
ジョブ型人事制度の導入や、残業が少なく働きがいをアピールする「プラチナ企業」の登場、フリーランスの増加など、労働環境は大きく変わりつつある。学生や若手社員は選択肢が広がる中で、どのようにして自分に合った働き方を選べばいいのだろうか。労働法が専門で、新著「社会に出る前に知っておきたい 『働くこと』大全」(KADOKAWA)を上梓した早稲田大学法学学術院教授の水町勇一郎氏に聞いた。(ライター・有馬知子)
●「配属ガチャ」と残業のない企業が選ばれるーー企業の社員の「働かせ方」にはどのような変化が起きていますか。
グローバル企業を中心に、会社側が人事をローテーションさせる日本型雇用システムでは社員に自ら行動する力が育たず、国際競争で生き残れないという危機感が広がっています。このためジョブ型人事制度やコース別採用の導入、同意のない転勤の廃止といった動きが広がり、従来通り「配属ガチャ」のある企業の採用力は急激に低下しています。
残業についても月20時間程度に抑えることが、大手の人材獲得の「勝負どころ」になりつつあります。人事担当者や現場の管理職には「若手の育成には一定の残業も必要」と考える人もいますが、実際には長く働くことで競争力を維持している先進国はありません。日本も基本的には定時で仕事を終え、臨時的に残業するというノルム(社会的な習慣や規範意識)を作る必要があるでしょうし、そうなった時、時間外労働が常態化した企業は選ばれなくなるでしょう。
ーー人事の主導権が会社から社員へ移れば、組織のあり方も変わるのでしょうか。
企業側が人事権を行使して配属を決める仕組みは、日本型雇用システムの中核を成してきました。社員が自立的にキャリアを決めるようになれば、人事権のあり方はもちろん、雇用システムそのものも変わっていくでしょう。例えば、ジョブ型人事制度はジョブの価値で基本給が決まり、メンバーシップ型では賃金上乗せのファクターとして考慮される「転勤の可能性」は含まれません。このため総合職と、働く場の限られる地域限定社員、一般職などとの賃金格差は解消に向かうはずです。
日本企業は、人事権を行使するのと引き換えに社員の雇用を維持する義務も負っていますが、人事権が変われば雇用保障のあり方も変わるのが自然です。例えば整理解雇の4要件にある解雇回避努力に、組織内での雇用確保だけでなく、リスキリングを通じた転職支援も含めることなどが考えられます。ただ解雇規制が緩みすぎると、企業が解雇要件を都合よく解釈し不当解雇を濫発するおそれがあるため、議論は慎重に進めるべきです。
●雇用システムは国民性、文化によって決まるーー日本の雇用システムはどういう方向に向かうと考えられますか。
例えばアメリカには、採用や業務アサインの権利を現場のマネジャーが握り、人事部門をアウトソーシングしている企業もかなりあります。解雇規制もなく、企業は賃下げや労働条件変更に応じない労働者を、最終的に解雇できます。一方、欧州には日本に近い解雇規制があり、社員を解雇する場合は組織的な手続きが必要ですし、労使関係をはじめとした人とのつながりも重視されます。
日本企業では、人的なつながりを重視する傾向は欧州以上に強いですし、組織的できめ細やかなサービスが強みにもなっています。アメリカのようなドラスティックな雇用システムはメンタリティにも合わないと思うので、どちらかと言えば欧州型に近づくのではないでしょうか。
ジョブ型に関しても、日本企業の多くはまだ契約でジョブを限定するところまでは踏み込んでおらず、企業側が配属を決める余地が残されています。企業がこのまま一定の人事権を維持するのか、契約でジョブを規定する完全な「世界標準」へと移行するのかは、日本の文化や国民性によって決まる面も大きいと考えています。
ーー日本の労働法や雇用システムに関して、今後取り組むべき課題を教えてください。
働き手に多くの選択肢を提供する方向に向かってはいるものの、まだ数としては日本型システムを維持している企業が多く、特に中堅・中小企業は移行が遅れています。ただ中小は、年功賃金と終身雇用のシステムがなく組織風土だけ日本的、というケースも多いので、経営者のマインドさえ変えれば、組織が一気に変わる可能性があります。
また労働基準法で定められた「単月100時間未満、複数月平均80時間以下」という時間外労働の上限規制は「過労死ライン」と同じで、上限まで働くと生命が脅かされるレベルです。将来的には上限規制を引き下げる必要がありますし、11時間の休息時間確保を求める「勤務間インターバル」の導入も進めなければいけません。法整備を通じて長時間労働を抑制することは、我々労働法学者の責務のひとつでもあります。
また日本は企業別労働組合の力が強いこともあり、労使ともに内向きになりがちです。欧州ではコロナ禍の際、産業別労働組合などが全国レベルの労働協約でワークルールを決め、後追いの形でそれが法制化されるケースもあり、日本も労使ともに、活動を社会に開くべきです。
●フリーランスも保護が必要 社会保障・労働法を広げるーー若い世代にはアプリを利用して、ウーバーイーツなどのプラットフォーム上で働くフリーランスも増加しています。フリーランスの保護をどのように考えますか。
欧米諸国はプラットフォーム・ワーカーを労働者、ないし労働者に類似した存在と見なし、労働法や社会保障法をベースに失業補償や労働時間規制、最低賃金に当たる最低報酬保障などを整備しようとしています。
一方、日本の「フリーランス新法」は下請法がベースで、契約の公平性・透明性確保が主眼となっており、働く人の権利や健康を保護する視点が希薄です。フリーランスなら最賃以下の報酬で、無限に働かせていいという状況が生じれば、経営者は労働者をどんどん「業務委託」に切り替え、劣悪な労働が横行しかねません。すでに一部の業種で、業務委託者の勤怠を企業側が管理し実態的に「労働者」として働かせた上、報酬から備品使用料などを差し引き、結果的に最賃を下回っているケースも見られます。
こうした中、厚労省も40年ぶりに有識者研究会を立ち上げ、どのような働き手を「労働者」と規定するかを議論し始めています。私もメンバーの1人なので、「労働者」と「労働者に類似した人」を支えるセーフティネットについて議論したいと考えています。
●「実力身に着く」「プラチナ企業」 平均残業時間で自社アピールーー人手不足でこれから労働市場へ出る若者の選択肢は増えていますが、本人たちは「自ら決める」経験に乏しく、途方に暮れる人もいるようです。
その状態が実は、グローバルスタンダードなのです。日本の学生は偏差値の高い大学から大手企業に入り、入社後はローテーション人事に従って働くのが当たり前でした。しかし従来から海外の学生は、自分で情報を集めて会社を選び、合わなかったら転職してきました。
日本でも、こうした自律的な就活を楽しめる学生は増えていると感じますし、こうした若者の多くは、入社後のキャリアも自ら築きたいと考えるのが自然です。
一方で、企業にある程度キャリア形成を委ねたい人、多少残業してでも企業の命じるタフな業務をこなして経験を積みたい人や、余暇を重視し限られた時間だけ働きたい人などもいるでしょう。
ですから企業側も、自社のサイトや統合報告書に時間外労働の平均時間を掲載するなどして、「残業が月10時間くらいしかないプラチナ企業です」「月平均45時間残業がありますが、スキルと経験が身に着きます」と自社の姿勢をアピールし、学生や転職希望者が選べる環境を整えるべきです。
ーー労働法の視点から若い世代にアドバイスを送るとしたら、どんなことでしょう。
「働く」ことはずっと昔からある、人間にとってとても身近な営みです。「何のために働くか」「どんな働き方をしたいか」という価値観も、実は国の歴史や経済、文化などに大きな影響を受けており、それが巡り巡って労働基準法のような法制度にもつながっています。こう考えると、自分の働き方が「はたらく」という大きな川の流れの中にあるという、ダイナミズムの一端を感じてもらえるのではないでしょうか。
具体的なアドバイスをするとすれば、自分の身を守り次のステップに進むための有力な武器は「情報」だということです。若者に限らずどの世代の人も、ワークルールや企業の開示データなど、必要な情報を集める力を身に着けてほしい。孤立せずに他の働き手とつながり、知恵を出し合い助け合うことも大切です。情報という「武器」を活用し、自分に合った職場、自分らしい働き方を探しながら生きてほしいと思います。

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