私たちが何の気なしに使っている「正社員」「非正規」といった言葉。しかし、いったい誰が決めた「正」なのだろうか。本記事では、長年非正規雇用で働きながら社会問題について発信してきた文筆家・栗田隆子氏の著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を一部抜粋し、「正」の概念がもたらす見えない分断について考えていく。

正規雇用の『正』ってナニ?

「私は、賃金が高いとは言えないけれど、自分の働き方も、内容も、労働時間も自分には合っていると思うんです。……でも自分の働き方はいつでも『非正規雇用』『非正規労働』『非正社員』って言われてきました。自分の働き方はどこか正しくない、一人前じゃない、例外……そんな風に言われているようで、複雑な気持ちにさせられてきたのも事実です」

女性の労働問題に関する集会で、ある参加者がこのように語ってくれたことがある。正規雇用非正規雇用などとあまり深く考えずこの言葉が使われている向きがあるが、いったいぜんたいこの「正」とは何を意味しているのだろう? 誰が、どこから、どんな目的で、なんのために労働のあり方を「正」と「正に非ず」に分けているのだろうか。

今の日本社会でとかく胡散臭く思われているのが「正」という概念である。正義などという言葉を使おうものならTwitter(現在のX)等のSNSでは「自分が正義のつもりで何様だww」「正しさを振り回すな」「戦争は自分が正義だと思うところから始まる」などなどと言われる。確かに戦争は古来「聖戦」「悪の枢軸を倒す」「大東亜共栄圏を守る」といった大義名分を謳って行うのが常であったから、正しさを疑いたくなるのはわからなくはない。

だが意外なことに、「労働」というジャンルで「正規労働」「非正規労働」などという言葉が使われたときにその「正」概念に対して冷笑したり、突っ込んだり、憤るようなSNSの書き込みは少数だ。非正規労働者から正規労働者への移行が極めて難しく、実質「身分制度」のようになっているのに、それでも労働者を分断する「正」概念を疑うことは極めて少ない。

いや、「疑い」が希薄である事実こそが「身分制度」なのかもしれない。身分制度はその制度を疑問視できないからこそ身分制度足りうるのであり、正規雇用非正規雇用の分断とは、この「正規雇用」や「非正規雇用」という言葉や概念を人々が驚くほどすんなり受け入れていることから始まるようにも感じる。

『正社員』という言葉が使われだした理由

それならばあらためて正社員正規雇用といった「正」はどこから生まれたのかを調べるのが今回の目的だ。あれこれ検索したところ、「正社員の意味と起源」という論文を発見(注1)した。その冒頭には下記のように書かれている。

「『正社員』という用語が一般的に使われるようになるのは1980年前後からであり、その原因はパートタイマーの増加であったと考えられる。時代的にみれば、『社員』というステイタスは戦前の『エリート』から戦後『ふつうの従業員』へと徐々に変化していく。そして、1980年代に入って『正社員』という雇用身分が新たに一般化する。」

「雇用身分」として身分という言葉が当然のように使われているのにも驚くが、「正社員」という言葉が高度成長期後のバブル前という時代に生まれた比較的新しい用語だったことに驚いた。しかも「正社員」が生まれた背景はパートタイマーの増加が理由であり、「『常用パート(常用雇用のパートタイマー)』を析出するため」とあるのだ。

それじゃあパートタイマーが現れたからその差異を表すがために「社員」という言葉の前に「正」ってつけたの? といきなり答えに行き着いて愕然とした。この時代のパートタイム労働者のほとんどは既婚女性である。

さて、「恒常的に賃労働をしている状態が、普通の人にとってかつては空気を吸うように当たり前だった」とさきほど言及した。さらにこの「普通」とは「日本に住む日本人、日本語話者、健常者、異性愛者でシス男性、さらには首都圏出身などなどといった『マジョリティの詰め合わせ』みたいな存在だったことが明らかになっている」と書いたが、この正社員という言葉が生まれた理由は、フルタイムで働くパートタイマーと分けたいがためだったのである。

それならば正社員とパートタイム労働者の違いは能力とか実力だとかいう話でもなんでもなく、最初から「マジョリティの詰め合わせ」か否かにすぎないのである。しかも80年代初頭はまだ男女雇用機会均等法さえ存在しておらず、「女性は募集しない」と雇用の段階で周知してもなんの問題もない時代だったのだから、なおさらである。 

しかも日本ではパートタイマーという働き方が本当に短時間労働だったわけでもない。それは和製英語ここに極まれり、というべき「フルタイムパート」という言葉が証明している。このパートタイム労働者が増えた時点で、同一労働同一賃金、あるいは同一価値労働同一賃金という賃金システムに踏み切ることもしなかった。1980年以降はパートタイム労働者が増えたというものの、それ以前は圧倒的に専業主婦が多かった。

しかもアメリカやヨーロッパでは景気が悪くなっていた時代だが、日本はバブル景気のイケイケの時代に突入していたために既存の制度を変革する必要を感じていなかった。労働条件におけるジェンダー面の改革もこの時代に徹底的になされることもなかった。

(注1)久本憲夫「正社員の意味と起源」季刊『政策・経営研究』vol. 2 2010年

正社員・パート・専業主婦――女性たちの見えない分断線

多くの人が指摘しているように1985年にほぼ同時に成立した「男女雇用機会均等法」「労働者派遣法」「第3号被保険者」という制度によって、それぞれごく僅かな「男性並みに働く女性」、「派遣労働者」あるいは「有期契約で働く女性労働者」、第2号被保険者(実質サラリーマンの夫)を補助する専業主婦たる「第3号被保険者」といった女性像を作り上げ、女性同士もまた制度的に分断されていった。もちろんこれは大まかなイメージであり、女性同士の分断はさらに巧妙に作られている。

私の母親は80年代、それこそフルタイムパートとして某大手企業で設計図を描く仕事をしていた。その頃彼女がこんなことを話してくれた記憶がある。「正社員の女性たちが、私たちの仕事を羨ましがる。手に職があって、やりがいがある仕事で羨ましいと言われる。正社員の女性たちは二年もやればもうその職場にいられなくなるから」。またあるいは「正社員の男性と一緒に仕事を長くするのは私たち(フルタイムパート)で、正社員の女性たちはコピーしたり、お茶を汲んだり、雑用ばかり。やっぱり手に職をつけないと」

なにぶん小学生だったので母の言わんとしている意味はほとんどわかっていなかった。わからないことを覚えているのは私の性分かもしれないが、こんなことを小学生相手に話す母も母である。だが私の労働への疑惑の原点にもなってくれているので、今は感謝してはいる。

……と、話が逸れたが、この話から垣間見える企業の巧妙なやり方を指摘したい。多くの女性正社員の雇用(男女雇用機会均等法以降は「一般職」と呼ばれる)は、給与はそこそこでも、その女性たちの担う仕事はいわゆる「やりがい」を感じられず、数年で辞めても問題ない。なんならそこに勤める「正社員」の男性と結婚すれば、年金制度的にもよし、といった扱いだった。

他方で既婚女性のフルタイムパート労働者にはやりがいのある仕事を与える代わりに、月給が二十万に届くことは決してなかった。男女の分断の手前にまず女性間での巧妙な待遇の違いを示すことで、いわゆる「総合職」の正社員の枠組みにまで疑念を抱かせないようにする……そんな手口に思える。

正社員間にも「総合職」「一般職」の違いをつけ、さらに女性正社員とフルタイムパート労働者のどちらも条件が十全でなく「酸っぱいまんじゅうか辛いまんじゅうのどちらかを選べ」みたいな選択にする。

そしてその「正社員」の働き方を支えているのは「専業主婦」と呼ばれる女性の存在だ。この専業主婦の立場も、この資本主義社会の中で「稼働能力のない存在」としてとかくバッシングの対象となる。だがそこに、第3号被保険者や税控除だのの制度によって「メリット」を与え声を上げにくくする。そうした専業主婦の人たちの多くは正社員でも軽視される経験をしてきた女性だったかもしれない。そうであれば仕事に活路を見出すビジョンも見つけられないだろう。

何という巧妙な分断だろう。女性の分断とはいわば「正規労働」の「正」概念に疑念を抱かせないための罠だったのではなかろうか。

栗田 隆子 文筆家

(※画像はイメージです/PIXTA)