60歳や65歳まで働くのは当たり前、今では70歳を過ぎても働く人が珍しくなくなりました。一方で、特に若年層を中心に「できるだけ早くリタイアしたい」と考える人が増えています。仕事を辞めて自由な時間を手に入れる──そんなFIREのライフスタイルに憧れを抱く人は少なくありません。しかし、いざそれを実現してみると「思っていたのと違った」「想定外のことが起きた」と感じ、会社員として復帰するケースもあるようです。何が起きているのでしょうか。

早期退職・FIREしたい?…実態は

4月も半ばを過ぎ、新卒で入社した人たちは、社会人としての生活リズムに少しずつ慣れようと奮闘している時期かもしれません。

そんな新社会人からよく聞かれる言葉に、「親のすごさがわかった」「改めて尊敬している」といったものがあります。

例えば、4年制大学を卒業し、65歳で完全リタイアするというルートを選んだ場合、労働期間は実に40年以上に及びます(もちろん、その間に転職や休職を挟むケースもあるでしょう)。

学生時代は「大人は働いて当たり前」と思ってしまいがちですが、実際に毎朝会社へ行き、収入を得て生活を支えることの大変さを、自分がその立場になって初めて実感するのでしょう。

こうした長い労働人生の現実がある中、パーソル総合研究所が年に一度行っている「働く1万人の就業・成長定点調査(2024年)」では、興味深い結果が出ています。

全国の就業者に対して「人生で何歳まで働きたいですか?」と尋ねたところ、全体の平均は「62.9歳」でした。65歳まで働くことが一般的になりつつある今、それより少し早めにリタイアしたいという希望が垣間見えます。

さらに、20代に限って見ると「55歳」、30代では「59.4歳」という結果に。若い世代ほど、希望するリタイア年齢が早い傾向は以前から見られますが、実際の退職年齢との差がより顕著になってきているようです。

また、ここ数年で「FIRE(Financial Independence,Retire Early)」という考え方も注目を集めています。FIREとは、ただ早期退職するのではなく、資産運用による収益で生活費をまかない、経済的自立を果たすライフスタイルのこと。

とはいえ、その資産を築くハードルは非常に高く、完全に仕事を辞めるFIREではなく、「資産運用+軽い労働収入」で生活する“サイドFIRE”というスタイルも広まりつつあります。

Alba Linkが2023年に実施した「FIREに関する意識調査(就業者500人対象)」では、「FIREしたいと思うか?」という質問に対し、「とても思う」が52.6%、「まあ思う」が25.4%と、全体の約8割が「FIREできるならしたい」と回答。「あまり思わない」は17.0%、「全く思わない」は5.0%にとどまりました。実現可能かどうかはさておき、FIREへの関心は非常に高いことがわかります。

このFIREという概念はもともとアメリカ発祥ですが、日本でも数年前から若年層を中心に話題となり、実際にFIREを達成した人たちも現れました。

しかし、そうした“成功者”たちの中には、せっかく手に入れた自由を手放し、再び会社員として働き始めた人も。憧れのFIREを達成したのに一体なぜなのでしょうか。

会社員の過酷さに絶望→12年後、早期退職実現

田中和人さん(仮名)は、新卒から12年間勤めた会社を退職。同世代ではかなりの水準といえる、約5,000万円という資産を築き、念願の早期退職を決意しました。

田中さんは私立大学を卒業後、都内の中規模IT企業に就職。初年度の年収は320万円足らずでした。当時は電話応対もままならず、週5日・1日8時間を超える労働に心身ともに疲弊。帰宅したらばったりとベッドに倒れこみ、土日は寝るだけ。「こんな生活を、65歳まで続けるのか、嘘だろ?」絶望したといいます。

そんな中で、30歳ぐらいまでに会社を辞めて1~2年ぐらい自由に暮らしたい。人生にそんな余白を持ってもいいじゃないか。そう考えたという田中さん。そのためには、何はなくともお金を貯めなければなりません。

「一度やると決めたら極端なほう」だという田中さんは、目標を決めるやいなや、まず、月8万円で借りた部屋から、3万円の狭小アパートへ引っ越しました。

食事は安い鶏むね肉ともやし中心、職場には手作りのおにぎりとお茶を持参で、食費は月1万円以下。飲み会も「体調を崩す」と断って極力回避。洋服はすべてリサイクルショップ、髪は自分で切り、お金のかかる娯楽は極力避けました。

「ルールを決めてしまえば守るだけ。目標があるから苦にならなかった」と田中さんは振り返ります。少し意識を変えるだけで、お金の貯まり方は大きく変わりました。家計簿アプリで出費を徹底管理し、1円も使わない「ノーマネーデー」を増やすことが日々の楽しみにもなっていきました。

節約を極めながら、銀行の残高が増えていくのを日課として見守るようになった田中さん。ある程度の貯金が貯まったタイミングで、投資もスタート。節約して手元に残ったお金をすべて投入しました。

そんな田中さん、途中で目標を変更したといいます。

「最初は30歳でちょっと休む程度と思っていたんですけど、かなりお金が貯まるスピードが速くて。会社も業績がよくて、年収が順調に上がったし、相場が良かったのも幸運でした。それで、どうせなら1~2年の休みじゃなくてFIREしたいなと。FIREブームに乗った感じもありますが(笑)、完全に仕事をしないのは厳しいかもしれないので、投資の運用益とアルバイトでやっていきたい。そう思いました」

こうして、入社から12年後には資産5,000万円を突破。節約生活もすっかり板につき、月15万円もあれば余裕を持って生活できると確信しました。

5,000万円を年利5%で運用すれば、年間250万円の収入になります。3%の場合は150万円、税引きではもっと減りますが、いずれにしても月数万円程度の軽い労働収入があれば、生きていけそう。そう確信した田中さんは、会社を辞める決断をしました。

「新卒の頃に感じた“65歳まで働き続ける絶望”から、ようやく解放された気がしました」

ところが、夢に見たFIRE生活は、意外な形で終わりを告げることになります。

「これで時給1,200円?」…アルバイトの理想と現実

会社員を辞め、「さて、アルバイトで楽に稼ごう」と動き出した田中さん。最初に試したのは、倉庫での仕分け作業。ところが、長時間の立ち仕事で体は思いのほかきつく、すぐに働く気力を失ってしまったといいます。

「そもそも、アルバイト選び自体が難しかった。例えばカフェの店員とかだと、30代のおっさんが若い子と並んでバイト? と思ってしまい気が引けてしまう。それでも何種類か違うタイプのアルバイトを試したのですが、1,200円程度の時給なのに仕事は大変というギャップが。人間関係だってゼロじゃない。“アルバイトは楽”なんて思い込みだったんですよね」

会社員時代の経験を活かす仕事、とも考えましたが、そうとすると余計に「その時給では」とやる気がでなくなってしまったといいます。結局、アルバイトをせずに旅行に行ったり、おいしいものを食べに行ったりしましたが、そうしたことも、しばらくすると「もう十分」と思うようになったとか。

そんな中で、ふと湧き上がってきたのが――「もう一度、会社員として働こう」という思いでした。

「中途半端なFIREは、自分には向いていないってハッキリわかりました。会社員として働いていたほうが心も体も安定します。仕事の大変さと報酬って、必ずし比例しない。むしろ、アルバイトのほうが大変なこともある。それもFIREして初めてわかりました。それに、時間を持て余すという問題もありました。何か趣味があればよかったんですが、お金を貯めること自体が趣味になってしまっていて、ほかには何もなかった」

驚くことに田中さん、ちゃっかり2年前に辞めた会社に復職したそう。ただし、年収を以前より下げる代わりに「定時で帰る」「有休はしっかり取る」と、自分のスタンスを明確にした上での再スタートです。

「資産があることで、心の安定が保てています。だから、20代のあの生活に後悔はありませんが、趣味と友人だけは作っておけばよかったかな……。またFIREする日がくるとすれば、もっと年を取ってから。アルバイトもせずに、完全に自由な暮らしを楽しむときがいつか来るかもしれません。でも、しばらくはこの“ちょうどいい生活”を続けようと思っています」

【参考】 パーソル総合研究所「働く1万人の就業・成長定点調査(2024年)」

Alba Link「FIREに関する意識調査(2023年)」