
家計の管理は、家庭ごとにさまざまな形があります。収入が多いからこそ見えにくくなるお金の流れや、家族間の信頼が思わぬ形で揺らぐことも。ふとしたきっかけで明らかになる家計の真実は、私たちに安心と責任のバランスについて考えさせてくれます。
「勝ち組」のはずだった夫を襲った、妻への不信感
大手の有名企業で働く高橋亮介さん(42歳・仮名)。同期のなかでもいち早く課長に昇進。年収は1,200万円を超え、3年前には郊外から都心のマンションに引っ越してきました。妻の志保さん(40歳・仮名)は専業主婦として家庭を守り、中学受験を控えたひとり息子は、大手進学塾で上位の成績を維持。絵に描いたような「勝ち組」の家庭でした。
「家庭のことや子ども、学校のことはすべて妻がしっかりやってくれる。だから私は仕事に専念できるんです」
几帳面な志保さんは、買い物をするごとに1円単位で家計簿をつけるような人。以前はよく、家計簿アプリを亮介さんに見せ、「今月はこれだけ貯蓄に回せたわ」と嬉しそうに報告するのが常でした。しかし、その習慣が途絶えたのはいつからだったか――この1年ほどは亮介さんが家計の状況を尋ねても、志保さんは「大丈夫よ、ちゃんとやってるから」と曖昧に笑うだけ。同僚たちとも「最近は物価が高くて……」などと話す機会も多く、亮介さんも自身の家計がどんな状況なのか、気になっていたのです。
「まあ、志保がちゃんとやってくれているから、大丈夫だろう」
そう考えていました。
そんなある日の夜、事件は起こります。志保さんがお風呂に入っている隙に、リビングのテーブルに置きっぱなしになっていた彼女のスマートフォンが、メッセージの受信を知らせる音を立てて光ったのです。画面に表示されたのは、ネット銀行からの「お取引結果のお知らせ」でした。
魔が差した、としかいいようがありません。「夫婦に隠し事はなし」と、お互いにスマートフォンにロックはかけていません。簡単にネット銀行のアプリを開く亮介さん。そこに並んだ取引履歴を見て、我が目を疑いました。毎月、給与が振り込まれた直後から、まるで何かに吸い取られるように、お金が消えていっているのです。「OOアカデミー:100,000円」「個人指導XX:150,000円」――中学受験に向けて通塾を始めたことは知っていましたし、たまに迎えにいくこともあります。しかしいずれも通っているとは聞かされていない塾であり、支出額は月によっては40万円近くになっていました。
「あの子のためなの!」妻の涙と衝撃の告白
亮介さんは、風呂から上がってきた志保さんを尋ねました。スマホを勝手にみてしまったことを詫びながら、取引履歴について聞くと、志保さんの顔はみるみるうちに青ざめ、やがてポツリ、ポツリと真相を語り始めました。
「……全部、健太のためよ」
志保さんによると、それらの支出はすべて息子の中学受験のための「追加投資」でした。大手進学塾の通常授業に加え、夫に内緒で、個別指導塾、弱点克服のためのカリスマ家庭教師との個人契約、海外のトップ大学生とのオンラインディスカッションなど、ありとあらゆる高額な教育サービスを受けていたのです。
「受験とはいえ、お金は無限にあるわけではないだろう!」
現在住んでいるのは、都内でも教育熱の高いエリア。クラスの7割ほどが中学受験に挑戦し、そのうち半数以上が実際に私立中学に進学しています。親同士は日々、「あそこの塾がいいらしい」「あそこの先生で偏差値が10上がった」などと受験に関しての情報交換を行っていました。そのようななか、努力してもなかなか成績が上がらない、クラスが上がらない……そんな壁に直面していたのです。何とか打破しようと、良い噂を聞いたものは、片っ端から試してみる、そんな状況に陥っていたのです。
「あの子の将来のためなの! あの子には最高の環境を用意してあげたい。ママ友たちの間で、どこの塾がいい、どの先生がすごいって情報が毎日飛び交っているの。何もしないなんて、無責任なことはできない」
志保さんの涙を見て、亮介さんは言葉を失いました。「任せるよ」といいながら、すべてのプレッシャーを志保さん1人に押し付けていただけかもしれない。志保さんがそこまで追い詰められていたこと、孤独な戦いを強いられていたことに、まったく気づいていなかったのです。
教育費は家計のなかでも聖域になりやすいところ。どんなに生活が苦しくても削減できない――そんなスパイラルに陥ることも珍しくありません。日本弁護士会『2020 年破産事件及び個人再生事件記録調査』によると、破産債務者の破産理由のうち「教育資金」は9.84%。人生における最大の支出である「住宅購入」(7.26%)よりも破産理由としては多く、それだけ削りづらい項目であることを示唆しています。
この1件で、亮介さんも息子の中学受験に深く関わるようになったそうです。
[参考資料]
日本弁護士会『2020 年破産事件及び個人再生事件記録調査』

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