
退職金や年金という言葉には、安心や希望を感じる人も多いのではないでしょうか。しかし、現実の老後には思いもよらぬ落とし穴が潜んでいることもあります。なかなか見えてこない「本当の数字」に足をすくわれることも珍しいことではありません。
夢に見た「セカンドライフ」の幕開け
大学を卒業後、都内の中堅メーカー一筋で働いてきた鈴木誠さん(65歳・仮名)。60歳で一度は定年の区切りを迎えましたが、「年金がもらえるまでは」と、同じ会社で再雇用の道を選びました。
給与は現役時代の6割ほどに減り、仕事の内容も若手の補助的なものが中心。かつて部下だった社員が上司になるという状況にも、正直、心の整理がつかない日もありました。それでも、「あと5年だ」と自分に言い聞かせ、満員電車に揺られる日々を耐えてきたのです。その5年間が、ようやく終わりました。
定年時に受け取った退職金は約2,500万円。メガバンクの定期預金に預けてあり、当面は手を付けるつもりはありません。そして、これからは待ちに待った年金生活が始まります。基礎年金と厚生年金、合わせて月19万円。妻・優子さん(仮名)は、誠さんから遅れること1年後に年金生活をスタートする予定で、夫婦合わせれば30万円を超える収入になる計算です。
「これでやっと、夫婦でのんびりできるな」
リビングのカレンダーに印をつけた誕生日を眺めながら、誠さんは感慨深く呟きます。これまで仕事一筋で、家のこと、子育てのことは、すべて優子さんに任せてきました。旅行が趣味のふたりは、子どもが生まれる前は海外も含めて、よく一緒にいったもの。しかし子どもが生まれてからは、お互いの実家に帰省するのが趣味の旅行代わりになっていました。
仕事を辞めたら行ってみたいところリストは世界中、50カ所にもなっています。そのすべてを訪れるのは、時間もお金も必要ですが、「退職金と年金があれば大丈夫」という結論に達していました。
年金の請求手続きを終え、初めての年金振込日。ATMに通帳を吸い込ませると、印字された数字に誠さんは思わず顔をほころばせました。
「おお、本当に入っている」
そこには約38万円の金額が記されていました。早速、家にいる優子さんと喜びを分かち合います。「これで一安心ね」。悠々自適な老後がスタートしました。
「年金は全額もらえるわけじゃないぞ」友人の一言
その数日後、誠さんは長年の付き合いになるゴルフ仲間との昼食会に参加していました。同じようにリタイアした仲間たちとの会話は、健康や孫の話がもっぱらです。そのなかで、誠さんは先日振り込まれた年金額について話しました。
「いやあ、これからは年金で悠々自適だよ」
すると、ひとりの友人が、意外な言葉を口にしたのです。
「でも、年金にまで税金をかけるのは解せないよな」
「え?どういうこと?」
「年金からも、税金とか保険料ががっつり天引きされるんだよ。俺も最初は驚いたもん」
友人の言葉に、誠さんは耳を疑いました。給与から所得税や住民税、社会保険料が引かれるのは当然のこととして40年以上経験してきましたが、老後の生活を支えるはずの年金までもが、その対象になるというのです。
公的年金は「雑所得」として課税対象となり、所得税や住民税がかかります。さらに介護保険料、国民健康保険料(75歳未満)、後期高齢者医療保険料(75歳以上)も年金から天引き(特別徴収)されます。
ただ特別徴収されるようになるには“ズレ”があり、たとえば住民税であれば4月1日現在に65歳を迎える年の10月からというのが一般的。そのため「あれ、いつもよりも振込額が少ないなあ……」という事態が発生するのです。
一般的に年金の手取りは、額面の85~90%程度といわれています。仮に額面で老後の生活設計を考えているととんでもないことになります。鈴木さんの場合、手取りは16万円程度と、3万円ほどの差が見込まれます。電卓を弾けば、その差は決して小さくないことがわかります。1年で36万円、10年で360万円、20年で720万円、30年で……これだけ差が生じると、老後の計画は成り立たず破綻確定といえるでしょう。
年金から税金や保険料が引かれて、実際は額面の85~90%程度になる――この事実、意外に知らない人も多く、日本年金機構のホームページでもQ&Aで答えています。
Q.年金から税金が差し引かれています。どうしてですか。
A.老齢の年金は、所得税法の雑所得として扱われ、所得税がかかることになっています。 65歳未満の方でその年の支払額が108万円以上の方や、65歳以上の方で158万円以上の方の場合は、原則として所得税がかかります。 年金に課税される所得税は、源泉徴収することとなっていますので、日本年金機構では年金を支払う都度所得税を差し引いています。
年金の額面で老後の計画をシミュレーションしていた――その事実を知り、鈴木さんは「何かの間違いでは……」というので精いっぱい。口をパクパクさせて、次の言葉が見つかりません。
「綿密なプランニングだと思っていたのに……まったく綿密じゃなかった」
年金の額面と手取りの誤差。これをどうやって埋めていくか――今一度、妻と作戦会議をする必要がありそうです。
[参考資料]
日本年金機構『年金から介護保険料・国民健康保険料(税)・後期高齢者医療保険料・住民税および森林環境税を特別徴収されるのはどのような人ですか。』
国税庁『No.1600 公的年金等の課税関係』

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