内定を辞退した場合、選考に要した経費を請求する可能性がある──。転職活動をしていたところ、内定した企業からこんな内容のメールを受け取ったという投稿が注目を集めました。

中途採用では、求人広告や転職サイト・転職エージェントの手数料に加えて、書類選考や面接にかかる人件費など、コストが発生するのが一般的です。

弁護士ドットコムにも似たような相談が寄せられていました。ある企業は退職者の穴を埋めるために募集して、1人に内定通知を出しましたが、入社2日前になって辞退を申し出られたといいます。

再度、広告を出すにも経費がかかり、前任者の退職スケジュールとの兼ね合いで「経営にも支障をきたします」と頭を抱えています。

この企業は、辞退した人に対して損害賠償を請求すれば「裁判で勝てるのか」という疑問を持っているそうです。

はたして企業は内定辞退者に対して採用コストを請求できるのでしょうか。島田直行弁護士に聞きました。

●企業は内定辞退を拒否できない

——内定辞退をどう捉えますか。

内定は、求職者にとって、これまでの努力が実を結び、安心感を覚える瞬間です。しかし、個人の人生は常に変化するものです。家庭の事情、進学、健康問題など、さまざまな理由から「やはり辞退したい」と考えるケースもあります。

一方で、企業にとっても内定は重大な決断です。求人広告やエージェント手数料、書類選考から面接、内定後のフォローに至るまで、採用活動にはコストが投じられます。中小企業でも、1人あたり50万〜100万円かかると言われており、内定辞退は経済的にも人的にも大きな打撃となり得ます。

——そもそも企業と内定者はどのような関係にあるのでしょうか。

少しむずかしい言葉ですが、内定は「始期付解約権留保付労働契約」とされて、すでに労働契約が成立しています(法的拘束力を持ちます)。そのため、内定辞退は、労働者による「退職の意思表示」にあたります。

民法627条1項により、労働者は契約の2週間前までに申し出れば、原則として自由に契約を終了できます。したがって、法的には、内定辞退は原則として適法であり、企業が辞退を拒否したり、強く引き止めたりすることはできません。

ただし、入社直前に突然辞退したり、虚偽の理由で連絡を遅らせるなど、社会通念上、著しく信義則に反する場合には、企業による損害賠償請求が認められる余地があります。

しかし、実際に認められるケースは極めて限定的でしょう。いわゆる「アイガー事件」(東京地裁平成24年12月28日判決)では、企業の請求は退けられており、ハードルは極めて高いのが実情です。

●「内定辞退で違約金」は労基法違反の可能性

——あらかじめ企業が「内定辞退には賠償請求する」と定めていた場合はどうなりますか。

企業によっては、内定辞退を抑止するために「辞退の場合は違約金を支払う」「研修費を返還する」といった取り決めを設けることがありますが、これらは労働基準法第16条に抵触し、原則として無効です。

同条では「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」と明記されており、内定も労働契約の一形態である以上、この規定が適用されます。

研修費の返還についても、会社業務に関連し、参加を義務付けられたものであれば、その返還を求めることはできません。

有効となりうるのは、研修が完全に任意であり、業務とは無関係で、かつ労働者個人の利益にのみ資する内容である場合に限られますが、こうした条件を満たす事例は極めて限定的です。

最も重要なのは、企業と労働者が互いに誠実に対応することです。

企業側は、採用の段階で十分に見極め、内定後のフォロー体制を整えることが、辞退の防止にもつながります。一方、労働者側も、辞退を決断したのであれば、速やかに電話などで直接連絡し、理由を丁寧に伝えることが、信頼関係の維持につながります。

内定はゴールではなく、入社に向けたスタートラインにすぎません。内定辞退という選択も、人生の選択の一つです。だからこそ、一方的な感情や慣習にとらわれず、法的な理解と相互の敬意に基づく誠実な対応が、将来の関係構築を左右します。

【取材協力弁護士】
島田 直行(しまだ・なおゆき)弁護士
山口県下関市生まれ、京都大学法学部卒、山口県弁護士会所属。著書に『社長、辞めた社員から内容証明が届いています』、『社長、クレーマーから「誠意を見せろ」と電話がきています』『社長、その事業承継のプランでは、会社がつぶれます』(いずれもプレジデント社)、『院長、クレーマー&問題職員で悩んでいませんか?』(日本法令)
事務所名:島田法律事務所
事務所URL:https://www.shimada-law.com/

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