L V8エンジンを搭載し、1/4マイルを17秒未満で走り抜け、最高速度は195km/hに達する。
1957年型ナッシュ・アンバサダー
1957年型ナッシュ・アンバサダーが、4灯式ヘッドライトを装備した最初の米国車であることをご存知だろうか。1957年型のその他のスタイリングの特徴としては、新しいフロントフェンダー、低くなったルーフライン、フェンダー上部のパーキングライト、大型の楕円形グリルなどがある。
1961年型フォード・カントリー・スクワイア
フォードは1951年から1991年にかけて、フルサイズのステーションワゴンとしてカントリー・スクワイアを製造していた。当初は本物の「ウッディ(外装の一部が木材)」だったが、1961年には模造のウッドパネルを使用するようになっていた。この車両は素晴らしいコンディションだが、オークリーフに到着する前に、誰かが窓をすべて割ってしまったのは非常に残念だ。
1951年型フォード
「もっとお金を払っても、これ以上のものは買えない」と、1951年型フォードの販売資料には書かれていた。このモデルは非常に高い評価を受け、フォードは同年、100万台以上を販売している。しかし、ライバルのシボレー(123万台)から首位の座を奪うには至らなかった。
1940年型リンカーン・ゼファー
1940年型リンカーン・ゼファーは、「その分野に新たなサイズ、パワー、美をもたらした」として、『スタイルリーダー(Style Leader)』という愛称が付けられた。1936年から1940年まで製造され、高級車リンカーンのラインナップの中で低価格帯に位置するモデルであった。キャデラックにおけるラ・サールの小型車と同様の役割を担っていたわけだ。
1957年型キャデラック・セダン・ドゥビル
オークリーフの錆だらけのクルマの海の中で、この白い1957年型キャデラックは非常に目立っている。これは4ドア・ハードトップのセダン・ドゥビルで、販売台数は2万3808台だ。同年、キャデラックは米国で9番目に売れた国内ブランドとなっており、宿敵のリンカーンとインペリアルはそれぞれ14位と15位だった。
1948年型ビュイック
視力は失われたかもしれないが、この1948年型ビュイックは、今でも立派な歯列矯正装置を備えている。1947年型と1948年型ビュイックは見た目が非常に似ており、見分けるにはボンネットの装飾をよく観察する必要がある。1947年型では宙に浮いた魚雷のように見えるが、1948年型ではクロスバーが追加されている。
(翻訳者注:この記事は後編に続きます。お楽しみに)
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