「常に天秤にかけるんです。自分の自由と、やってもいないことを自白することを。どんどん精神が壊れていくんです」

身に覚えがない性犯罪の疑いをかけられ無罪を勝ち取った男性は、人質司法の恐ろしさをそううったえる。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)

●1年前の何気ない出来事で突然逮捕

2024年3月14日看護師の浅沼智也さん(36)は自宅に来た青森県警の警察官から逮捕状を突きつけられた。

「朝7時ごろ、ピンポーンってインターホンが鳴ったんです。ドアを開けた瞬間、足を入れられました」

トランスジェンダーである浅沼さんは2023年2月14日、LBGTへの理解を深めるための法律制定に関する集会に参加し、その夜、知人2人と都内のホテルに宿泊した。

そのときの出来事で1年後、突如、"性暴力の加害者"として逮捕された。

●「強制わいせつ」から「暴行」に…裁判では「無罪」

新聞社やテレビ局は「浅沼容疑者は東京都内のホテルで知人の女性に抱きつくなどのわいせつな行為をした疑いが持たれている」などと実名や顔写真を報じた。

浅沼さんは一貫して否認しており、青森地検は起訴する際に罪名を逮捕時の「強制わいせつ」から「暴行」に切り替えた。

青森地裁は2025年1月16日、女性が被害を申告した経緯や内容に不自然な点があると指摘し、「(浅沼さんが女性に)暴行を加えたと認めるには合理的な疑いが残る」などとして無罪を言い渡した。

●"被害"とされた行為、実際は…

なぜ冤罪事件が起きたのか。

浅沼さんによると、ホテルでは2部屋を予約しており、浅沼さんは知人の女性と同じ部屋で過ごすことになった。滞在中、以前から交流があったその女性を驚かせようと、背後から女性の両肩に手を置いたことがあったという。

そのときは特に問題とされることはなく、その後も2人で出かけたり、誕生日を祝ったりするなど親しい関係が続いていた。

ところが、2023年9月ごろ、浅沼さんが共同代表をつとめていたLGBT関連団体の関係者と女性との間にトラブルが発生。女性が団体を批判する内容のメールを送信するようになるなどし、10月になると女性は浅沼さんから性暴力被害を受けたとうったえるようになったという。

「最初は自分の中でも混乱して、情報の整理ができませんでした。疑惑の段階なのに、まるで犯人扱いされ、憶測も入って補強され、どんどん話が広がっていきました」(浅沼さん)

女性が被害を申告した経緯について、青森地裁は判決で「団体との対立を背景にしていると考えることが可能」「団体の共同代表であった被告人(浅沼さん)が巻き込まれた可能性を否定することはできず」などと指摘している。

しかし、当時は事実ではないことがSNSで拡散され、浅沼さんは団体からメンバー資格の停止を受け、団体が主催するイベント「東京トランスマーチ」も延期を余儀なくされるなどした。

浅沼さんは性加害を否定し、声明を出すなどしたが、一方的に断罪される流れを止めることはできなかった。

●逮捕、そして約4カ月の身柄拘束

浅沼さんは逮捕後、手錠と腰縄をつけられ、両脇を警察官に挟まれたまま東京駅新幹線の車内を移動した。周囲の目が気になってしょうがなかったという。

「先が見えない不安、まさか自分が逮捕されるなんてという悲しさ、怒りなどいろいろな感情がありました。それに、まだ罪に問われていないのになぜ罪人みたいに扱われないといけないのかと、違和感が強かったです」

青森市の警察署に到着すると全裸で身体検査を受けさせられ、取り調べが始まった。

「僕は最初、本当のことを話したら、警察は信じてくれるだろうと思っていました。

ただ、移動中などに警察官と話す中で、この人たちは僕のことを犯罪者だと思っていて、有罪に仕立て上げるためのストーリーができあがっているんだろうなと思うことが会話の節々にありました」

言った言わないのトラブルを避けるため、取り調べ中に「メモを取りたい」と伝えたが、「ルールでダメだ」という趣旨の説明を受け、取り合ってもらえなかったという。浅沼さんは弁護士の助言もあって黙秘することにした。

●具体的な理由示さずに「保釈」させない裁判所

浅沼さんは逮捕後、保釈を何度も申請したが、裁判所にことごとく跳ね返された。

そもそも逮捕容疑は1年前の出来事であり、証拠隠滅や逃亡の恐れは考えにくい事案だ。

浅沼さん側が自ら「携帯を持たない」などの条件を厳格に課して申請し直しても、裁判所は具体的な説明を一切しないまま身柄拘束の継続を認めた。

こうした日本の人質司法の実態を浅沼さんは次のように表現する。

「味わったことのない人は『自白しなければいいじゃん』って思うかもしれません。でも、自由やプライバシーがない状況に置かれたら、孤独との闘いになるんです。

『早くこの地獄から逃れたい』とか『早く社会に復帰したい』と僕も思いました。社会と断絶されることの怖さや、いつ終わるのかという見通しもみえない怖さがあって、やってないけど言っちゃったほうが早いんじゃないかって。

常に天秤にかけるんです。自分の自由と、やってもいないことを自白することを。まともな精神状態を保つのが難しくて、どんどん精神が壊れていくんですよね」

初公判が終わった後の2024年7月、5回目の申請でやっと保釈が認められた。

●無罪の決め手は告発者の写真「なかったら有罪になっていたかも」

「被告人は無罪」

2025年1月16日、青森地裁の小澤光裁判官が読み上げる判決文を聞いた瞬間、浅沼さんは法廷で涙が止まらなかったという。

「今までの苦労がフラッシュバックしてきて、ずっと泣いてました。諦めずに闘ってよかったなと」

浅沼さんは、被害を訴えた女性が撮影した写真が無罪判決に大きく影響した可能性が高いと考えているという。その写真は浅沼さんたちが滞在したホテルで撮られたもので、部屋の間取りが女性の証言と食い違っていた。

「その写真があったから告発者の証言が信用できないという結論に至ったのだと思います。もしその写真がなかったら有罪になっていたかもしれません」

浅沼さんの場合、自身に有利な証拠が運良く法廷に出されたことに加えて、無実を信じ支えてくれる友人や職場の上司がいたことで潔白を証明することができた。

「僕は周りに恵まれていました。僕のように声を上げられない人はたくさんいます。これ以上、人質司法を許してはいけません」

●メディアの逮捕報道を批判

無罪が確定した今も、逮捕当時の記事をコピーした写真や書き込みがネット上で見られるようになっている。それらの情報をもとに浅沼さんを誹謗中傷するコメントも放置されたままだ。

こうした状況から浅沼さんはメディアの犯罪報道に強い疑念を示す。

「どこかで自分は逮捕なんてされない、関係ないと思っていました。しかし、実際に当事者になってみて、逮捕の段階で名前や写真を報じられたらすべてを失います。僕は逮捕される前の状態には決して戻れません。今は失ったピースを集める作業をしています」

また、被害をうったえる人の主張を一方的に信じたり、刑事手続きの一つでしかない「逮捕」のニュースだけを見て被疑者を犯人視したりする一般の人たちにも知ってほしいことがあるという。

「僕は過去に性被害をうったえて警察に事件として受理されなかった経験があるので、性被害者のサポート体制をしっかり整えるべきだと思っています。声を上げることは本当に大事です。

でも今回の事件で、結局誰か幸せになった人がいるのでしょうか。終わりのない闘いになっているような気がします。

白黒はっきりしない中で、周囲は一方的に当事者のどちらかを叩くのではなく、もっと冷静に見てほしいと思います」

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