
(松原孝臣:ライター)
通算13戦目でGPシリーズ初優勝
さまざまに彩られたフィギュアスケートの2024-2025シーズンにあって、存在感を示したスケーターに、樋口新葉がいる。
樋口は1シーズンの休養のあと、2023-2024シーズンに復帰。それを助走期間とするように、復帰2シーズン目の2024-2025シーズン、たしかな成長をみせた。
まず、グランプリシリーズの一つ、スケートアメリカで優勝を果たす。2016年に初めて出場して以来、通算13戦目で果たしたシリーズ初優勝だった。
フランス大会でも2位となってシリーズ上位6名のみが出場できるグランプリファイナルにも7シーズン2度目の進出。さらには四大陸選手権、世界選手権の日本代表にも選ばれ、6位となった。
成績にとどまらない。世界選手権のフリーで場内に喝采が響いたのが象徴するように、「魅せる」という部分でも樋口の演技は光を放った。さらにはリンクの内外での、取材の場を含めそのたたたずまいもまた、充実というべきか、ゆとりというべきか、表現はどうあれ、以前との変化を思わせた。
樋口自身はこの1年をこう振り返る。
「世界選手権に出たいという目標はあったんですけど、自分が納得して一つ一つの試合を終えられるようなイメージで過ごしていました。それが最初から最後まで途切れることなく、滑り続けられたというのがすごく印象的です」
さらに2024-2025シーズンの話が続く中、一見相反するような言葉が飛び出た。
それはこの1シーズンに限らず、これまでの歩みの末に生まれたものだった。
復帰するつもりはなかった
これまでの足取りを簡単に振り返りたい。
樋口が大きな注目を集めたのは2014年のことだ。13歳、中学2年生で出場した全日本選手権で3位になったのだ。中学2年で表彰台に上がるのは2004年大会の浅田真央以来、10年ぶりのことだった。
翌年も2位と表彰台に上がったほか、この2シーズンの世界ジュニア選手権で連続銅メダル。2016-2017シーズンからシニアに移行し世界選手権に出場した。
2022年の北京オリンピックでは団体銀メダル、個人戦で4位入賞を果たすなど、日本のトップスケーターの一人として活躍を続けてきた。
北京オリンピックに出場した翌シーズンである2022-2023シーズン、樋口は9月に行われたロンバルディア杯に出場したあと、シーズンの欠場を発表する。
コメントの中でこう説明している。
「この度、4月下旬に負った右腓骨疲労骨折からの回復の遅れにより、ベストなコンディションが作れず、グランプリシリーズ2大会、全日本選手権を含めた今シーズンの競技活動は全て見送らせて頂くことになりました。」
でも怪我によるばかりではなかった。
「やっぱり引退してからの人生の方が長いということを考えたとき、スケートのことだけというのももちろんいいのかもしれないんですけど、自分的にはそれだけになっているのがすごく窮屈になってしまって……。例えばオリンピックに出るとか、世界大会でメダルを獲るとか、そういう目標を作ってそこに向けて練習を積み重ねるというのがいわゆるアスリートという感じだと思います。でもそれが自分の気持ちと全然違う方向になっている感じがしていて、それが限界でできない状態、目指せない状態なのに、そういう風に言わなきゃいけないし、そこに向かなきゃいけない。自分らしくいられていない感じがして、休みました」
3歳でスケートを始めて、早くから台頭し、期待を背負ってきた。スケートにまっすぐに打ち込み、スケートの世界に生きてきた。そこに揺らぎが生じたとき、立ち止まるのは自然な流れであっただろう。
休むと決めたとき、
「復帰するつもりはなかったです」
と言う。
離れたことで得た発見や気づき
実際は翌シーズンに復帰したが、復帰するつもりがなかったところから変化していった経緯をこう語る。
「(指導を受ける岡島功治)先生に『いつ練習来ますか』って言ってもらったのがきっかけでだんだんリンクに戻るようになりました。そこからだんだんできるようになるのが面白いなって思いながら、ふわふわした感じでシーズンに向かっていたんですけど、復帰シーズンの最後の試合だった1月末の国体で『この感じで終わるのは違うな』って思いましたし、もうちょっとやれることがあったなとも思いました」
そして復帰2シーズン目を終えた今、休養前との変化を感じることがある。
「以前は練習だったり、試合への臨み方というか自分のモチベーション的にもっと『ぴりついている感じ』というか、振り返ってみると、それこそあまり楽しくないな、と思っていました。でも復帰して1年目は、離れている時間が長かったのでできなくなっていることが多くて、ゼロの状態からできることが増えていく中でスケートって難しいなと感じたり、だからできるようになるのが楽しかったです。その面白さをあらためて知ることができました。そもそも試合に出たり、海外に行くのもなかなかできないことなんだな、というのも感じました」
いったん離れたことで得た発見や気づきがあった。それがこの1年の、リンクの内外での充実したたたずまいにもつながっていたのだろう。
休んだことで得たのはそればかりではなかった。
「スケートから離れている期間、それまでより大学に行く機会が増えたり、スポーツの世界の人だけじゃなくいろいろな人と話したり、自分よりも年下なのに自分よりしっかりしている人がたくさんいて、全然知らないことがたくさんあって、もっといろんなことを知りたいと思ったし、スケート界だけじゃなく普通の人として生きるためにすごく自分が必要なことをその期間で少し学べた感じがします」
幅が広がったことはスケートとの向き合い方にも変化をもたらした。
「北京オリンピックまでのシーズンは、『練習休んだらできなくなっちゃう』っていう焦りとか、当たり前なんですけど軸がスケートになっている感じがありました。今ももちろんスケートという大きな軸はありつつ、普通の人として生きている軸も大事にできているので、疲れたなと思ったら休めるようになったし、自分の意思でいろいろ決めて、自分がどういう風でありたいからこういう生活をすると決めるようになったっていうのも大きくて、それが自信だったり余裕につながっているなと思います」
納得のいく試合を重ねたシーズンを過ごし、新たなシーズンを迎えようとしている。樋口にとって、特別なシーズンでもある。(後編へ続く)
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