
1日の労働時間は、原則として8時間。残業をすればそれ以上、1日の大半の時間が拘束されます。現役時代は仕事に忙殺されていても、いざリタイアすると、時間が余るという人も多々。自らの資金状況が許し、趣味などがあれば、老後も豊かに過ごせるかもしれません。一方で、仕事を辞めたらやることがない、と嘆く人もいるようです。本記事では、老後に初めて趣味を見つけた麻生さん(仮名)の事例とともに、老後の趣味とライフプランへの影響について、FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が解説します。
せめて頭の体操でも…
都内のメーカーに勤め上げ、円満退職を迎えた麻生博さん(仮名/66歳)は、いわゆる“勝ち組サラリーマン”でした。3,000万円もの退職金を受け取り、妻の里美さん(仮名/65歳)と夫婦で月25万円の公的年金を受け取ることができています。
麻生さんは1年前にリタイアしました。その際、住宅ローンは退職金のうち2,000万円を使って完済。都内でマイホームを購入し、子供を3人育てあげるのにはお金がかかりましたが、なんとか老後資金として2,000万円以上を残すことができ、ほっとしています。これまで住宅ローン返済と子供たちの教育費のため、節約を心がけて生活してきたので、老後の支出も抑えることができそうです。2,000万円あれば穏やかなセカンドライフを送ることができると考えていました。
空白の「老後やりたいことリスト」
仕事に追われていた現役時代とは違い、自由な時間を得たいま、麻生さんは自分にこれといった趣味がないことに気づきます。仕事がなければ特段やることがなく、このままではどんどん頭が老いていってしまう、と少し焦りました。
散歩がてら、近所の書店に立ち寄ると、投資関連の本がずらりと陳列されていました。趣味はないものの、人並みにお金は好きです。投資というと、一日中相場を見張らなければならないイメージがあり、仕事の片手間ではできないものと思っていましたが、いまは時間が腐るほどあります。「頭の体操になるかもしれないし、いまからでもお金が増えたら嬉しい」と、気になっていた株式トレードをやってみることに。
麻生さんはまず有名講師のトレード塾に通いました。半年ほど経つとチャート分析のみで利益を出せるようになり、そのことをSNSで発信してみました。初めは少額の投資から始めた麻生さんでしたが、小さくても利益を出せたことで、だんだんとトレードにのめり込んでいきます。
金額も次第に大きくなり、1日に5,000円、1万円と利益を出せるようになると、すっかり有頂天に。しかし、この投資熱がきっかけで一転、老後不安へと突入することになってしまったのです。
ドはまりした投資がきっかけで…
ある時期から麻生さんのトレード成績はスランプ気味になっていきました。負けが続き、自分のチャート分析がそもそも正しいのか自信も持てません。ラインの引き方を変えてみてもどつぼにはまる一方です。
麻生さんは利益が出ていたとき、すっかり上機嫌になり、SNSで強気に自分の予想を発信していたこともありました。しかしスランプについてほかのアカウントからバカにされたようなコメントを受け、頭に血がのぼってしまったのです。
「損失を取り返して見返さねば」
そんなとき、とてもわかりやすく下落のサインが見られる相場がありました。空売りのタイミングと確信した麻生さんは、思いきって信用取引で空売りを仕掛けることに。しかし、その銘柄は予想に反し大きく株価が跳ね上がったのです。100万円以上の追加証拠金が必要になり、麻生さんはまた損失を出すことになってしまいました。
そんな痛手を経験してもまだ、麻生さんは「損を取り戻さなければ」と思い、取引をやめることができません。
「今日は5万円勝った」「昨日の10万円負けを半分は戻した」そんな日々が続き、麻生さんの生活はチャートとSNS中心になりました。
高齢期の承認欲求で失った信頼
毎日パソコンにかじりついてイライラしながら相場とにらめっこ。妻の里美さんから食事の支度ができたと声を掛けられても「いまは大事な局面なんだ」と強い口調で言い返すように。そして、トータルでの損失額はいつのまにか500万円を超えてしまいました。
家事は里美さんに任せきり。家にいるのに協力もせず、パソコンの画面にかじりついて、損失続きにもかかわらずSNSで強がり承認欲求を満たそうとする夫に里美さんは嫌気がさします。「前はこんな人じゃなかったのに」「このままじゃ、老後のお金がどんどん減ってしまう」と、夫に思いを告げました。ついには熟年離婚へと発展してしまったのです。
結果、離婚時には里美さんに800万円以上の財産を渡さなければならず、麻生さんの手元にはわずか700万円ほどが残りました。年金も里美さんのぶんを除き月16万円程度まで給付額が下がり、生活水準を下げなくてはなりません。こうした事態に陥ってから、ようやく自らの過ちに気が付いた麻生さん。
「いままで仕事以外にのめり込んだものなんてなかった。老後に始めた趣味がこんな結果を招くとは……」現在は、一人ぼっちになったマイホームでこの1年を震えるほど悔やんでいます。
予算に応じて自分が満足できる趣味のサイズを決める
短期のトレードはしっかりチャート分析をマスターすれば金融知識がない素人でも比較的利益を得やすい取引です。FXなどには通貨ペアによってかなり安定的な利益を狙えるものもあるので、小さな利益を積み重ねる楽しみの一つとして行うのもよいでしょう。
しかし、生活資金を投じて大きなリターンを狙い、安易に信用取引やデリバティブ取引を行ってしまうと大きな損失を出してしまうことも多々あります。
「失っても問題ないお金」の範囲を超えたトレードは避けたほうがよいです。生活資金については現預金や個人年金保険、しばらく使わない資金については投資信託や変額個人年金等で「守りの投資」を行い、基本に忠実に、長期分散投資でインフレに対処しながら安定的なリターンを狙い運用することが望ましいといえます。
また、承認欲求というものは侮れず、現実世界で満足できていない人ほどSNS上で承認欲求を満たそうとする傾向にあります。仕事をリタイアしたあとわずかな時間でも、ボランティアや収入になる仕事など、他者から感謝される機会があれば承認欲求を満たすこともでき、SNSにのめりこむことも防げたでしょう。
マズローの欲求5段階説では、経済的に安定し生活の安全が確保される状況下では、社会的欲求や承認欲求が大きくなるとされています。十分な老後の資金を確保したとしても、自分の行動を理性的にコントロールできなければ、麻生さんのような末路を辿ってしまうかもしれません。
老後の社会的活動が与える影響
今回は老後に始めたトレードがきっかけで資産を失い、離婚、そして節約生活をすることになった麻生さんの事例をご紹介しました。令和3年に総務省が実施した社会生活基本調査によると、なんらかの社会活動に参加した高齢者の割合は30%となっており、多くが地域の奉仕活動や趣味のサークルなどに参加しているというデータがあります。
お金だけでなく、生きがいや趣味があることも生きていくうえでは大事なことです。しかし、「適度に楽しむ」のではなく麻生さんのように依存状態になってしまうと、お金だけでなく家族や人間関係をも失ってしまうことにもなりかねません。
老後の生きがいや楽しみを得る手段は趣味だけでなく、あまり負担がない程度に働くことも一つの選択肢です。予算の範囲で、ご自分の生き方に合った生きがいを見つけていきましょう。
小川 洋平
FP相談ねっと

コメント