
論議の的になることもなく、長らく看過されてきた問題がある。それが、女性薬物依存者の処遇をめぐる格差である。
日本は、諸外国と比べて違法薬物使用が盛んでないことから、薬物依存症に関する誤った偏見が流布され放置されてきた。医師や研究者などの専門家からは、司法における薬物依存症の治療や対策のあり方には不備が大きいとして強く批判されている。
ようやく一部で治療的アプローチが取り入れられるようになってきたが、なおも女性薬物依存者の処遇には大きな課題が残っている。そこには、女性特有の生きづらさとジェンダー格差の問題があった。
本稿は、2025年2月8日に開催されたイベント「女子依存症回復支援プログラムを考えるシンポジウム 『塀のなかと外はつながるのか?』-女子刑務所モデル事業を振り返る」より、女性薬物依存者が抱える困難に焦点を当てレポートする。(文:遠山怜)
●薬物は「心の鎮痛剤」一般的に、薬物使用者に対してネガティブなイメージを抱く人は多い。理由として挙げられるのは、「享楽的」で「だらしがなく」「意思が弱い」人間が薬物を使用しているという思い込みがあるからだろう。
しかしそうした印象とは裏腹に、薬物依存症の調査研究では、薬物は「快楽を得るため」ではなく、「うつや不安、トラウマなどによる不快な感情を緩和させるため」に用いられているという事実が明らかになっている。こうした傾向は特に女性に多く見られ、薬物使用とPTSDなどの精神疾患との関わりが指摘されている。
長年、女性薬物使用者の回復を支援してきた、NPO法人リカバリー代表の大嶋栄子氏によると、女性たちにとって、薬物は心の鎮痛剤のようなものだという。
「依存症は、長らく本人の性格の問題とされてきました。享楽的で衝動的、だらしないから依存症になるのだという考えは、今もなお信じられています。しかし数々の調査の結果、薬物使用の根源にあるのは“苦痛の緩和”だと、明らかにされています」
「事実、これまで当施設につながってきた利用者の多くが、虐待やいじめ、DV、性暴力などの被害を経験し、精神的な不調を抱えていました。彼女たちは、辛い記憶のフラッシュバックを抑えたり、不安や緊張を緩和したりするために薬物を使用していたのです」
法務省の調査では、薬物使用歴がある女性受刑者の約7割に、身体的な暴力被害があると判明。性暴力被害者も約3割と、圧倒的に被虐待経験者が多い。大嶋氏は、数年に渡り専門家として刑務所を視察し受刑者と接するなかで、そうした現実を目の当たりにしてきた。
「彼女たちが語る服役前の生活は、安全とはほど遠く、常に暴力に晒され搾取に脅かされたものでした。身に降りかかる暴力に対処するので手いっぱいで、自分のことを振り返る余裕もない。なぜ、違法薬物を使ったのか、薬物が自分にとってどんな意味があったのかを考える間もなく、刑に服している。これでは、彼女たちの回復がはじまらない」
●依存症の支援ができない上岡陽江氏は、1991年から女性専用回復共同体の先駆けとなる「ダルク女性ハウス」を運営してきたひとりだが、開所当時は依存症の治療どころではなかったと振り返る。
「ダルク女性ハウスは、依存症の問題を扱う場所を作りたくて、始めました。でも、利用者が来所しても、依存症の話ができないんです。来る人、来る人みんな虐待サバイバーだったり、暴力被害を受けていたりして、日常生活をまともに送ることすら難しい状態だった」
「施設では、パニック障害で電車に乗れないとか、経済的に困窮しているとか、そういった次々降ってくる相談に対処することで手いっぱいで、依存症について考えるところに辿り着けない。そうこうするうちに、薬物を再使用する人が絶えなかった」
女性薬物依存者の日常生活は、一般的に想像されるものとは程遠く、孤立したものであることが多いという。家庭が困窮していたり、家族もまた依存症の問題を抱えているケースも多い。人付き合いは限定的であり、対人関係は家族や恋人など特定のメンバーで固定されている。暴力や搾取と隣り合わせの生活でも、逃げ出すことを可能にする社会的資源も持っていない。
上岡氏は、この様子を花に例える。
「ぱっと見は普通に、花が咲いているように見える。でも、植木鉢の中を覗くと土や栄養が入っていない。土を入れてもらったり、日に当ててたっぷり水をもらったりと、誰かに手をかけて育てられていない。外から見えているものと、内側から見えているものがまったく違う」
●「家族が望む自分にならなくては」出所後、彼女たちを待ち受けている日々も、また過酷である。薬物使用の罪で服役した経験を持つハルさん(仮名)は自身の経験をこう語る。
「逮捕されたことで、家族に迷惑をかけてしまったという負い目があった。母親は長らく精神疾患を患っていて、自分が仕事も家事も家族の面倒もみなくてはと思っていた。犯罪を犯した自分は社会不適合者なのだから、せめて家族の側で家族が望む自分にならなくてはと、追い込んでいった。でも頑張っても頑張っても、苦しさから抜け出せない。そのうち今度はお酒に依存するようにもなって、どんどん壊れていった」
刑事法学者であり、女性や子どもの被害を専門とする千葉大学大学院教授の後藤弘子氏は、司法の場も男性中心になっていると指摘する。
「司法は、性別によって作用の仕方が異なるのです。法律が指す“人”とは、多数派のことであり、男性を前提にしています。そこに女性は含まれていませんし、子どもや障害のある人、一般的な男性像に当てはまらない少数派としての特徴を持つ人は考慮されていません」
「実際には、少数派の人は社会の中で様々な形で不遇を受けています。にも関わらず、司法の原則はどんな人でも一律に適用される。少数派がこれまで受けてきた数々の差別はなかったことにされ、犯罪者としての烙印を押されるのです。そしてまた、多数派中心の社会に戻らなくてはならない。少数派である人たちにとって、司法は更生よりも、さらなる困難をもたらすものなのです」

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