トランプ政権の不透明な関税策、ロシアによるウクライナ侵攻、米国による対中半導体規制、台湾有事リスク、欧州の気候変動規制──。地政学・経済安全保障に関するリスクが拡大・深刻化する中、企業の事業活動が危ぶまれるケースが年々増えている。こうしたリスクによるビジネスへの悪影響を最小限に抑えるべく、企業はどのように向き合い、備えるべきか。本稿では『ビジネスと地政学・経済安全保障』(羽生田慶介著/日経BP)から内容の一部を抜粋・再編集。国家間の政治力がぶつかり合う現代の国際経済社会において、ビジネスパーソンが押さえておくべき地政学・経済安全保障リスクと対応策を考える。

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 地政学・経済安保リスクを背景に、各国で進むデータ規制。イノベーションを阻害しかねないデジタルルールの分断は、現代の企業にどのような課題を突きつけているのか。
※本記事は、2025年1月時点の情報に基づいています。

10大リスク_DXの停滞
デジタルルールの分断でグローバルビジネスに暗雲

 地政学・経済安保リスクは、企業が進めるデジタルトランスフォーメーション(DX)を停滞させるおそれがある。

 DXは、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズをもとに、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」(経済産業省)と定義されている。

 世界各国が個人情報を含むデータの保護やデジタル技術の活用、サイバーセキュリティー確保のための規制を強化しているが、地政学的対立や経済安保上の要請が規制面での分断を引き起こしている。

 これまで企業は、データや技術をグローバルに一元管理して、統一されたシステムの下で効率的にDXを推進することを目指してきたが、欧米や中国など主要市場ごとに異なる規制に対応しなければならなくなり、効率性の低下やコスト増大のリスクに直面している。

 データ規制が経営上の大きな課題となった端緒は、2018年5月に施行されたEUの一般データ保護規則(GDPR)だ。個人情報の厳格な保護とEU域外へのデータ移転を厳しく規制した同規則に、日本企業も対応を迫られた。その後、世界各国で個人情報や産業データの保護や越境移転の制限を定めた法規制の導入が進んだ。

 データの利活用やDX推進によるイノベーションを阻害することを避けるため、各国はグローバル・ルールの策定やルールの共通化、法規制の相互承認を進めたが、一方では、地政学的対立や経済安保確保に対応するため、データの国内での囲い込み(データローカライゼーション)や、政府当局による企業保有データへのアクセス(ガバメントアクセス)を定めた法規制の導入も進めた。

 中でも、日本企業への影響が大きいのが中国の規制だ。中国は、「データ3法」と呼ばれるサイバーセキュリティー法、データセキュリティー法(データ安全法)、個人情報保護法やその下位法令を整備し、「国家安全」の確保のため、重要データや個人情報の保護や越境移転の制限を規定している(第4章参照)。

 また、中国は産業別の規制も導入している。例えば、自動車分野では、中国国内で設計、生産、販売、保守・整備など、自動車に関連する個人情報や重要データを対象に、その収集や処理に関する規制が導入されている。

 自動車は、車載カメラや各種センサーが膨大な量のデータを収集しているが、同規制によって一部データの国内保存が義務付けられ、越境移転が制限されている。そのため、自動運転の技術開発のために中国国内で取得したデータの中国外への移転が制限される可能性がある。自動運転技術の実験が進む中国で取得した情報の越境移転が制限されれば、技術開発に支障を来しかねない。

 こうしたデジタルルールの分断は、データの利活用やDX推進によるイノベーションを阻害する。航空機などの機材情報やFA機器などの制御データをグローバルで一拠点に集約し、遠隔でメンテナンスに必要な情報を提供する体制を構築している場合も、データの越境流通が遮断される可能性がある。各国の法規制に対応し、データ拠点を複数設ける必要が生じ、効率性の低下やコストの増大につながる。

■ DXエコシステムもデカップリング

 米国の半導体関連の対中規制や、それに対抗する中国の独自技術の開発は、ハードウエアや基本ソフト(OS)、アプリケーション生成AIなどの各レベルで分断を招き、DXのエコシステムのデカップリングを引き起こしている。

 中国通信機器大手のファーウェイ華為技術)は、2019年に米国の規制により、自社製携帯端末で米グーグルの携帯端末用OS「アンドロイド」に基づくサービスを提供することが困難になった。そこで同社は独自OSの開発を進め、2024年10月に「ハーモニーOSネクスト」を一般ユーザーに向けて提供開始した。

 米調査会社IDCによると、2024年第3四半期の中国スマートフォン市場における同社のシェアは15.3%で第3位だ。今後、同社製の端末向けには、独自OS用のアプリケーションやサービスの開発が必要となる。

 生成AIでも分断が生じている。中国は、国家安全の確保のため、外国製生成AIの利用を事実上禁止している。米アップルは iPhoneに米オープンAIの対話型AI「ChatGPT」を利用できる機能を搭載したが、中国では ChatGPT は利用できない。そのため、アップルは電子商取引大手のアリババグループと協業すると報じられている。

 中国発の生成AI「ディープシークDeepSeek)」は、その高性能・低コストなどが開発を優位に進めていた米企業に大きな衝撃を与えたが、西側諸国はディープシークによる情報窃取や世論操作などに警戒を強めている。

 中国では、国家情報法などにより、個人や企業は当局の「情報活動」への協力が義務付けられているため、ディープシークが入手した情報が当局に渡ることが懸念されている。米国では一部の政府機関や軍がディープシークの利用を控えるよう職員に指示したほか、オーストラリアは政府機関での使用を禁じた。日本でも、ディープシークの業務での利用を禁じた企業がある。

 こうした地政学的競争相手を排除する形での独自OSの開発・普及や生成AIの利用規制などによるプラットフォームの分断により、西側諸国と中国などの「懸念国」の間で技術と市場の分断が生じれば、相互運用性やデータ連携が制限され、それぞれが独自のDXエコシステムを構築しなければならなくなる。

 それは、企業に研究開発での二重投資やサプライチェーンの再編を強い、グローバルに最適で効率的な技術やサービスの開発を困難にし、イノベーションを阻害するため、企業がDXを進める上での障害となるだろう。企業はDX推進において、コスト、技術、コンプライアンスの各面で難しい対応を迫られる。

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