
2020年2月3日に横浜港に入港し、その後日本で初となる新型コロナウイルスの集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」を舞台に、守るべきは国家か、人命かの選択を迫られた人々の姿を映し出す映画『フロントライン』(公開中)。
【写真を見る】小栗旬演じる結城英晴のモデルとなったのは、当時神奈川県DMAT調整本部長の阿南英明
未知のウイルスに最前線で立ち向かったのは、目の前の命を救うことを最優先に行動した人たち。全員が下船し、かけがえのない日常を取り戻すために、誰一人として諦めることなく未曽有の事態の対応にあたった。時間との闘い、次から次へと起きる問題、立ちはだかる困難。「自分も感染するかもしれない」という危険な状況にさらされながらも、目の前の命を救うことを選び行動した人たちの物語が描かれる本作は、実際に起きたことを真実に基づいて制作されている。DMAT指揮官・結城英晴(小栗旬)、厚生労働省 医政局医事課の役人・立松信貴(松坂桃李)、DMAT隊員・真田春人(池松壮亮)、DMAT医師で実働部隊のトップ・仙道行義(窪塚洋介)、クルーズ船のフロントデスク・クルーの羽鳥寛子(森七菜)をはじめ、本作でキャストそれぞれが演じたキャラクターにはモデルとなる人物が存在している。
■最前線“フロントライン”で立ち向かった人たちが映画化を受け入れた理由
あの時、ダイヤモンド・プリンセス号内で、なにが起きていたのか…。映画となって多くの人に“真実”の物語が届くことについて、結城英晴のモデルで神奈川県DMAT調整本部長(当時)の阿南英明は「映像のインパクトはすごいものだから、非常にありがたいと思いました」としみじみ。「当時は僕らもやっぱり苦しかった。でも、その苦しかったことをエンタテインメントという側面を持ちながら上手に表現していただいていることを心からうれしく思いました」と感謝の言葉を並べる。仙道行義のモデルでDMAT事務局次長の近藤久禎も「最前線で守っている人たちを守るためにもマスコミ対応もしっかりやらなければいけないという教訓にもなりました。でも本当の意味で守るためには世の中全体に対して訴えることが必要。それはなかなか実現するのは難しいから、映画という形で広められることを本当にありがたいと感じています」と笑顔を見せる。
真田春人のモデル、浜松医科大学医学部附属病院 救急部 助教 高橋善明は「この4、5年、医療従事者は耐える時間が続いていました」と話し、コロナの話は表に出してはいけない感じがあったと指摘。「映画化と聞いた時は『私たちが表に出てしまっていいの?』というのが正直な気持ちでした」と隠さずに語る。映画化については、船内での活動の真実を伝える機会はずっとないままだったので、内心はやっと伝える場所ができるという思いと同時に、DMATは被災地に駆けつけ、「あくまでバックアップする存在」だと説明し、だからこそ映画で目立つところに出てしまっていいのか悩んだと告白。しかし、本作の企画・プロデューサー・脚本を務める増本淳の「コロナ禍でずっと頑張ってきた医療従事者にスポットライトを当てる意味でこの映画を撮りたい!」という思いに突き動かされ、協力することを決心したと経緯の詳細を丁寧に明かした。
立松信貴のモデルで厚生労働省 医政局 保健医療技術調整官(当時)堀岡伸彦は「官僚はあまりいい描き方をされないもの」と苦笑い。しかし、プロデューサーの増本の熱意に押され「ありのままを描いてくれるなら」という思いで快諾。厚労省をはじめ、当時の対応に対し批判の声があることもわかっているが「少なくともダイヤモンド・プリンセス号では誰にも後ろ指をさされるような行動はとっていない」とキッパリ。そういった自負も映画化を受け入れる要素となったと明かした。
羽鳥寛子のモデル、元ダイヤモンド・プリンセス号フロントデスク・クルーの和田祥子は「私があの場所で経験したことがそのまんま映画になっていてびっくりしました」と事実に基づいた物語であることを印象付ける。「改めて本当に映画みたいなことが起きていたと思ったのですが、本当に現実ではないみたいな感じでした」と振り返りながら、「いろいろな意見はあると思いますが、わからないなかで最善を尽くせたのかなと思えました」と映画で当時の出来事を再確認し、自分がやったことは“ベスト”であったと再認識することができたことにもよろこびを感じたとも語った。
■前代未聞の状況下で立ち向かった人々の思いが詰まっている
数人のモデルの集合体が一人のキャラクターになっているケースもある。自分のエピソードが採用されているシーンでは「描いてもらえてよかった」「ここが伝わるのがうれしい」と声を揃える。阿南は結城がフィリピン人のクルー・アリッサを診察するシーンと上野記者(桜井ユキ)との対峙シーンに感動したという。「アリッサの診察シーンは実体験。そこを映画で取り上げてくれたことで、乗客だけでなく乗員の存在もいることが伝わると思います」と力を込める。上野記者とのシーンは「リアルというよりは総合的に象徴するシーンという印象」とし、その理由は「マスコミと我々はなかなか噛み合わないところがあります。そこに踏み込んでくれたこと、我々がどういう視点で報道をしてほしいのかを暗に伝えている気がしました」と感想を交えながら解説。
「面会シーン」と即答した近藤は「我々は命さえ救えばいいのか。感染を広げないためには面会なんてさせるべきじゃないことはわかっている。だけど、命だけが一番重いのか、という話になります。命だけを守ればいいのか人道的に考え、悲劇を防ぎ、人生・幸せを守るという点にスポットを当てていたのが面会シーン。そこをしっかり取り上げていただけたのは本当によかったと思います」と最前線で自身の命を危険にさらしながらも、命を救うと同時に大切にしたいもの、大切にすべきものがあるとも話した。
劇中で唯一、家族との物語が描かれる真田。「帰宅した真田が妻にハグされるシーンは、恥ずかしながら僕の話で(笑)」と照れる高橋。当時、コロナは未知のウイルスで、船内で活動した自分がウイルスを持ち帰っているかもしれないという不安があり、妻が自分のほうに近づいてきた時に一歩引いていると話す。このシーンはダイヤモンド・プリンセス号だけの話ではなく、4年近くコロナに対応してきた医療従事者の思いとしても描かれていると解説。高橋の実話ではあるが「家族に申し訳ないような思いや大きな不安を抱えて帰宅した自分が、(家族から)大切に思ってもらえたことがありがたかったという気持ちを話したら、そのまま映画になっていました」と吹き出し笑いも。「こんな恥ずかしいエピソード話してもいいのかな」と迷いもあったそうだが、「事実をそのまま話したら、そのまま採用されてしまっていました」と戯ける場面もあった。
立松のモデルとなった堀岡は、いまでも心から当時の対応に感謝してもしたりないほどだという藤田医科大学のエピソードがしっかりと描かれていたことに喜びを隠せないと満面の笑みを浮かべる。和田は70代のアメリカ人夫婦のエピソードを挙げ、「普段なら自分のプライベートの携帯電話番号をお客様にお渡しするなんてことはありません。でもあの時は不安を一つでも取り除いて差し上げたいという思いでいっぱいでした」とイレギュラーな状況下で乗客の心のケアも最大限にできたとを打ち明けた。
■「目の前に困っている人がいたら助ける」医師としてDMATとして当たり前のこと
立ち向かうのは未知のウイルス。自身も命の危険にさらされる状況にありながら、目の前の命、目の前の人の心のケアを優先できた理由は一体なんなのだろうか。上野記者からまた同じような状況になったら「次もやりますか?」と訊かれていたシーンにも通じることだと前置きし、「あのシーンでははっきりとした回答をしていません。でも、やるやらないじゃなくて、私たちがどういう思いでやっているのかということを語っているシーンだと思うんです」と阿南は持論を展開。「暗に『次だって必要だったらやるでしょう』という答え方をしてくれていて。それは我々が常々思っていること。困っている人がいるならやるしかない。そういう思いでやっているんですよね」と強い意志を言葉にする。目の前に困っている人がいるなら助ける、医師としてDMATとして…という点において、阿南、近藤、高橋が普段から思っていることは共通しているようだ。
困っている人がいたら助ける、手を差し伸べることに迷いはないとするのは堀岡も同じだ。「目の前の人が死ぬかもしれない。そんな状況なら規則や手順なんてすっ飛ばしますよね」と笑い飛ばしながらも、その目は真剣そのもの。危機的状況のなかでこそ、プロの仕事の熱意、プロの仕事の本当のパワーを見ることができたとも話す。それが表現されていたのが藤田医科大学への移送シーンだった。「最短距離、時間で大ごとにならずに移送できるよう、細かな配慮がされています。例えば感染者がサービスエリアでトイレ休憩をしたら…。当時の状況なら大騒ぎになることは目に見えています。でもそうならない。あんな状況でいちいち止まってETCで…みたいなことにならないよう、移送ルートを共有し、警察が先導してくれたり、自衛隊が運んでくれたり、国交省がサービスエリアを開けてくれたりするわけです。これぞプロの仕事だと思いました」と称賛。続けて「他人事感や、実行不可能な解決案をしたり顔で言われたりするのはとても不愉快でした。映画にも描かれていますが、報道を観ながらくやしい思いをしたこともたくさんありました」とモヤモヤしていたと話す場面もあった。
なによりもまず目の前の命を優先しているDMATの姿は同じく最前線で乗客の対応にあたっていた和田自身にも大きな影響をもたらした模様。「医療のお仕事をしていても、感染症のプロではない。そんな方たちが感染を食い止めるために持っている知識を最大限駆使している姿。『はじめまして』といった関係の先生方もいる中で、病院の振り分けもテキパキと解決していきます。その手捌きには本当に驚きました」とDMATの対応力、順応力に言及。
「私は直接患者さんの命を救うことはできません。ただ、気持ちを楽にするために、安心してもらうためにできることをやっていました。でもそれだけではなんだか物足りなくなって…」と気持ちの変化に触れた和田は、「私ももっと直接的に相手の役に立ちたいと思うようになって、クルーを辞めて鍼灸師に転職しました。いまから医者になるのは難しいけれど、クルーの時よりももっと相手の内面に触れながらケアができるというところに惹かれています」と今回の出来事が自身の仕事にも大きな変化をもたらしたことも明かしていた。

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