「何の不安もない老後を送れると思っていたのに……」。長年専業主婦として家庭を支えてきた有子さん(仮名・58歳)は、ある日突然、夫から「離婚したい」と切り出され、老後の見通しが一変しました。熟年離婚は精神的ダメージだけでなく、経済的にも大きな打撃をもたらします。「財産分与」や「年金分割」だけで本当に暮らしていけるのか?再就職は現実的なのか?「もしも」が現実になったときに直面するお金と生活の課題について、CFPの伊藤寛子氏が解説します。

長年の我慢に終止符を打った、夫から告げられた「離婚」

三島有子さん(仮名・58歳)は、30年以上専業主婦として家庭を切り盛りしてきました。夫は大手企業に勤め、子ども2人もすでに独立。今年60歳の定年を迎えた夫は再雇用で働き続けており、住宅ローンも退職金で完済。「このまま何の不安もない老後を送れるはず」と思っていました。

ただひとつあったのは、あまり夫婦仲がよくない夫が完全退職し、一日中家にいるようになったらどうなるだろう、という懸念。それでも「もう少し先の話」「なんとでもなる」と思っていた矢先、有子さんは思いもよらぬ言葉を夫から告げられます。

「悪いけど、離婚してほしいんだ」

有子さんにとっては突然のことでしたが、夫にとって離婚は、ある日思いついた気まぐれではありませんでした。実は、長年のすれ違いや、積もり積もった不満から、少しずつ夫の心は離れていたのです。

有子さんは、家の中では自分が主導権を握り、夫の言動に小言を言ったり、時には人前で小馬鹿にしたりしてしまうこともありました。「ありがとう」「おつかれさま」という言葉もなくなり、日々の挨拶すら交わさなくなっていた夫婦の間には、深い溝ができていました。

「自分はこんなに働いてきたのに、感謝も思いやりも感じられない」 「お金さえ入れてくれればいいと思っているようだ」

そんな思いから、夫は「必要とされていない」と感じ、愛情も冷めていったのです。夫婦の接点が子どもを通じてだった、という家庭も多いでしょう。有子さんの家庭も同じでした。子どもが独立すると、夫婦ふたりきりの生活が始まり、その関係性の希薄さが露呈します。

定年退職を迎えた夫は、「これからは自分の人生を自由に生きたい」と考えるようになりました。「住宅ローンも終わった。子どもも独立した。自分の役目は果たしただろう。」と、長年の我慢に終止符を打ち、離婚に踏み切ったのです。

夫から離婚を突きつけられた有子さんは動揺し、拒もうとしましたが、夫の意思は固く、最終的には離婚に同意せざるを得ませんでした。

増加傾向が続く「熟年離婚」

三島さん夫婦のような長年連れ添った中高年夫婦、婚姻期間が20年以上で、多くが50歳代以上の夫婦の離婚を「熟年離婚」と呼んでおり、年々増加傾向にあります。

厚生労働省の「令和4年度 離婚に関する統計の概況」によると、離婚件数自体は平成15年以降減少傾向が続いており、令和2年(2020年)は約19万千組でした。そのうち同居期間別の離婚件数を見ていくと、同居期間が20年以上の「熟年離婚」と呼ぶケースでは、昭和25年以降、一貫して増加しています。令和2年(2020年)時点では、離婚件数全体の約2割がこの熟年離婚に該当しています。

熟年離婚というと、「妻から夫に三下半を突きつける」というイメージがありますが、夫から妻に離婚を切り出すケースも当然あります。

離婚による財産の分割を行うための制度

長年家庭を支えてきた専業主婦にとって、離婚後の最大の不安は「お金」です。離婚後の資金源として重要なのが「財産分与」と「年金分割」です。婚姻期間中に築いた財産は、たとえ専業主婦であっても「財産分与」の対象となり、原則として2分の1ずつに分ける権利があります。

対象となる財産には、現金・預貯金、住宅、不動産、有価証券、保険の解約返戻金などが含まれます。離婚の時点で退職金の受け取り前であっても、受け取りが確実視される場合は退職金見込み額が分割対象となり得る場合もあります。

夫が会社員・公務員の場合には、婚姻期間中に夫が加入していた厚生年金の報酬比例部分を「年金分割制度」によって分けてもらえるよう請求が可能です。ただし、自身に年金の受給資格(原則10年以上の保険料納付)がなければ受給自体できない場合もあります。

年金分割により年金額がいくらになるかは年金事務所で試算が可能です。離婚前に年金事務所で分割見込額を確認しておくと、将来の生活設計が立てやすくなるでしょう。

熟年離婚の場合、すでに子どもが成長して独立していると、親権や養育費など子どもに関する条件よりも、婚姻期間が長い分、退職金を含む財産分与、年金分割など金銭に関する条件で揉めることが多い傾向があります。

「財産分与」と「年金分割」だけでは老後を暮らしていけない現実

有子さんは、財産分与によって約1,500万円、年金分割により月7万円の年金を受け取れる見込みです。有子さんは結婚退職をしてからは無職で夫の扶養に入っていたため、自身の年金見込み額は約7万円です。合計しても月14万円前後と、生活費や住居費、医療費などを考えると、安心して暮らせる額とは思えませんでした。

離婚後も住み慣れた家に住み続けられるとは限りません。自宅のローンは完済していますが、夫の実家の近くにある家に住み続けるのは気まずく、有子さんは家を出ることにしました。

しかし、60歳前後・無職の女性が単身で借りられる物件は限られています。契約には保証人を求められたり、敷金礼金・引越し費用など、初期費用も大きな負担になったりします。当然、家賃を払いながらの生活には、財産分与と年金分割により受け取る資金だけでは足りず、何らかの「労働収入」が必要不可欠となりました。

有子さんは長年のブランクから再就職を目指しました。まずハローワークへ相談に行きましたが、年齢による求人の選別、体力やスキル、職歴の不足などから「やっぱり難しい」と感じることが多く、現実は甘くありません。当初希望した事務系の仕事は見つからず、紹介されるのは清掃やレジといったパート求人ばかりでした。

「最初はプライドもあって、なかなか現実を受け入れられなかったんです。でも生活のことを考えたら選べる立場じゃないし、できる仕事をやるしかないと思って」そう話す有子さんは、近所のスーパーでパート勤務を始めました。

いざ働き始めると、新しいことを覚えたり、慣れたり、体力的な面での厳しさがやはりありますが、生活費と老後資金のために月約10万円の収入を得ることを目標として働いています。

 離婚に限らず起こり得る「もしも」への備えが将来の自分を守る

熟年離婚は精神的ダメージだけでなく、経済的負担も大きい決断です。有子さんのように専業主婦として長年家庭を支えてきた方にとって、離婚後の生活設計は厳しいものになります。一方、夫側も財産分与や年金分割により、資産や年金が減ることになります。

「これからの人生、どう生きていきたいか」を考えることはもちろん大切ですが、それ以上に「生活していけるか」という現実的な視点が欠かせません。夫婦それぞれにとって離婚がベストな選択かどうか、資金面からも慎重な判断が必要です。

また、離婚に限らず、配偶者の死別・病気・介護など、人生の「もしも」は予告なしにやってくるものです。そのため、「今、夫婦関係や老後に特に心配はない」と思っていたとしても、資産の把握や年金見込み額の確認、制度の理解など、今後の暮らしについて見通しを持っておくことが大切です。

今は不安がなくても、「もしも」に備えておくことで、いざというときに慌てずに済みます。将来の自分を守る一歩として、できることから始めてみましょう。

伊藤 寛子 ファイナンシャル・プランナー(CFP®)

(※写真はイメージです/PIXTA)