一般財団法人ロングステイ財団の調査によると、日本人の住みたい国は15年連続で「マレーシア」が第1位となっています。55歳の鈴木さん(仮名)も「マレーシアに移住したい」という長年の夢を叶えるべく、早期退職を決断。しかし、わずか数ヵ月で帰国するハメに……。いったいなにがあったのでしょうか。鈴木さんの事例をもとに、早期退職のワナと老後資産の上手な使い方をみていきましょう。牧野FP事務所合同会社の牧野寿和CFPが解説します。

「早期退職」で“長年の夢”の実現を決意した武さん

鈴木武さん(仮名)は、貿易会社に勤める会社員です。大学を卒業後、精密工具を扱う中小貿易会社に就職した武さんは、その後も貿易に関わる企業を数社渡り歩き、その業界では“腕利きの営業マン”として名を馳せています。

貿易の仕事に携わるなかで、武さんには海外駐在員の経験もあります。なかでも、30代のとき4年間滞在したマレーシアは、「物価が安く、食事もおいしく、気候も申し分ない」とゾッコン。

滞在を終えたあとも、「定年後はマレーシアに移住して、贅沢に暮らすぞ」と、日本では質素・倹約をモットーに、マレーシアでのセカンドライフのための資産形成に励んでいました。

それからあっという間に約20年経ち、55歳になった武さん。そつなく仕事をこなしていると、思わぬ情報が舞い込んできます。なんと、勤務先で「早期退職者」の募集が始まったのです。マレーシア移住の夢に向けコツコツ貯金していた武さんは次のように考えました。

「退職金をあわせると、資産は『1億円』の大台に乗る。予定より10年早いが、これで移住の夢が叶う!」

そして、長年の計画を実行するにあたり、最新の動向を調べることに。すると、マレーシアの長期滞在ビザ「MM2H(Malaysia My Second Home)」が2024年6月から大幅に改定されたことを知りました。

マレーシアの長期滞在ビザの取得は可能か、ビザ取得に詳しい現地代理店にその諸条件について問い合わせると、現行制度でも移住が可能であることが判明。

「55歳で1億円あればなんだってできる」

退職金が振り込まれて1億円超となった通帳残高を確認した武さんは、いよいよ夢の海外移住に向けて動きはじめました。

長期ビザ取得には4,500万円必要…慎重派の武さんがとった行動

通常「MM2H」の取得申請は、マレーシア政府指定代理店に依頼して、マレーシア移民局から発給取得までを請け負ってもらいます。

そしてビザ申請後、仮承認を受けたタイミングでマレーシアに渡航し、マレーシアの銀行口座を開設して、定期預金を預けるなどの手続きを行うというのが一連の流れです。

現行制度において、MM2Hには「プラチナ(有効年数20年間)」、「ゴールド(有効年数15年間)」、「シルバー(有効年数5年間)」という3つの区分があります。

このうち、武さんが取得を目指す「シルバー」は滞在期間も短く、申請費用も一番安い区分。とはいえ、現地の銀行定期預金口座にアメリカドルで15万ドル(1ドル=143円として日本円で2,145万円以上)預ける必要があるほか、住宅購入なども条件となっており、簡単に取得できるものではありません。

ビザ取得のために代理店に支払う手数料などの諸費用を含めると、日本円で約4,500万円は必要です。

そこで武さんは「申請前に一度現地へ行って下調べをしよう。そこで納得できればすぐに現地で代理店を通して、MM2Hを取得しよう」と考えました。

物価も高い、景色も違う…20年ぶりのマレーシアで感じた「変化」

そして早期退職から数ヵ月後、武さんは大型スーツケースを片手に、クアラルンプール国際空港に降り立ちました。

しかし、念願のマレーシアにもかかわらず、武さんは浮かない表情です。

マレーシアの通貨は「リンギット」で、現在の為替相場は1リンギットあたり34円前後です。しかし、日本円対アメリカドルで円安が続いているように、円対リンギットも、ここ5年間円安傾向にあります。

そのためか、日本より物価が安いはずのマレーシアでも、以前と比べて思いのほか物価が高くなっていることに気づきました。また、街は高層ビルが何棟も立ち並び、20年前に見た景色とは大きく異なります。

武さんが「マレーシアへの移住」をやめたワケ

そこで武さんは、駐在していた当時の同僚であるマレーシア人のBさんに連絡をとりました。

「実は移住を考えていてね、早期退職してこっちへ来たんだ。とりあえず下見のつもりで来たんだが、20年前とはいえ、以前来たときに比べ物価も高くなっているし、いろいろ勝手が違っていて……。いま、マレーシアの様子はどうなんだ?」

すると、Bさんは武さんの移住の夢を喜びながら、マレーシアの現状について優しく教えてくれました。Bさんによると、マレーシアは、武さんが日本に戻ったあとに目覚ましい経済発展を遂げ、状況が大きく変わっているといいます。

「やはりそうか……。高いビルも増えているし、まるで東京みたいだよ。話を聞かせてくれてありがとう、いろいろ考えてみる」

そして武さんは、以前宿泊したことのある高級ホテルへ。20年ぶりのマレーシアで感じた変化に戸惑う武さんでしたが、高層階から見えるクアラルンプールの景色を味わうにつれ、「せっかく来たんだから、めいっぱい楽しもう」と考えました。

ビザ申請前に思う存分“下見”した結果…

その後は、移住候補の都市を見に行くこともありましたが、かつての知り合いとゴルフなどのアクティビティを楽しんだり、滞在期限の3ヵ月を過ぎてからはシンガポールインドネシアといった近隣国の観光をしたりと、贅沢を尽くしました。かかった費用は500万円ほどで、長年貯めた資産の5%を占めます。

マレーシアで3ヵ月、近隣国でもう3ヵ月を過ごした武さんは熟考の末、移住を取りやめることにしました。

「憧れの国でやりたいようにやって、思う存分遊んで……夢が叶ってしまった。なにも、死ぬまでこの国にいることはないな。よし、帰ろう」

しかし、帰りの機内で武さんは、次のように考えました。

「……となると、せっかく貯めた1億円はどうすればいいんだ?」

お金の使い道について誰かに相談したいと考えた武さんは、以前会社のマネー研修で講師として来ていたファイナンシャルプランナー(FP)のである筆者に相談することにしました。

資金繰りに問題はないが…FPが武さんに行った「助言」

“おひとりさま”の武さんは、両親とともに東京近郊の実家に住んでいます。実家は借家で、両親が亡くなったあとは大家に返す約束だそうです。

現在55歳の武さんが今後も無職の場合、老齢厚生年金を受給する65歳までは、貯蓄を取り崩して生活する必要があります。しかし、資産が十分にある武さんは、大きな贅沢をすることがなければ、問題なく生活できそうです。

また65歳以降、武さんの年金受給見込額は月16万円。普段から節約して暮らしていた武さんは、貯金を取り崩すことなく年金収入の範囲内で生活できる見込みです。

「資金面については問題ありません。ただし高齢になると、賃貸住宅は貸してもらえない傾向にあるため、日本で生活する場合は住宅の購入をおすすめします」

「これまではお金を貯めることに専念してきたのでしょうが、今後は長い“第2の人生”が始まります。せっかくですから、武さんのこれまでの努力が報われるような、有意義な使い道を考えてみてはいかがでしょうか」

武さんは「そうですね。なんだか背中を押された気がします。家に帰って、よく考えてみます」と言い、事務所をあとにしました。

武さんの「その後」

それから数ヵ月後、武さんは再び筆者の事務所を訪れました。

武さんの話によると、FPの助言を受けて大家と話し合い、実家の土地建物ともに武さんが買い取ったそうです。そして、「新たな夢」として、いままでの業務経験を活かした貿易事務所を起業。かつての同僚にも声をかけ、セカンドライフのスタートを切ったといいます。

「目標は将来クアラルンプールにも事務所を持つことです」

そう話す武さんの表情は希望に満ちていました。

牧野 寿和 牧野FP事務所合同会社 代表社員

(※写真はイメージです/PIXTA)