
厚生労働省の令和5年の調査によると、日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.14歳と、長寿化はますます進んでいます。その一方で、80代以降になると、多くの人が何らかの支援や介護を必要とするのが現実です。つまり、「65歳で仕事を終え、これからは自分の時間を楽しもう」と思った矢先に、親の介護が始まる――そんなケースは、今や決してめずらしくないのです。今回は、そうした「想像と違う老後の現実」を、ある事例とともに見ていきましょう。
悠々自適の老後のはずが…「まさかの事態」に唖然
「仕事が終わって、老後になれば気楽になれると思っていたんです」
そう語るのは、都内の企業で営業マンとして活躍してきた高橋さん(仮名・66歳)。激務の中、地道にキャリアを積み上げ、40代後半には年収1,000万円を超えるように。60歳のときには退職金として2,500万円を受け取り、65歳で仕事を辞めました。
「3歳下の妻は、週3回のパートを長年続けています。息子2人もすでに独立しているし、住宅ローンは60歳で完済。退職金以外に貯金も1,800万円ほど。老後不安なんてまったく感じていませんでした」
定年後は月25万円程度の生活費を見込みつつ、旅行や趣味を人並み以上に楽しむ余裕はあると思っていたといいます。
しかし、残念ながら現実はそううまくいきませんでした。高橋さんが定年を迎える1年ほど前、実母に異変が起きたのです。物忘れが酷くなったため父に付き添われて病院に行ったところ、高橋さんの母はアルツハイマー型認知症だと診断されたとのこと。
「当時、母はもう89歳でしたから、何があってもおかしくなかった。それでも『うちの親がまさか』という気持ちでしたね」
さらに想定外の事態は重なりました。不運にも、父が家の玄関で転倒。大腿骨の骨折によりリハビリをしても障害が残り、いよいよ母の介護どころではなくなったのです。
月40万円、終わりの見えない「ダブル介護費」
介護というと、どこか「親のどちらか一方だけ」というイメージを持ちがちです。ですが、現実には両親共に同時に介護が必要になることもめずらしくありません。高橋さんは、まさにそのケースでした。
「母は日中の見守りと夜間のケアが必要で、父は入浴などの介助が必要。我が家から車で1時間ほどの距離なのですが、私は性格的に介護はとてもできません。弟は海外に住んでいて最初から頼れませんでした。公的施設も探しましたが、すぐには空きが出ず、どれくらい待つかもわからない状況でした」
高橋さんはやむなく民間の有料老人ホームを選ぶことに。2人分合わせて月額費用は約40万円と高額でしたが、背に腹は代えられないと判断したのです。
「もちろん両親の年金だけでは賄えません。親の預貯金でなんとか入居一時金を払い、あとは私の貯金を切り崩して対応しています」
施設費用以外にも医療費、送迎費、オムツ代などのちょっとした出費が積み重なっていきます。介護費の支出は月20万円以上、それだけで年間240万円を超えます。退職金とは別に貯金はありますが、それでも想定外の支出に家計への負担は大きいと感じていると言います。
「老後資金は十分」…油断すると家計崩壊も
そしてもう一つ、思いがけずストレスの種になったのが、夫婦間のズレだといいます。
「妻は今も働いていますが、『自分の稼ぎは自分のお小遣い』という考えは変わりません。うちの親の介護費用を一緒に出そうとか、そんなことも一切言ってきません。妻の両親はすでに亡くなっているので余計に関係ないと思うのかもしれませんが、夫婦ですから、もうちょっと自分事だと思ってくれたら、というのは贅沢でしょうか」
不満はあるものの、いまさら家計のルールを変えて、夫婦仲にヒビを入れるわけにもいかないと、何も言わずに飲み込んでいるといいます。
「現役時代は激務でしたから、老後は心身共にのんびりできると思っていたんです。気ままな旅行、夫婦での趣味、読書に散歩……。でも、現実には親の介護と費用がチラついてそれどころじゃありません。ですが、自分たちの老後も少しは楽しまないとね。最近になって、ようやくそう思えるような心の余裕が出てきました」
老後とは、想定外の支出と向き合い続ける時間でもあります。親の介護費用もその一つ。本来は親の介護費は親のお金で賄うのが原則ですが、現実にはそうはいかないケースも少なくありません。夫婦それぞれに親がいれば、最大で「4人分の介護費用」がのしかかる可能性も。
「自分たちの老後資金は十分ある」――そう思っていても、油断は禁物。夫婦以外が要因で、家計崩壊に向かうリスクもあります。親が元気なうちに介護について話し合っておくこと。金銭的にどこまで支援できるのかを、あらかじめ考えておくこと。それが、思い描いた老後を守るための最低限の備えになるのではないでしょうか。

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