
トランプ政権の不透明な関税策、ロシアによるウクライナ侵攻、米国による対中半導体規制、台湾有事リスク、欧州の気候変動規制──。地政学・経済安全保障に関するリスクが拡大・深刻化する中、企業の事業活動が危ぶまれるケースが年々増えている。こうしたリスクによるビジネスへの悪影響を最小限に抑えるべく、企業はどのように向き合い、備えるべきか。本稿では『ビジネスと地政学・経済安全保障』(羽生田慶介著/日経BP)から内容の一部を抜粋・再編集。国家間の政治力がぶつかり合う現代の国際経済社会において、ビジネスパーソンが押さえておくべき地政学・経済安全保障リスクと対応策を考える。
世界各地で貿易、投資、金融取引の規制が日々更新され、複雑化が進む中、企業が意図せず法令違反を犯すケースが増えている。地政学・経済安保リスクを管理・回避するために求められるコンプライアンス体制とは?
※本記事は、2025年1月時点の情報に基づいています。
10大リスク_リスクマネジメントのキャパオーバー
部署別対応は限界に
ロシアのウクライナ侵攻に伴う対ロ経済制裁や、米国による対中規制の強化とそれに対する中国の対抗措置など、世界各地で貿易投資、金融取引などへの規制の強化・拡大が続いている。日々新たな規制が導入され、対象となる物資や企業が増え、規制の内容も複雑化している。
しかも、これらの規制は、国ごとに異なるばかりか、同じ国でも担当省庁や目的ごとに異なり、一つの企業や製品が複数の規制の対象となっていることも少なくない。このように複数の規制が複雑に入り組み、重層的・断片的に適用される「規制のパッチワーク化」が生じ、企業のコンプライアンス対応はますます難しくなっている。そのため、意図せず規制に違反してしまうリスクが高まっている。
その典型例が米国のリスト規制だ。
対ロ制裁などの理由で、米国人との物品・金融取引の禁止や在米資産の凍結の対象となる個人や企業を指定した「特別指定国民(SDN)リスト」や、輸出管理規則(EAR)に基づき、国家安全保障上の懸念があるため輸出を規制する企業・団体を特定した「エンティティー・リスト」、ウイグル強制労働防止法(UFLPA)によって中国・新疆ウイグル自治区での強制労働への関与を理由に輸入禁止となる事業者を指定した「UFLPAエンティティー・リスト」など、数多くの規制対象リストがある(次ページ図表5・9)。
こうしたリストは米国だけでなく、世界各国にある。これらを適切に把握していないと、あるリスト規制に対応するために調達先を変更したら、他のリスト規制に抵触した、といったことが生じかねない。複雑に入り組み、日々更新されるいくつもの規制に各事業部門(1線)やコーポレート(輸出管理・法務)部門(2線)が個別に対応するのはより困難になっている。
実際、担当者不足などによりコンプライアンス・リスクマネジメント担当部署がキャパオーバーに陥った企業の悲鳴が聞こえている。米国でも、規制リストの確認を怠ったため、リストが更新されていることに気付かず、輸出許可が必要な製品を許可なく輸出し、法令違反となって罰金を科せられた例がある。
■「事業別」「地域別」の縦割り管理がリスクを生む
では、人員を増強すればよいのかというと、それだけでは十分ではない。これらの規制は、時々の地政学・経済安保リスクに対応するために各国政府が導入・強化しているので、地政学・経済安保を巡る情勢や各国の政策を把握し、戦略的に対応することが求められる。
例えば、ある日本企業では、輸出は輸出管理部門、投資は法務・コンプライアンス部門、研究開発人材の採用は人事や研究開発部門と各事業部門、調達は資材部、間接部門の物資調達は総務部がそれぞれ担当していた。それぞれの部署が機能し、大きな問題は生じていなかったが、各国の政策や制度を把握し、リスクが顕在化する前に効果的に対応するための方針を立て、実行するには十分でなかったという。
そのためにまず必要となるのが部門間の連携だ。各事業部門、コーポレート部門、あるいは地域別部門がそれぞれ情報を収集し、対応することは、リスクの見落とし(「抜け・漏れ」)や重複による非効率を招き、全社的なガバナンスの欠如にもつながる。実際に、事業部門と法務部の連携不足により、輸出管理法令に違反した事例なども報告されている。
例えば、対ロ制裁やUFLPAに代表される人権保護への対応には、川上(研究開発・調達)から川下(販売)までサプライチェーン全体の把握が必要になる。各事業部門・地域別部門が製品や地域ごとに対応するのは非効率だ。各事業・地域別部門から情報を収集して整理し、部門間での共有を図ってリスクの見落としと作業の重複を防ぐコーポレート部門が果たす役割が重要になる。
これは、情報収集のために照会を受ける取引先企業にとっても重要だ。部材の調達に関してサプライヤーに照会が必要となるケースが増えているが、同一企業の複数部署から同じ照会が何度も来るのは迷惑でしかない。
反対に、他社からの照会に回答する際も、部署によって異なる回答となっては困る。実際には、部署どころか、担当者によって回答が異なるとの話もよく聞く。社内連携や内部統制が不十分であることが露呈すれば、企業の信用や評判を落とすことにもなりかねない。
こうした状況に対処するには、全社での統一的な対応を可能にする体制やワークフローの構築が不可欠である。そのためには、社内連携の強化にとどまらず、これを統括する専門部署を設けることも検討すべきだ。
地政学・経済安保リスクへの対応では、経済合理性に反する方策が必要となる場面も出てくるため、経営トップの判断が不可欠だ。経営トップと現場をつなぎ、その判断を支え、実行を支援する部署があれば、より円滑に対応できるだろう。
日本企業の中でも、コーポレート部門に経済安全保障統括室を設けたり、経営直轄の全社横断的な経済安全保障委員会を設けたりする企業が増えてきている。地政学・経済安保リスクの把握にはインテリジェンス体制の構築や外部専門機関との連携も有益であり、これらを統括する担当者や担当組織も必要となる。
そうした体制を整えることによって、各国の規制に対応するコンプライアンスを超え、今後生じ得る地政学・経済安保リスクを管理・回避する、経営判断を要するリスクマネジメントをより適切に実行できるようにすべきだ。
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