
かつては「定年=引退」でしたが、現在は9割の人が定年を迎えてもなお、働き続けることを選択しています。一方で、役職や年収に誇りを持って歩んできた人たちが、再出発を機に足をすくわれるケースも。
管理職だった自負と「再就職市場の現実」とのギャップ
「甘く考えていました。管理職のキャリアが、再就職の足かせになるとは思わなかったんです」
そう語るのは、今年60歳で定年退職を迎えた岡本和也さん(仮名)です。とある製造業の総務部長として、40年近い勤続の末に定年を迎えました。定年直前の月収は62万円。退職金は2,600万円。定年後は再雇用で後輩のアドバイザー的ポジションへの打診があったものの、悩んだ挙句お断り。定年をもって会社を去る決断をしました。
「40年近く、会社に人生を捧げてきた。愛着がある会社だから、定年後は恩返しするのも悪くないと思っていましたが、月収は30万円ほどと半分以下。この月収に甘んじて年金を受け取るまで頑張るか、それとも新しい道を探すのか――」
岡本さんは、定年後に新天地へと転職する選択をしました。経験や人脈を生かして、もうひとつのキャリアを築こうと意気込んでいたのです。ところが、現実は想像以上に厳しいものでした。人脈を辿って仕事がないか探ったり、求人に応募したりしましたが、結果はすべてNG。半年間で応募した求人は150件以上にのぼりましたが、結果はすべて不採用。書類選考すら通らない、まさかの展開でした。マネジメント経験や制度構築の実績などを丁寧に書いた履歴書には、ほとんど反応もなかったといいます。
「最初の1ヵ月は、どうせすぐに決まるだろうと余裕がありました。ところが2ヵ月目、3ヵ月目になっても音沙汰がない。ある時ふと、自分はもう必要とされていないのかもしれないと感じるようになって……」
岡本さんは、毎朝ハローワークに通う生活に切り替えましたが、60歳という年齢と元管理職という肩書が、かえって就職の壁になっていることを痛感していきます。
総務省『労働力調査(2024年)』によると、60~64歳男性の就業率は84.4%と高水準です。しかし、雇用継続のための再雇用や勤務延長によるところが大きく、転職市場が活況化といえば、そういうわけではありません。60歳以降のシニア層の求人にしても、非正規雇用や短時間労働が多く、希望する働き方と現実とのギャップは大きいものです。
ハローワークで、現役時代の経験を活かせる事務職を中心に仕事を探す岡本さんに、職員は「事務職の競争率はすごく高くて、100倍はありますね」と告げます。このまま事務職にこだわっていてはただ時が過ぎるだけ、と考えて、そのほかの仕事にも目を向けるようになると、比較的すぐに仕事は見つかったといいます。近所の物流倉庫での軽作業アルバイト。時給は1,480円で、1日8時間勤務。月収は25万円ほどになるので、悪くはありません。もちろん、現役時代の収入とは比べものにならない金額です。
「朝8時から段ボールの荷物を運ぶ仕事です。真冬の朝、冷えた倉庫で働きながら『昔はスーツでオフィスに向かっていたな』と、ふと思い出しました。何だか夢でも見ていたような気分になります」
「まだ働きたい」というシニアと、「働いてもらいたい」企業の間に広がる溝
岡本さんのように、60歳以降も働く意思と体力を持つ人は多くいます。2025年4月から、高年齢者雇用安定法の改正により、企業は65歳までの雇用確保が義務となりました。また70歳までの就業機会の確保は努力義務となっています。しかしこれは、社内での継続雇用を意味しており、岡本さんのように定年退職後、他社での再就職を目指す人々にとっては、話が別です。
企業側のニーズは、即戦力、若年層、柔軟な労働条件に応じられる人材へとシフトしています。過去の職位や高い給与水準がかえって「高コスト」と見なされ、採用されにくくなるケースも少なくないのです。
前述のように、岡本さん自身も「自分のような人材は、もういらないのかもしれない」と自信を失いかけました。「退職金もあり、生活に困窮しているわけではないから、面接でも必死さが足りないと思われたのかもしれません」と振り返ります。
シニアにおいては、求職者側の「まだ働きたい」という意思と、企業側の「働いてもらいたい」の人物像が一致していない場面が少なくありません。長年の経験や管理職としてのスキルが、現場仕事では活かしづらいという構造的な問題もあります。
とはいえ、希望がないわけではありません。シニア向けの就労支援サービスや、再就職を後押しする公共職業訓練の制度も整いつつあります。岡本さんは倉庫の仕事に慣れたなかでも、独学で最新のITスキルを身に付けようと目指しているといいます。
「いつまで働けるかわからないけれど、人生100年時代、自分でも驚くような年齢まで活躍できる可能性がある。定年にこだわらず、自分の価値をいつまでも磨いていきたいと思います」
そう語る岡本さんは、第二の人生を模索しながら、今も前を向いています。
[参考資料]
総務省『労働力調査(2024年)』

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