
大手予備校「河合塾」で働くベテラン講師が5月21日、東京都目黒区にある自由が丘校でストライキを決行した。業界でほぼ例のない出来事だ。
1分あたり35円の賃上げのほか、講師を私学共済に入れるようにすること、さらに業務委託の講師も「労働者」と認めて5年以上勤務することで得られる無期雇用への転換権を認めることを求めた「15分間」の時限ストだった。
ストライキを決行したのは、労働組合「河合塾ユニオン」委員長の竹中達二さん。ストに踏み切った背景には、黒字経営であるにも関わらず、賃金が長年上がっていないなど、講師全体の労働環境を変えていきたい思いがあるという。
異例とも言えるストライキをルポする。(ジャーナリスト・田中圭太郎)
●河合塾自由が丘校で決行されたストライキ東京都目黒区の東急電鉄自由が丘駅から線路沿いを北北東に数分歩き、商業地と住宅地が隣接したエリアにある河合塾自由が丘校。
ストライキがおこなわれる授業は、5月21日15時10分から始まる4限の物理Ⅱコースで、90分授業の最後の15分間にストライキが通告されていた。授業が始まった時間は、特に変わった雰囲気はなかった。
15時40分頃になると、自由が丘校の前の道路に、ストライキを取材する報道陣が集まり始めた。
片側一車線の道路で、歩道が狭いことから、やや物々しい雰囲気になってきたものの、自由が丘校に通う生徒たちは特に驚くこともなく、建物の中へと入っていった。
河合塾ユニオンの関係者が自由が丘校の前に到着したのは15時55分。書記長の佐々木信吾さんは「くれぐれも敷地内に入らないことと、生徒さんを映さないようにお願いいたします」と報道陣に声をかけた。
●生徒のためにストライキはやるべきではない?竹中さんと佐々木さんらは5月14日、都内で記者会見を開いてストライキを実施する理由などについて説明していた。ユニオンが河合塾に団体交渉などで求めていた内容は3つある。
1つ目は、1分あたり35円、授業1コマ90分あたりで3150円の賃上げをおこなうこと。
2つ目は、河合塾を主な収入源としている講師については、委託契約であっても雇用契約であっても同じ条件で私学共済に加入できるようにすること。
3つ目は、委託契約の講師も実態が労働者である以上、無期転換権を認めることだった。
竹中さんは38年のキャリアがあるものの、1コマ単価が約1万7000円の状況が10年以上続いていて、年収は500万円から600万円ほど。
世間が思い描く「予備校講師は高給取り」のイメージは幻想といえる。若い講師の場合は、竹中さんの半分以下や3分の1の単価の人も多く、その労働環境が常態化しているという。
さまざまな業界で賃上げが進む中、ユニオンとしても賃上げを中心に求めてきた。しかし、河合塾からはいずれの要求もゼロ回答だったことから、「やむを得ず」ストライキに至ったと説明している。
塾業界のストライキは極めて珍しい。それは、生徒のために「やるべきではない」という声があるからだ。
今回のストライキでは、生徒に事前説明して、15分間の補講をすることも決まっていた。それでも、記者会見の内容が報道されると、ストライキを批判する声と支持する声がSNS上で交差した。
佐々木さんはストライキをする竹中さんを迎える準備をしながら、批判の声について、次のように語った。
「予備校の講師には、生徒のためにストライキはやるべきではないと考えている人が少なくありません。予備校講師は"聖職者"であり、授業をすることで生活をしているのだから、その授業をしないことが自己否定だというロジックです。
でも、それを他者に強制する空気が全体を縛ってきました。私たちは講師たちも労働者なんだということを、行動で示すことのほうが重いと考えました。実際に、労働条件が良くないために、講師や教員を目指す生徒は少なくなっています。今回のストライキを通じて、塾業界全体の労働環境も含めて変えていきたいと思っています」
●ストライキをした講師の演説を30人近い生徒が聞く竹中さんがストを決行するのは、16時25分から40分までの15分間。16時20分になると佐々木さんらユニオンの関係者が、「ストライキ決行中」と大きな文字で書かれた横断幕や、「黒字なのに長年賃上げなし」「連帯、しませんか?」と書かれた看板を自由が丘校の前で掲げはじめた。
ユニオンの関係者数人と報道陣、それに河合塾の関係者が、自由が丘校前の歩道に立つ。
さらに、横断幕が掲げられた頃には、周辺の歩道には30人近い生徒の姿があった。ストライキの様子を見ようと、生徒が集まってきていたのだ。
16時25分、ストライキは始まった。16時29分に竹中さんが自由が丘校から出てきた。
横断幕の横に立った竹中さんは、車道を挟んだ反対側の歩道で見守る人たちに向けて、約6分間語りかけた。
「塾生の授業時間を失うことは、講師としては不本意です。それでも理事会側は、1ミリも譲らない態度を変えない態度を変えない以上、ストを実施せざるを得ないと判断しました。今回ストライキをおこなったことの最初の成果は、実施できたという事実そのものだと思います。
本当に『塾生の学び』を大切にする気があるのなら、それをもたらす講師、そしてサポートする学生スタッフを含む職員の処遇をもっと真剣に改善することこそ必要ではないでしょうか。
『生徒の学び』を盾に、おそらく私たち以上に劣悪な労働条件のもとで働かされているであろう全国の塾・予備校の職員、講師のみなさん。今こそ変えましょう。
労働組合に結集すれば、こうしてストで闘うこともできます。力を合わせて、みんなで幸せになりましょう」
●生徒「共感するところが多かった」竹中さんの演説を聞いていた生徒数人に感想を聞くと、次のような答えが返ってきた。
「講師の賃金を上げるべきじゃないですか。結構共感するところが多かったです。河合塾の先生は授業の質が高いのに、賃上げがされないのはびっくりしました」
「予備校の講師だけでなく、教師全体の賃金を上げるべきではないでしょうか。小学校、中学校、高校も給料が低いと聞くので。だって、授業だけではないですよね。その裏にはいろいろな準備があるにも関わらず、賃金が上がらないのは問題だと思います」
また、ストライキをすること自体について、肯定的な意見を述べる生徒もいた。
「最近ストライキというものがないので、珍しさがあって見にきました。ストライキはもっとあっていいのではないでしょうか。河合塾だけの話ではなくて、いろいろな業界がストライキをして、もっと労働者が発信したほうがいいかなと思います」
竹中さんによると、普通に授業して、ストライキの間は自習にして、授業が終わる16時40分になったら質問を受け付けると告げて外に出てきたという。「特に混乱はなかった」と言い、16時40分になってストライキが終わると、再び教室へと戻っていった。
ストライキが決行されたことについて、河合塾に取材すると「授業について特に大きな混乱はなく、授業が15分短縮された形で終了しました」とする一方、ストライキの受け止めについては次のようにコメントした。
「組合の要求項目に対する当方の見解が理解いただけず大変残念に思いますが、今後も要求があれば真摯に対話をしていく所存です。
『生徒の学びを止めない』という姿勢のもと、ストライキの影響を受けた受講者を対象に90分の補講を早急に実施してまいります。
塾生や保護者のみなさんには大変ご心配やご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします」(河合塾広報センター)
河合塾では、講師との間で業務委託や雇用の契約書が交わされているが、業界では契約書を交わさない塾が少なくないという。
河合塾ユニオンは「自分たちや他社の人たちについても、今後のストライキの可能性を広げていきたい」としている。

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