
(松原孝臣:ライター)
ほんとうに勝ちにこだわっていた
「自分が納得して一つ一つの試合を終えられるようなイメージで過ごしていたので、それが最初から最後まで途切れることなく滑り続けられたというのがすごく印象的です」
そのシーズンを象徴するように、世界選手権のフリーでは拍手と歓声で称えられた。観る者を惹きつける力がそこにあった。
大きな注目を集めるようになった中学生の頃は、スピードとジャンプに着目され、スケーターとしての像もしばらくの間はそのイメージが強かった。
だが、世界選手権の演技に限らず、ある時期から、印象深いプログラムを何度も披露してきた。
「自分で振り返ってみても、ジュニアのときやシニアの前半はほんとうに勝ちにこだわっていました。それが当たり前だとは思うんですけど、表現の部分では言われたことをやるというか、どういう表現なんだろうって思いながらもとりあえず言われたことをやる、みたいなところが試合にも練習にも出ていたと思います」
変化していったのは、2017-2018シーズンの頃だと言う。
「その前のシーズンのフリーは『シェヘラザード』という曲を使っていたんですけど、なかなか表現するのは難しかったです。物語もすごく複雑だったので、振付師さんに『こういう風に表現して』と言われても、それってどういう表現なんだろうって思ったりしていました。(2017-2018シーズンのフリー)『スカイフォール』は分かりやすい映画で、物語で知っている曲だったのでそれもきっかけとしてあったかもしれないですけど、本当にあのシーズンぐらいからですね。
自分の経験として、例えば悔しいとか悲しいとか気持ちをたくさん知るようになって、演技でもそういう表現ができるようになったり、この音楽のときはこういう表現をした方がいいなと考えたり、その音楽の映画を観て一つ一つのシーンを思い出して自分がそれを表現していったり。それこそアイスショーと試合の違いというのは、それをより出せるかだと思うんですけど、いろいろなショーに出演する中で、自分の気持ちを爆発させることができてからは、なんかそういうところにこだわりを持って滑れるようになったかなと思います」
表現を自ら捉えるようになったことの効用は他にも広がった。
「ジャンプが安定しなかったのが、表現の部分まで気を遣うようになってから理由は分からないですけど、安定してきたということもあります。余裕を持って練習ができるようになったのはジャンプのことだけじゃなくて、表現の部分も考えられるようになったからなのかなと思います」
3度目のオリンピックシーズン
表現を巡る樋口の話と、今日までにみせてきた表現を思い起こす中で、ふと尋ねてみたくなった。
——アイスダンス、やろうと思ったことはありますか?
すかさず答えた。
「ずっと思ってるんですよ。ずっと『やりたい』って言ってるんですけど。もともとアイスダンスのパターンダンスが好きです。一人でやっても難しいステップを2人で合わせるのもすごいなと思うし、シングルの規定にないようなルールがあったり、ダンスみたいな踊らなければいけない部分を作らなければいけなかったり、本当にスケート本来の面白さを感じられる競技だなと思うので、やってみたいなとずっと思ってるんですけど」
ひと息つくと、笑顔で話す。
「でも大変そうなのも知っているので。なんでシングルをやっているかというと、やっぱり協調性がないからだと思うので、ちょっと合わせるのは難しそうかなと思っています。ステップとかでも2人で合わせようとすると狂っちゃったり、男の人がだいたい合わせてくれるんですけど、それでもやっぱりおさえなきゃいけない部分だったり、練習でやっていてもやっぱり難しいです」
閑話休題。
3歳でスケートを始めて20年以上の歩みで培ってきた財産と、休養を経て得た心持ちとともに、今、新たなシーズンを迎えようとしている。それはシニアになってから、3度目のオリンピックシーズンである。
「オリンピックにまた出たいっていう気持ちもあるので、やるからには目指したいというのは今までと変わっていない部分だと思います」
自分が悔いの残らないような演技を
でも、「一つ一つ」という姿勢を変えようとは思わない。そこには過去の経験もある。樋口は平昌オリンピックの代表入りを果たせず、北京オリンピックで切符をつかんだ。
「平昌オリンピックを目指していたときは、全部オリンピックのために、みたいな感じで一つ一つの試合もそのためにありました」
重圧も大きかった。
「平昌の4年以上前からずっと『平昌オリンピック』というワードを周りからかけられてきたし、『絶対行けるよね』『絶対大丈夫だよね』みたいな言葉を周りからかけられていたのもすごく辛かったというか。もちろんそこを目指していたけれど、もうそこしか見えなくなっちゃうのが、今考えるとしんどかったなと思います」
「北京のときは正直、行けなかったらやめようと思っていて、行けなくてやめるときを考えたとき、一つ一つの試合を納得して終われるように考えながら滑っていました。それが結果的にオリンピックにつながったし、一つ一つの積み重ねで大きい目標にたどり着けると実感しました」
だから今シーズンもそうだったように、着実に進んでいこうと考えている。
「本当に大事なシーズンです。最後になるんじゃないかなっていうシーズンになるんですけど、結果がどうこうではなく、自分が悔いの残らないような演技を目指せると納得して終われるのかなと思っています。もちろんオリンピックに向けてもそうですけど、自分の目標だったりペースというのを乱さずに自分らしく滑れば結果もついてくるんじゃないかなと思います」
あらためて、スケートの魅力を尋ねる。
「自分の経験だったり思っていることをそのまま氷の上で表現して音楽に乗せて振りを合わせたりとかする、しかも見ている人が心を動かされる、そういうスポーツってなかなかないと思います」
スケートの世界で生きてきて、ありたい姿を思い描く。
「そうなるといいなっていう気持ちも込めて言うと、点数に関係なくみることができるスケート、飽きないスケートというのが自分の魅力になるといいな、と思います」
飾ることなくどこまでもまっすぐに、真摯に話す姿は、スケートへの取り組みをも想起させる。
だからこそ培うことができた土壌とともに、樋口新葉は大きな大きな、シーズンへと向かう。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 「復帰するつもりはなかった」樋口新葉、休養後2シーズン目で迎えた飛躍の理由、離れたことで得た発見や気づき
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